エピソード84 胸に残った温もり
結局その夜は、眠りに落ちそうになる度に、ソルカリスの恐ろしい姿がまざまざと思い出された。
水差しの水を飲んでみたり、寝る姿勢を変えて気分転換をしてみても、同じだった。
噴気音の幻聴が聞こえ、ぬるぬるした長い身体に巻きつかれる想像に飛び起きてしまう。
胸は早鐘を打ち、冷や汗を掻いていた。
結局、明け方になって魔力がある程度回復していたので、睡眠魔術を使って寝た。
テオ副団長にはゆっくり寝ていてもいいと言われていたけれど、目が覚めたら昼を過ぎていた。
まだ身体に疲れが残っていて、目はしょぼしょぼする。
とりあえず身支度をして騎士服でサロンに行った。
皆はもう昼食を終えたところで、クラウス卿とローズがお茶を飲みながら話していた。
クラウス卿がこちらに気付き、気遣うような顔をした。
「あまり眠れなかったようだな」
彼も疲れていたはずなのに、わたしと違って爽やかな顔をしている。
「お疲れがとれていないようでしたら、回復しましょうか?」
ローズが聞いてくれた。
「ありがとうございます。でも大丈夫、少ししたら回復すると思います」
「魔力も回復したのか?」
「はい、お陰さまで少しは……」
クラウス卿に訊ねられて、確認するように体内のマナを探りながらそう答えた。
「この——辺境の川で採れたエーテルフィッシュという魚を食べてみるといい」
「エーテルフィッシュ? 初めて聞きます」
「魔力の回復が早くなる気がするんだ。地元では精がつくと人気で、数はそれほど獲れないんだが——」
「朝早くから、ジェマ嬢のために釣ってきたんですよね、隊長?」
横から話に口を挟んできたのは、副隊長のニックだ。
クラウス卿の脇を肘でぐりぐり突いて、気安い態度だ。
「わざわざ、釣ってきて下さったんですか?」
「いや、まあ……早くに目も覚めたし。散歩のついでだ……」
散歩ついでに釣りをするというのは無理がある気がする……。
彼も疲れていたはずなのに、早起きをしてまで釣ってきてくれたのだろうか?
じんわりと胸が温まった。
「ありがとうございます。いただきます!」
「あ、ちょっと待ってくれ」
魚はフライにしてあったけど、冷めていたのでクラウス卿が火魔術で温めてくれた。
熱々の魚は美味しい。カリッと揚がっていて、身がぷりぷりしている。
「おいひいれす! こんなおいひい魚、はじめてれす……!」
ハフハフ言いながらも、味わって食べる。
そんなわたしの様子をクラウス卿は満足気に見守っていた。
「わあ〜っ、……なんだか本当に力が沸々と湧き上がってくる気がします! むんっっ!!」
おどけて力瘤を作ってみせると、彼は相好を崩して笑った。
ふとローズが俯いているのが目に入った。
「ローズ様も食べてみて下さい。力が湧いてきますよ!」
「……あっ、私は大丈夫です。もうお腹がいっぱいで」
ローズはそう言って微笑んでみせたけれど、また膝に目線を落とした。
気をつけて見てみると——何か包みのような物を膝に置いている。
そして、ニックとクラウス卿の軽口の応酬のタイミングを見て、包みを持ち上げては下ろしているようだ。
もしかして、膝の上の包みを渡したいのだろうか?
「ローズ様、それは何ですか?」
訊ねると、ローズはビクっとしたけれど、テーブルの上にそれを出した。
「クラウス卿に差し上げたくて、手巾に刺繍を刺したんです……」
クラウス卿がそれを聞いて、包みに目を留めた。
「——刺繍を? ありがとう……」
「いえ、私はあまり器用じゃないですし、ほんの手慰みのものなのですが……」
クラウス卿が包みを開けると、辺境伯家の家紋と馬の刺繍が施されている手巾だった。
手の込んだ刺繍……。気持ちが込められている。
「凄く上手だ。ありがとう、大切に使わせてもらうよ」
ローズは頬を真っ赤に染めて「はい」と小さな声で返事をした。
その恥じらった様子といい、この包み一つを渡すのにも、緊張していた様子といい——。
なんて可愛いんだろう。
わたしが男性なら、きっとローズみたいな令嬢を好きになると思う……。
傍目にもお似合いの二人を微笑んで見守りたいのに、なぜか口角が上手く上がらない。
先ほどまで胸にあった温かさが、どこかへ消えてしまったようだった。
「良かったですね、クラウス卿! ローズ様は謙遜なさるけど、刺繍がとってもお上手ですよね」
そんな一幕があった翌日、ミリアム聖女とローズは辺境邸を去っていった。
その二日後、第一皇子から、チェシアレン辺境伯宛にこの地を訪れたい旨の書簡が届いた。
訪問目的は、視察と、自身が率いる第一部隊と辺境派遣騎士団との合同訓練を兼ねて、ということだそう。
そういえば、少し前に殿下はトルエンデ邸にも来ると書簡を送ってきたらしい。
お祖父様からの書簡によると、わたしがどう過ごしているのかと書簡で訊ねられて、合同訓練のために辺境に遠征に出ていると返事を送ったそうだ。
結局その後トルエンデ邸には来れなくなったと連絡があったそうだけど——。
そういうわけだから第一皇子はトルエンデ騎士団もここに滞在していることを知っているはずだ。
それなのに、第一部隊という大所帯で押しかけてくるなんて、辺境伯に迷惑だとか考えないんだろうか?
帝都から辺境まではかなりの距離もあるのに……。
そのせいでチェシアレン辺境伯もクラウス卿も、魔力抑制も、近くのバロイエル伯爵家で依頼しているくらいだし。
わざわざそんな辺境まで、帝国の皇子が訪ねてくるなんて異例のことだ。
「ジェマも森の辺りまで出迎えに行きますか?」
テオ副団長に聞かれた。
滅多にない皇族の訪問なので、関所から来訪を知らせる伝書鳩が飛んでくるなり、一部の団員達は近くまで出迎えに行く準備をしている。
「昨日の魔窟討伐の疲れがまだ残ってるので、ここで待ってます」
「嘘でしょう? さっき例の歌、口ずさんでいましたよね? 顔色も良いみたいですし」
小さく舌打ちした。テオ副団長は無駄に耳もいいし、勘も鋭い。
「聞こえましたよ! 令嬢が舌打ちとは、嘆かわしい。トルエンデ公爵邸に戻ったら、行儀作法を忘れさせた罪で、きっと私は伯父上に首を絞められるでしょうね」
いくらなんでも、それはないだろう……。
「じゃあ、歯に衣着せず言いましょう! 面倒なのでここで待ってまーす」
開き直ってはっきり言うと、返ってきたのは特大の溜め息だった。
「私だって、別に早く皇子殿下にお会いしたくて、行くわけではないですよ?
トルエンデ騎士団の代表として歓迎の意を示さなくては、と考慮してのことです」
「さすが副団長! 騎士団のためにいつもありがとうございます、頭が下がります」
「……なので、あなたも早く身支度を整えて下さい」
「何故ですか? さっき副団長はわたしに『行きますか?』って疑問形で訊ねましたよね?」
「あなたを試したのですよ。トルエンデ騎士団の象徴である戦乙女の心構えというものが、備わっているのか——」
「ご期待に添えず、大変申し訳ありませんが、備わっていませんでした」
「いいから、首根っこを掴まれる前に準備して下さい」
ギロリと睨まれ、仕方なく食後のお茶を切り上げた。




