エピソード83 瞳の奥に光るもの
部屋を訪ねてきたのは、クラウス卿だった。
てっきり、ニノかヘンリエッタだと思っていたので、思わず息を呑んだ。
こんな時間に女性の部屋を訪れるなんて、クラウス卿らしくない。
今日のことでまだ何か言い足りないことでもあったとか……?
「遅い時間にすまない。少しだけいいだろうか?」
「……はい。どうぞ」
深刻な顔付きだし、込み入った話があるのかと思って中に招き入れると、彼は扉を少し開けたまま、部屋に入ってきた。
さっきまで腰掛けていた窓際の椅子を勧めたけれど、「すぐに失礼するから」と座らないので、わたしも立ったまま彼に向き合った。
「よかった、起きていて」
「眠れなくて……」
彼が指先で、つと頬に触れた。
それだけでビクッと震えてしまった。
「すまない——驚かせて。……泣いていたのか?」
雫に濡れる彼の指先を見て、わたしは自分が涙で頬を濡らしていたのだと気付いた。
慌てて目元を指で拭うと、握りしめていたペンダントが床に落ちてコツンと音が響いた。
それをクラウス卿が拾い上げた。
お礼を言って受け取ろうとしたら、彼は手の中のそれを見つめて呟くように言った。
「……魔力を込め直しておこう」
「……どうして魔力が込められていたと分かったんですか?」
「……魔力の残滓が、まだ残っていたから」
「そうなんですね、残滓が……。もう感じられないと思ったのに……。
お気持ちはありがたいんですけど、これは……贈ってくれた恋人の気持ちが籠ったものなので、次に彼に会えた時、本人に魔力を込め直してもらいます」
わたしがそう答えると、クラウス様は口を開こうとして——やめたようだった。
言葉が見つからなかったようで、そのまま黙ってわたしの手のひらにペンダントを載せてくれた。
「大事にしているんだな」
「宝物ですから」
「その指輪……」
テオ副団長が作ってくれた指輪をクラウス卿が見つめた。
「これも大事なものなんです」
「そうか……」
クラウス卿は手を背に回して、目を逸らした。
「君は今日、酷い目にあったから、夜眠れないんじゃないかと思って来たんだ。
睡眠魔術を使ってもいいし、もし願うならソルカリスそのものの記憶を消してもいい」
「……精神干渉魔術を使えるんですか?」
凄いとは思っていたけど、まさかそんな魔術まで……?
精神干渉魔術は禁術ではないものの、皇室の禁書庫に収められている特級扱いの書籍にしか記載がないと聞く。
一介の伯爵家の養子がそれを知っていることに、驚きを隠せなかった。
「ああ……、忘れたほうがいいこともあるだろう?」
呟くようにそう言う彼には、忘れたい過去があるのかもしれない。
「それは……ソルカリスのことは夢に魘されそうなくらい怖かったですけど、ネームドだって、数体はいる可能性があるんでしょう?」
「ああ、まあそうだな。あんなのが、ごろごろいたら、討伐が大変だが」
「次に出逢った時に、今日の酷い経験で知ったことを活かせるかもしれないし」
「それはそうだが……」
「クラウス卿に助けて貰ったことも、……忘れたくない……です」
忘れてしまったら、クラウス卿がしてくれたことを無にしてしまう気がする。
二人で分かち合った時をなかったものにしたくは、ない。
ロイに対して、少し後ろめたく思うことになるとしても……。
「……分かった」
クラウス卿の探るような視線が、わたしの顔に留まった。
まるで何かを確かめるように。
彼の瞳はロイと同じ色をしていた。
「君の瞳は……本当に綺麗だ」
瞳は本来のわたしの瞳のまま……。
それを褒めてくれるなんて。
頬に熱が籠っていき、俯いて顔を隠す。
「クラウス卿、そんなこと、女性に軽々しく言ったら誤解させてしまいますよ」
「……そうだな。すまない、つい……」
「余計に寝付けなくなったらどうしてくれるんですか!?」
そう言って、背中を押して扉のところまでずんずんと追い立てた。
「やっぱり睡眠魔術で……」
「結構です。では……お休みなさい」
彼を追い出すやいなや、閉めた扉に背中を預けて大きく息を吐いた。
彼の足音が遠ざかっていくのを、しばらく動けずに聞いていた。




