第八話:媒介土発動と八百万の還流2
シャンテは、溢れる涙を両手で強く拭った。
ただ可哀想だと貰い泣きをして、残響の檻に囚われてしまえば、自分自身も、そしてこの無防備な地球という赤ん坊をも、ウイルスのような拒絶反応で崩壊させてしまう。
母ヴィーナスの遺した『澄んだ第三者の心』を取り戻さなければならない。
彼らは悪霊でもモンスターでもない。
ただ、明日を信じて今日を健気に終わらせようとしていた、愛おしい生活者たちなのだ。
そして、この無防備な地球を救い、自分の足で立てる大人の星へと育ててあげることこそが、自分に託された真の調律の使命なのだ。
シャンテの瞳から甘えが完全に消え去り、凛とした女神の光が宿った。
彼女は、黒い岩の上で眩い光を放ちながら広がっている道具の中から、3つ目の神具——白い粘土のような輝きを放つ『アルジル(平穏の媒介土)』を、その両手で厳かに掬い上げた。
シャンテの脳裏に、祖父ゼウスから聞かされたテトラグラマトンの偉大なる歴史が蘇る。
はるか昔、ある無名のエデン・チューナーが、未開の惑星の土を丁寧にこねて命の形(器)を造り、その鼻から自らの澄んだ神力の息吹——『ルアハ(命の息)』を吹き込んだ。
すると、ただの土の塊の中に初めて「個の意識」が宿り、魂を持った最初の生命として歩き出し、星に見事な楽園が誕生したという。
その『ルアハの奇跡』に深く感銘を受けたゼウスが、「大いなる平穏の海」の絶対的な静寂のエネルギーを結晶化させ、7つの道具の1つとして正式に採用したのが、この『アルジル』だった。
「おじい様……私、やるわ。過去の先輩が起こしたあの奇跡を、今、この赤ん坊の地球の上で再現してみせる!」
シャンテはブークリエのバリアの隙間から、灼熱のマグマの海へと、その白い媒介土『アルジル』を力強く、祈りを込めて撒き散らした。
「すべてを包む大いなる海の静けさよ……荒れ狂う火のエネルギーを中和し、彼らに『約束された大地』を与えたまえ……!」
アルジルが地表に触れた瞬間、奇跡が起きた。白い土はマグマの熱に負けて溶けるどころか、眩い中和の波動を放ちながら、みるみるうちに周囲へと広がっていった。
ボコボコと不気味な音を立てて沸騰していた暗赤色の流液が、アルジルが触れた場所から滑らかに「引き算」されるようにして熱圧を失い、静まり返っていく。メキメキと音を立てて、穏やかで、平らな、生命が安心して足をつけることのできる、黒く温かい「最初の本物の大地」へと、急速に冷え固まっていったのだ。
その瞬間、バリアの外側で「何かがおかしい」と惑っていたオルテリウスの生活者たちのカゲロウに、決定的な変化が訪れた。
足元に、あの1500kmの天体が衝突する直前まで自分たちが確かに踏みしめていた、あの愛おしい地上の硬さ(日常の安心の器)が与えられたことで、魂の奥底のパニックが完全に静まり、彼らの表情から違和感のノイズがフッと消え去った。
「あぁ……よかった。何もおかしくなかったんだ。私の世界は、ちゃんとここにある」
商人たちの眉の曇りが晴れ、学生たちの横顔にいつもの穏やかな笑顔が戻る。
安心した彼らの電気信号は、次の瞬間、自動的に「一日の終わり」の愛おしいルーティンへと動き出した。
電車の窓から夕暮れを見つめていた学生たちは、最寄り駅について「じゃあね、また明日! バイバイ!」と手を振り合って笑顔で別れ、それぞれの我が家のドアを開けた。
市場の商人は、天幕の片付けを綺麗に終わらせて「さあ、おうちに帰ろう。子供たちが待っている」と、愛する家族の元へ向けて歩み出した。
帳簿を閉じた労働者は、オフィスの灯りを消して帰路につく。




