エピソード86 伝わる殺意、伝わらない想い
晩餐を終えて辺境伯邸の広い庭園を歩き出した。
騎士団員達も隣接する宿舎のほうで食事をとっている頃だし、ここで行きあうとしたら、巡回している警備担当の騎士達くらいだ。
今も向こうから二人組の辺境伯邸の騎士達が歩いてくる。
「遅くまでお疲れ様です」
声をかけて敬礼をすると、敬礼が返ってきた。
「ジェマ殿、こんばんは!」
「今夜もお散歩ですか?」
「うん、そうなの。特に異常はない?」
「はい。防御結界に魔獣の反応はないです。
隣国とも今は平穏な関係ですしね」
「どちらにしても辺境伯邸に忍び込もうとするような命知らずの奴がいるとは、あまり考えられないですけどね」
まあ、確かにこんな軍部の要みたいなところを狙って攻めてくるなんて、相当な兵力か胆力でもない限り考えられない。
狙われるような要人も……、あ、今は殿下が滞在中だったな。
「皇族がご滞在中だから、念のため注意して見回ってね!」
一応、真っ暗闇にならないよう、要所にオイルランプ、それ以外は松明が等間隔に並んでいるとはいえ、視界が悪い夜間は特に警戒が必要だ。
「はい!」「了解しました」
振り返れば、今出てきた屋敷の大サロンの窓からは煌々と明かりが漏れていて、賑やかな笑い声が響いていた。
しばらく歩み続けていると、お気に入りのガゼボに着いた。いつものように椅子に腰をおろす。
ここに来て三ヶ月。辺境伯邸は居心地がいいし、気のおけない話も楽しめるようになってきたけど、お祖母様やお祖父様とは長くお会いできていない。
思い出すと寂しさが募ってきた。
部屋に戻ったら手紙を書こうと考えていると、不意に首筋にぞわりと冷たいものが走った。
これは……殺気?
慌てたけれど、なんとか素早く防御結界を張ることができた。
直後——、カンッという音と共に背中に強い衝撃を感じた。
なにか固い物が弾き飛ばされたようだ。
ついでそれが転がる音がして、振り向いた。
矢が飛んできたようだ。
結界が弾き返したものの、殺気に気付かなかったら危なかった……。
一体誰が?
どこから侵入したんだろう?
考える間もなく、続けてまた矢が飛んできた。
わたしを狙っている——。
どうして……?
矢は木の上から飛んできては、防御結界に弾かれてビュンビュン——と跳ね返された。
腕で頭を庇うように抑える。
結界を通してある程度衝撃を感じるから、鈍い痛みは伝わってくるのだ。
こちらから攻撃し返すにも、襲撃者の姿が見えないため、直接の魔術攻撃をしかけにくい……。
そこで、木の上まで魔術で跳躍した。
刺客の姿を目視で捉えた。
覆面をした黒ずくめだ。
「ひっ……近づくな! 化け物め」
「化け物だなんて失礼ね! 誰に頼まれたの?」
「言うと思うか!?」
「どこから入ってきたの?」
「問うても無駄だ!」
「じゃあ、後で尋問のプロさんにお任せすることにするわ」
生け捕りにするため、刺客に睡眠魔術をかけることにした。
片手の平を彼に向け、闇の帳を、頭上からゆっくりと下ろしていく——。
闇が形をとり、対象を覆っていった。
術にかかった刺客は木の枝から、ふらりと落下していく。
どすんと地に重いものが落ちた鈍い音がした。
骨の何本かくらいは折れてるかもしれないけど、わたしは刺客の怪我を気遣うほど優しくない。
意識のない刺客を地魔術で土だるまにしていく。
鼻くらいは穴を開けておかないと窒息するかも、と思い直して、顔のあたりだけ土を剥がした。
ポロポロと崩れたところから現れた覆面を外してみたけれど、知らない顔の男だ。
一体誰の手の者で、どうやってこの警備が厳重な屋敷に入り込んだのだろう?
素直に尋問で口を開いてくれるといいけど——そう思いながら、一見すると土の筒状の塊のようなそれを足で転がしてみると重かった。
このまま連行するのは骨が折れるので、軽量化の魔術をかけた。
ごろごろとそれを足で蹴り転がしながら、歩いていく。
庭園は平坦とはいえ、石ころは転がっているし、雑草なども蔓延っている。
足元の土だるまの顔——は散々なことになっているかもしれないけど、深く考えないことにした。
「——ジェマ、こんなところにいたのか、話がしたくて探してたんだ」
酒気が回ったまま、わたしを探していたのか足元がふらついているようだ。
「ギルベアト殿下……あなたは主賓です。あなたと辺境の皆さんが親交を深めるための晩餐の席だったのに、こんなに早く退出されては——」
「歓迎の晩餐というなら、……君だって早々に席を立たなくてもよかったのではないか?」
少し拗ねたような顔をした殿下に言われて、頭をかいた。
「す、すみません……。ただ、わたしはなるべく魔力を回復できるように早めに部屋に戻って眠るようにしているので」
「その話は辺境伯から聞いた。毎朝早くから浄化に出かけるためだろう?」
「はい……」
「真面目だな。そんなところも好ましいが……」
殿下の話ぶりはどことなく歯切れが悪いようで、呼気からは酒気が漂っている。
顔も赤く見える。
「お顔も赤いし、足元もおぼつかないみたいですけど、かなりお酒を召されたのでは? 大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ……。それより、話したかったことがあって。ゆっくり話せるところはあるか?」
「えっと、それじゃあ……ガゼボに行きますか?」
せっかくここまで来たのに、面倒だなと思いながら、足元の土だるまを軽く蹴って、またガゼボまで戻る。
二人並んで椅子に座ると、一つ咳払いをしてから殿下が切り出した。
「その……、君と別れてから気付いたんだ。胸の中にぽっかり穴でも空いたような気持ちに」
「……はあ、穴ですか?」
殿下は目を逸らして、気まずそうにしながらも言葉を続けた。
「君の言葉はいつも新鮮で、君が僕の尺度では到底測れない人だと思い知った。それに、戦闘時には頼もしい存在であり、同時に守りたい存在だとも感じていた」
殿下がわたしのことをそんな風に思っていたなんて、考えたこともなかった。
つまりわたしに対して、戦友的な印象を感じている、ということだろうか?
殿下はちらりとわたしの顔を見て、歯痒そうな表情になった。
「まったく、わかっていないようだな……」
なにがわかっていないというんだろう?
「人を鈍いみたいに言わないで下さい。つまり戦友のように思って下さっている、ということですよね?
烏滸がましいですが、とても嬉しいです」
自分で言ってみると少し照れる。
殿下ほどの実力者に頼りにされているのだ……。
認められた、という思いがじわじわと込み上げる。
「……やっぱり伝わっていないようだ……」
はて……?
伝わっているのに。
殿下は言葉を探しているのか、空を見つめていたが、意を決したようにわたしの顔を見た。
「はっきり言おう。これはその……恋愛、感情なのだと思う」
恋愛……?
意外な人からの意外な言葉に、誰か違う人についての話を聞いているかのような錯覚を起こした。
いや、これってわたしのこと……?
殿下が……わたしに恋愛感情を持っている、と?
いや、いや、いや……。
あり得ないでしょう。
恋されるようなことをした覚えもないし、好きになられる要素に心当たりはない。
それに、第一彼はイリーナの婚約者だ。
「——勘違いということは……?」
期待を込めて聞いたのに、直後に裏切られた。
「勘違いなどではない。君が好きなんだ。はっきりと自覚した」
「いや、……で、でも殿下にはイリーナ様というご婚約者がいらっしゃるのでは……?」
「婚約は解消する。父上にもその意思を伝えてからここに来た」
「えっ……こ、婚約解消——? イ、イリーナ様にも伝えたんですか?」
話がいきなり、飛躍していてついていけない。
「ああ、好きな人ができた、婚約を解消したいと伝えた」
「ま、待って下さい! イリーナ様はそれで納得されたんですか?」
「それは……まだだが、いずれ分かってもらうつもりだ」
「わ、わたしには……好きな人がいるんです」
「……誰だ? どこのどいつだ?」
殿下の目つきが鋭くなり、問いただす声音に苛立ちが籠った。




