02 十三歳
コルヴスが、ファルコに寄り添う鳥の気配をたどりながら戻ると、アロエットは馬の四肢を畳むように座り、静かに上体を起こしていた。彼女に掛けられていた毛布は、今は弟の体を包んでいる。
「アロ、休まなくてよかったのか?」
コルヴスは彼女を気遣うように声をかけた。
「ええ。お兄様も……あまり疲れてらっしゃらないのではなくて?」
アロエットは、どこか自嘲気味に笑ってそう言った。
「そう、だね。『遍在の檻』の恩恵なのか、副作用なのか……それでも、ファルコを背負ってここまで来たんだ。休んでいいんだよ」
暗闇の森を一晩中走り続けたこの体は、無意識のうちに肉体の補正が行われているかのようだった。便利な力ではあるが、どうにも得体の知れない恐ろしさがあった。
コルヴスはアロエットの口調から、自分と同じような不安と、わずかな後悔を感じとった。
「わたくしは、一刻も早く姿を戻して、ベッドで眠ることにいたします」
コルヴスの心配そうな視線に気づくと、アロエットは美しく強かな笑みを浮かべてそう言った。
「確かに! それはいい考えだね」
コルヴスも、いつもの調子で力強く笑顔で答えた。
「ところでお兄様、手にしていらっしゃる紙は、一体何ですの?」
「おっと、そうだった」
筒状に丸めていた隠れ家から持ち出した手紙を、コルヴスは丁寧に伸ばしてアロエットに渡す。
「この手紙と、これだけが隠れ家にあったものだよ」
コルヴスが袋を振ってみせると、チャリチャリという硬貨の音がして、まとまった束が、袋を押し広げるように歪めているのが見えた。
「……お父様は、太っ腹ですわね」
「……うん、まあ……当面の十人分の生活費として用意してあったんじゃないかな」
目を丸くして袋を眺めるアロエットに、コルヴスも当惑気味に答えた。
お金の音がしたあたりで、ファルコの体がぴくりと動いた。
「……んんー……あれ? 兄さん。お帰りなさい」
目を覚ましたファルコが、もぞもぞと布から抜け出しながら、目を瞬かせてそう言った。鳥は慌てたように羽ばたいてファルコの肩に止まり直した。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん! 隠れ家はどうだった?」
目覚めのいいファルコが、興味津々にそう言うと、アロエットの手がニュッと横から伸びて、ファルコの顔の前に例の手紙を差し出した。
「わたくしは、ギブアップ! さすがに、謎解きまで短縮するのは、やりすぎだと思いますわ……」
ファルコは、近すぎる紙にやや寄り目でピントを合わせると、パッと手を挙げた。
「はい、ファルコ……って、もうわかったの?」
先生のように弟を指名して、アロエットが言った。
「うん! たぶん? 点Hがこの隠れ家、点Cが大聖堂か教会?」
コルヴスとアロエットは、思わず顔を見合わせた。
「じゃあ、下の方にある『PS』は?」
アロエットが紙の下の方を指さすと、ファルコは事もなげに答えた。
「PSは、点対称かな? 紙の余白を考えると、対称の中心は点Cで、Hから出発して……Cを通って……この辺りに対称な点が来る、と思います」
指で紙をたどるファルコを見て、コルヴスは途中で何かに気づいたように、額に手を当てた。
「これって、ひょっとして、地図と組み合わせるもの?」
ファルコは少し考えてから、こくっと首を縦に振った。
「隠れ家に置いてきてしまった……壁に貼ってあった地図だと思う」
その言葉を聞いた弟は、目を輝かせて言った。
「じゃあ、僕が取りに行くよ!」
「ペンや定規もあった方がよさそうですけれど……地図と一緒に隠れ家に置き忘れていませんこと?」
コルヴスに、からかうような目線を送りつつ、アロエットがそう言った。
「対称な点をマークしたいの? それなら!」
ファルコは、HとCを通る線で手紙を折った。それを一度開いて、今度はその線が重なるように点Cを支点にして二つ折りにし、点Hが最初の折り筋と重なったところに、点を打つ代わりに爪で印を付けた。
「これでいいよ。これがこの手紙の答えだと思う」
コルヴスは、アロエットと一緒に弟に拍手した。
「それじゃあ、今度は兄さんと姉さんが待っててね。そうだ! 袋を借りて行っていい? 地図を取りに行くついでに、この近くの家でお水をもらってこようと思います」
枕代わりに丸めていた空の袋をアロエットから受け取って、ファルコはそれを背負った。
アロエットは髪を左肩に流すと、ハヤブサに右手を差し伸べてファルコの肩から自分の肩へと移動させた。このまま人目のある所に連れて行くと、騒ぎにしかならないと判断したようだ。
「民家を訪ねるなら、僕もついていこう」
「ううん。一人でも大丈夫だよ! 兄さんは姉さんと、姿を戻す方法を探しておいて。そっちは、僕じゃ手伝えないから」
「もう十三歳だからね」と付け加えるファルコに、コルヴスは胸をよぎる感傷を悟られないよう、笑顔で頷いた。
弟は、まだ十三歳だというのに……一晩で多くのものを失ってしまった。
ファルコは、念のためにと渡された少額のお金と手紙を、大事そうにレインコートのポケットに入れると、隠れ家へと出発した。
ファルコの姿が見えなくなるまで、コルヴスはその背中を見つめていた。ファルコは、一度も振り返らずに行ってしまった。
後ろから、「ふふ」とアロエットが笑う声がした。
「お兄様は心配性ですわね! ファルコには、この程度のお使いは難しくないでしょう?」
「まあね……」
アロエットに過保護な心配を見抜かれて、コルヴスはきまり悪く肩をすくめた。
「さあ、今のうちに、十三歳には聞かせられないことがあるなら、わたくしにお話しくださいませ?」
アロエットは、地面に敷かれた毛布の空いたスペースを「どうぞ」と手で指し示す。
「……そうだね」
コルヴスは、アロエットの隣に座って「ふー」と大きく息を吐くと、アロエットとファルコが逃げ出した後の出来事を話した。
装置を壊され、意識を失った兄のこと。父クレイグが守っていた一階は制圧されたこと。立ち上がれない様子の母シャノン、目を閉じたままの妹……そして逃げる寸前に見た、教会の人間に囲まれていた弟のこと。
顔を見ないように、ただ前を向いたままコルヴスが話し終えると、アロエットは少し間を開けて、静かに言った。
「……それでは、隠れ家にはわたくしたちの他には、誰も来ないのですね」
コルヴスは、それを肯定するように黙って、森の中を見つめた。
いつの間にか朝靄は消えていた。木々の間には生き物の姿も、鳥の囀りもなく、シンと静まり返っている。アロエットの右肩に止まっているハヤブサの影響だろう。
「……ファルコには、要点だけ話そうと思う」
「『ルカを待つ』と言うかもしれませんわね」
二人は、感情を交えず淡々と会話を進めた。
「そうだね……でも父さんは、ここまで追手がかかることを想定しているみたいだった。僕も、なるべく早くここを離れた方がいいと思う」
アロエットは黙った。ルカを待ちたい気持ちは、彼女も同じなのだろう。
(だが、おそらくルカは……来ない。もし、ここに誰か現れるなら、ルカから情報を聞き出した教会の人間だ)
コルヴスは、両手で髪をくしゃりとかき乱して頭を抱えた。
(なぜなんだ、ルカ――)
思い出すのは、いつも少し離れたところで、家族を冷静に見ている弟の淡いブルーの瞳だった。
コルヴスは両手を強く握りしめて、乱れた気持ちを抑え込むと、アロエットに声をかけた。
「とにかく、ファルコが戻るまでに『遍在の檻』について研究しないとね」
「そうですわね」
二人は立ち上がり、体の一部を変化させて戻す、簡単な検証から始めた。
続きは、また明日。18:30頃に。




