エピソード118 信じる男、疑う男
薄衣一枚で団長の腕に身体を預けたまま、扉の向こうを見やると、マノンと殿下、それに——クラウス卿がいた。
彼が茫然とわたしを見つめる瞳。
——その瞳が、驚きから徐々に様々な感情を表すように変化していく。
そこでわたしの頭は思考をやめて真っ白になった。
だけど、言葉を失くしたわたしの目の前で、まるで悪夢のような芝居が展開されていった。
「——奔放な女性にも、そそられるね。お相手はその男じゃなくてもいいんじゃないか?」
ギルベアト殿下がそう口にした時には、まるで頬を叩かれたような痛みを覚えた。
隣りに立つクラウス卿も殿下と同じように感じたのではないか——そう考えると胸が張り裂けそうだったのだ。
そして殿下はこう続けた。
「——だったら僕が立候補しよう。ただし、僕の相手になる以上、他の男とは縁を切ってもらうが……」
殿下がそう口にした瞬間、張り詰めた空気が不穏なものに変わった。
「……ふざけるな——」
クラウス卿がくぐもった低い声で凄むように呟いた。
だけど、殿下は口ぶりよりも感情が昂っているようで、クラウス卿の声が聞こえていなかったようで、そのまま話を続けた。
「——さすがに噂だけじゃなく、他の男に肌を許していたんだ。正妃とするのは難しいだろうが、側室としてなら……」
「ふざけるな、と言っている——」
殿下がハッとした顔をして振り返った時には、クラウス卿は全身からどす黒いオーラを放っていて、怒りに満ちた視線で射抜くように彼を睨んでいた。
「——ジュディーは断じてそんな女じゃない……」
改めてクラウス卿の様子を見て、殿下も怒気を孕んだ声で言い返した。
「……だが、実際にこの目で見たのだぞ? 男と寝所で——。到底、何もなかったとは思えない!」
「——それでも……。ジュディーはなんとも思っていない男と自分の意思でそんなことをするような女じゃない!」
二人が睨み合い、互いの怒りをぶつけ合うなか、取り残されたような、情けない気持ちで見守ることしかできない自分に腹が立つ。
「男と二人——夜中に部屋でいたとしたら。それが本人の意思だとしたら……それはこの男に惹かれて——いるということだ」
血を吐くようにそう言うクラウス卿の拳は固く握り込まれていた。
それを見ているだけで胸が痛み、いつの間にか唇を噛み締めていたわたしの口の中に、鉄錆の味が広がった。
「……だが、噂では彼女は複数の男達と——関係を持っていると……」
殿下はよく見れば青褪めた顔をしていて、片手を額に当てた。
「ジュディーをそんな女だと思うなら、今すぐに彼女から手を引け——」
クラウス卿の放つ殺気に、殿下は一瞬後退りしたけれど、皇子の威厳を取り戻そうとするかのように、踏みとどまった。
「貴様……! 誰にものを言っている? ジュディリスは僕が心に決めた女だ。手を引くつもりはない」
「殿下に、その資格はない——」
そう言い捨てざま、クラウス卿が手袋を脱いで殿下に投げつけた——。
その瞬間、ただでさえ張り詰めて凍てつくようだった空気が、氷点下に変わったように、誰一人言葉を発することも、身動きすることもできなかった。
——最初に声を発したのは、ずっと黙り込んで状況を見守っていたアレン団長だった。
「……その、二人とも落ち着いて。なんというか——なにも決闘まで……しなくてもいいのでは?」
団長なりに考えての発言だったと思うけど、そのひと言はこの場を収めるどころか、起爆剤になってしまったようだった。
「——貴様、今なんと言った?」
殿下の低い声に、アレン団長の大きな身体がひと回り小さくなったように見える。
「い、いえ……。少し冷静に、落ち着いて考えた方がまるく収まるのではないかと……」
「ふざけるな! 誰のせいでこんなことになっていると思っているんだ!」
殿下の怒りが団長に向くのを見ては、黙っていることもできない。
団長はわたしの計画に協力してくれただけなのだから。それで、わたしは沈黙を破って発言した。
「だ、団長のせいではないです……。わ、わたしがこんなだから——」
「そ、そうだ……よな。ジュディーが奔放だから——」
団長は最後まで言い終えることができなかった。
横からクラウス卿に殴りつけられたから。
「……アレン、団長——。口にしていいことと悪いことがありますよね。——あなた……お前は——彼女を弄んだのか?」
クラウス卿の殺気に威圧されて、団長は殴られたのに文句も言えずタジタジな様子だったけれど、なんとか言い返した。
「……いや、そういうわけではなく——お互いに割り切って遊んだだけ——」
またもや団長は最後まで言い終えることができなかった。今度はクラウス卿にお腹を膝蹴りされたのだ。
「ブホッ……!!」
床に転がって、苦しそうにお腹を抱える団長を見て、申し訳なさと焦りで立ち上がった。
「——や、やめて……! やめて下さい。団長は悪くないんです。わ、わたしが……軽い女だから——」
下着姿なのも忘れて、団長を庇うように前に立ちはだかった。
正面に立つクラウス卿を見つめると、哀しみを湛えた瞳の奥に、痛みが滲んでいた。
「……この男は君の名誉を傷付けたんだぞ? それなのに——庇うのか?」
その時——いつの間にか姿が見えなくなっていたマノンの声が聞こえた。
「……こちらです、テオドール卿」




