エピソード87 届かぬ拒絶、揺らぐ心
ロイのことを「どこのどいつだ?」と訊ねられても、答えられないのが辛いところ。
だって知らないから……。どこの誰なのか——。
「どこの誰かは……どうでもいいですよね?」
知らないことを誤魔化そうとして、そう言ってみたが、殿下は誤魔化されてくれないようだ。
「どうでもよくはない。なぜ隠す?」
彼の真剣な顔付きからして、ちゃんと答えないと納得してくれないだろう、と感じた。
「身元は……ちょっと事情があるみたいで、よくわからない人なんです。でも、信じられる人です」
「そんな——身元もわからない男と付き合っているのか……? 婚約はしているのか?」
「婚約は……してません」
「そうだろうな。身元もわからない男など……。君だって、下級とはいえ貴族の男爵家の出自。まともな親が認めるものか」
「彼はちゃんとした人です。優しくて信念を持った強い人だわ。それに、わたしたちには互いに想い合う気持ちがある。それだけで十分なんです」
殿下は信じ難い話を聞いた、と言いたげに目を細めた。
唇を噛み締め、認められないというように頭を振って大きく溜め息を吐く。
どう言ったら分かってもらえるんだろう?
「もっと現実を見た方がいい。僕は仮にもこの帝国の次期皇帝だ。身元も知れない男より、婚姻相手として——よほど良い相手だと思わないか?」
「こ、婚姻……相手? それって、まさかとは思いますが……皇妃にならないか? と仰ってるんですか?」
殿下はたじろぐわたしを見て、こっくり頷いた。
「本来なら男爵家の出自の令嬢では、皇妃になるには身分的に問題視されるだろう」
いや身分的って……、それはわたしは実は侯爵家の娘だから、正体を明かせばそういう問題はない……。
だけどそれ以前の問題だ。
わたしにはロイがいると言ってるのに……。
これ以上どう答えたものかと口をパクパクさせていると、何を勘違いしたのか殿下が更に続けた。
「だが、心配など無用だ。君の浄化の能力、それに魔力量は皆に高く評価されるべきだ。
僕が父上や母上、重臣達を説得してみせる」
殿下はわたしの手を掴みとって、力強い口調で言い切った。
いや、待って……。そんなこと望んでない。
「……殿下、申し訳ありませんが、わたしには荷が重いです」
「いや、謙遜は必要ない。君には歌だってあるじゃないか!」
「歌、ですか……?」
「高魔力保持者には魔力抑制が欠かせない。だから母上は聖女との婚姻を望んでイリーナ嬢との婚姻に乗り気だった。
だが、君の歌は未知の力だ。魔力を補い怪我さえ癒す」
「それは……そうかもしれませんが、(今の)わたしは魔力抑制はできないですし……」
「魔力抑制については、今までもそうしていたように大聖堂を訪ねれば問題ない。母上にも必ず認めてもらう」
「だから、そうじゃなくて……。わたしは認めてもらわなくていいんです。
わたしは殿下の隣に立つ気はないんです。わたしは好きな人と一緒にいたいんです」
「そうか……。だが、僕は君を好いている。恋愛的な意味で、だ。
それでは足りないというのなら……君に僕を好きにさせればいい。そういうことだな?」
「ええっ……? ちょっと待って下さい。わたしには既に好きな人がいるんですってば」
どう伝えれば、わたしの気持ちをわかってもらえるのだろうか?
焦るわたしの気持ちを理解するどころか、殿下は語り出した。
「女性とは、そもそも気が多く、移り気なものと聞く。君がそうだとは言わないが——。
以前、僕にも一人心惹かれた令嬢がいた。しかし彼女は色々な男と付き合ったあげく、その中の一人と姿を消したらしい」
「それはお気の毒でした、ね……?」
「言いたいのは、君だって気持ちが変わるかもしれない、ということだ」
殿下の声のトーンが一段低くなり、さりげなく振り払おうとした手をいっそう強く掴まれた。
「そんなことは……」
きっぱりと否定したかったのに、できなかった。
一瞬、クラウス卿の面影が胸にチラついたからだ。
どうしてこんな時に……。
わたしにはロイがいるのに——。
言い淀んでしまったわたしを問い詰めるように、殿下が一歩距離を詰めてきた。
その時、砂利を踏み締める音がした。
振り向けば、クラウス卿が立っている。
目が据わっているようだし、足元もかなりふらついているようだ。
「こんな所にいたんれすか? れんか、私との勝負がまだついていないのに逃げましたね? ちょっと休憩している間に、またジェマのところに来て——」
「……しつこいな。僕はもう酒はいいと言っただろう? ジェマと話があるんだ」
「うぐっ——!」
「ちょっ、ちょっとクラウス卿、大丈夫ですか?」
気持ち悪そうに口に手を当てて、しゃがみ込んだクラウス卿に走り寄る。
「普段、お酒なんて飲まないのに……どうしたんですか? 明日はコカトリスを討伐に行く予定でしたよね?」
「大丈夫だ。これくらい、朝になれば……」
歌いかけるわたしの口を片手で塞ぎ、歌わなくていいと素振りでしめす。
「ちょっと酔っ払ったくらいで、魔力を使わせたくない。明日の戦闘に響くかもしれないし」
「じゃあ、肩に掴まって下さい」
わたしはそう申し出たけど、横から殿下が引き取った。
「……僕が肩を貸そう」
「大丈夫です。一人で歩けます……」
そういうわけで、話し足りず消化不良のような顔をした殿下と、酔って消化機能が低下気味に見えるクラウス卿。
その二人と共に歩き出した。
気まずい空気に押し黙りながら、また土だるまを蹴り転がしながら歩いていく。
あ……、そう言えば刺客のことを二人に言ってなかった。だけど、今更話せる雰囲気でもないし……。
そう思ったわたしは二人に言った。
「ところで、わたしは警備騎士の詰め所に寄りたいので、お二人は先に帰ってもらっていいですか?」
「詰め所に?」
「こんな時間に何をしに行くんだ?」
訊ねられたので、ずっと転がしてきた、足元の土だるまを指し示した。
「なんだ、それ?」
「ボールかと思っていたら……、土塊? 土嚢か?」
わかってもらうため、土だるまを足でひっくり返して、目と口の部分を指す。
黒くてよく見えないけど、たぶんそこに顔があるはず……。
「……!?」
「なんだ、これは……人間?」
「……刺客です。どうやらわたしを狙ったみたいなんで、尋問してもらおうかと。ありゃ……、まだ寝てますねぇ……。気絶してるのかも? あ、身動きできないように土で固めてるので大丈夫ですよ?」




