01 弟、鳥、ケンタウロス
コルヴスが養子として暮らしていたペリグリン家は、その夜、教会の黒装束の部隊に襲われた。
両親と、五人の兄妹弟を屋敷に残したまま、脱出に成功したのは妹と弟、そしてコルヴスの三人だけだった。
コルヴスは、後方の追手を振り切るまで、ペリグリン邸から真っ直ぐ北に向けて、一人で走っていた。北には国境があり、国外に逃亡した可能性を匂わせることもできると考えたからだ。
森の中に入り、しばらくすると追手の気配は完全に途絶えた。途中、高速で西の空へと移動する巨大な魔力の気配を感じたが、自らの体内で荒れ狂う魔力による誤認だろうかと、そのときは深く考えなかった。
コルヴスは走る速度を落とさずに、進路を西に変更した。
明かりも持たずに暗闇の森をほぼ全速力で駆け抜けながら、彼は、自分が体内に取り入れたモノの異常性をまざまざと感じていた。
(『遍在の檻』の影響か――疲労が極端に少ない。走り続けて体を壊してしまうのも怖い。もうしばらくしたら一度足を止めよう)
このまま直進すれば、まもなく国境警備の要所、北部ルチアノ領に入るだろうか……と考えたところで、はたと自分が所持金もなく、寝巻きを身に着けているのみだと気がついた。
コルヴスは、誰とも遭遇しないことを祈りつつ、何としてでも夜が明ける前に、西の外れにある隠れ家に着こうと決心を固めた。
コルヴスは何度か立ち止まっては夜空を仰ぎ、星の位置を確認して走る方角を微調整した。
見上げた空が、白みはじめていた。
そして、目的地に近づくにつれて、その気配が濃くなっていくことにも気がついた。追手から逃げる間に感じた、西の空に移動した大きな魔力が、この先に待っている。
剥き出しの熱源に近づくような感覚。見えなくても、体に届くエネルギーが伝わる。感じるのは、熱ではなく重さに近い。
朝靄の中に、大きな影があった。
靄の薄いところから、見慣れたモカブラウンの柔らかそうな髪が見えた。
「!」
しかし、その位置が高すぎる。自分の背丈を越す位置に、弟の頭がある。
肩には紺色の見慣れない鳥……いや、ある意味よく見慣れた鳥を乗せていた。
「お兄様……!」
濃い靄をかき分けるように進み出たのは、ライトグレーの髪を垂らし、ダークレッドの目に涙を浮かべた、整った顔立ちの妹――の上半身を持つケンタウロスだった。弟はその背中に乗っていた。
コルヴスは思わず口元に両手を当て、その幻想的な姿に視線を往復させた。
艶のある蹄、細く引き締まった四肢。彼女の髪と同じ色の、美しい芦毛の馬体。その首の付け根から、ナイトシャツの上に青いレインコートを羽織ったアロエットが生えていて……彼女は半眼で冷ややかにこちらを見ていた。涙は引っ込んでしまったらしい。
「……ああ、いや、すまない。アロエットもファルコも、無事で本当によかった! そして、その……これは妹のぬいぐるみの……?」
ハグをするには高すぎたため、二人に手を伸ばして握手をしながら、コルヴスはファルコの肩の上のハヤブサに視線を送った。
「おそらく、それを真似た姿の……『遍在の檻』そのものですわね」
アロエットは、顔を曇らせてそう答えた。
『遍在の檻』は、自分や妹が身体の中に取り込んだ、『神』の力――巨大な魔力を指す言葉だ。
それを手放さざるを得なかった家族は誰なのか、その後どうなったのか。屋敷に残してきた兄妹弟たちの状態を考えると、コルヴスにも楽観的な予測はできそうになかった。
「……とにかく、明るくなる前に隠れ家を見つけて、中に入ろうか。二人とも疲れているだろう」
コルヴスは、二人を労わるように声を掛けた。アロエットの尻尾が縦にファサッと振られる。
ファルコが慌てたように口を挟んだ。
「兄さん、隠れ家はもう見つけたんだ」
「そうだったんだ。待たずに先に入ってよかったのに」
コルヴスは申し訳なさそうにそう言って、二人に笑顔を向けた。
「……入れないんです」
アロエットの口から消え入りそうな声が聞こえた。
「うん?」
コルヴスが優しく聞き返すと、アロエットは両手で顔を覆って、
「ケンタウロスが大きすぎて隠れ家に入れないし、人の姿に戻る方法が、わからないんです!」
と、悲痛な声でそう言った。尻尾はファサファサと上下に振られていた。
コルヴスは、アロエットが訥々と語る、人の姿に戻るために行った試行錯誤を聞きながら、少しばかり眉根を寄せた。
「なるほど……『遍在の檻』は、わからないことだらけだね。これから僕と一緒に戻る方法を考えよう。アロエット、ファルコをここまで守って連れてきてくれてありがとう」
コルヴスは、アロエットの肩に手を触れようとして届かず、馬体に触れるのは今は駄目だろうと考え、伸ばした手を戻して自分の頭をかいた。
ファルコはコルヴスの手を借りて、ようやく姉の背から降りた。彼はためらうことなく馬体の肩のあたりをなでて、姉を励ましていた。
「早朝のうちに、隠れ家の中を確認しておきたいんだけど、アロエットとファルコは、この森で待っていてくれるかな?」
コルヴスは、二人にそう提案した。失意の妹を一人にするのは、あまりに気の毒だった。
「わかったよ、兄さん」
ファルコは、コルヴスの意図を察したように頷き、背負っていた荷物を下ろして袋の中身を漁りはじめた。
防寒用に入れておいた毛布を一枚地面に広げ、姉に馬の胴体を横たえてもらうと、上半身も慎重に寝かせた。中身を抜いた袋は、丸めて姉の頭の下に入れる。仕上げにもう一枚の毛布を上からふわりとかけると、脚部以外はすっぽりと隠れた。
「じゃあ、兄さんが戻るまで、ちょっとだけ眠るね」
そう言うと、ファルコも姉と背中合わせになるように、ころんと毛布の端に転がった。
夜空色のハヤブサは、横になったファルコの体の上に乗り、羽を膨らませて眠りはじめた。
森の大きな生き物に関しては、この異様な気配のハヤブサがいれば、それだけで睨みが利くだろうと思えた。
自分が隠れ家に行く間に、少しでも休んでくれればいいと考えていたコルヴスは、弟の手際のよさに感心しつつ、思った以上に弟が疲れていたことに、改めて気がついた。
あっという間に寝息を立てはじめたファルコを気遣うように、「すぐに戻るよ」と小声でアロエットに告げ、コルヴスは急いで隠れ家に向かった。
目的の場所は、目印である沢に架かる橋よりも手前、森の中に隠されるようにあった。
入口にあたる場所には、円柱状の台座の上に二つの彫像が置かれているだけだった。通りかかる人は、道の守りのために置かれているのだろうと思うような、目立たない作りだ。
どこか楽しげな表情をした、同じ顔の青年を象った一対の小さなブロンズ像は、軽やかな衣装を纏って鏡写しのようなポーズをとっていた。風雨にさらされたその表面は黒ずみ、溝の深い部分には微かに緑青の色が浮かんでいる。
二つの像は、長い沈黙とともに、主との約束を忠実に守り続けていたようだ。
父に教えられた手順を脳内で確認しつつ、コルヴスはナイトシャツの裾でブロンズの顔の汚れを拭った。
コルヴスは二つの像に触れ、魔道具の効果を切るための言葉を音声で入力した。
「レーディイー、ファミリア」
強固に備え付けられていた彫像が、コルヴスの両手に身を委ねるように、コトリと音を立てて外れた。
二つの彫像を手に森の中を見ると、先ほどまではなかったはずの、植物で覆われかけたアプローチが見え、その先に丸みを帯びた、粘土細工で作られたような小さな白い隠れ家が姿を現した。
コルヴスは室内に入ると、まずは両手に持ったブロンズ像を、それぞれの定位置に収めた。
カコッと小さな音がして、侵入者用の時限式トラップが止まった。同時に小さな家は、再び外からは認識できなくなる仕組みだった。
それからコルヴスは、このこぢんまりとした隠れ家の隅々まで、探索を行った。
しかし、部屋の白い壁には丸い窓がいくつか埋め込まれ、地図が一枚貼られているだけ。家具は小さなテーブルが一つ。その上には、袋に入った支度金と……一枚の手紙があるだけだった。
まるで、この隠れ家から一刻も早く立ち去るように促しているかのようだ。
(……この隠れ家は、ゴールじゃない?)
コルヴスは難しい顔で小さなテーブルに置かれた手紙の、余白の多すぎるメッセージを眺めていた。
手紙には点が二つ、アルファベットが四つ書かれたきりだ。
少しの間、手紙とにらめっこしていたコルヴスは、支度金と手紙を手に取り、一度妹と弟の元に戻ることにした。
帰りは逆の手順で、ブロンズ像を手に家を出ると、最初の台座に置き、像に両手で触れながら「ヴァレイテ・オムネス」と呟いた。
二つの像は台座に固定され、家も通り道も綺麗に見えなくなった。
続きはまた明日、18:30頃に。
この話は、本編
『国家転覆は狙っていません! ――家族を奪還したい弟は、学園に潜入し過保護な兄と姉に溺愛される―― 』
のスピンオフです。
https://ncode.syosetu.com/n8814mr/




