エピソード117 最悪の観客
舞踏会では、殿下や招待客の男性達と何曲か踊った。
深夜が近づく頃には、大広間を埋めていた客人達も少しずつ帰路につき始めた。
別れを惜しむ挨拶の声、響く靴音、見送りのため開閉される扉の音。
賑わいの中心は、広間から玄関ホールへ移ったようだった。
客を見送る従僕達の声や、客人達が次々と馬車へ乗り込む気配が伝わってきた。
賑やかだった空間は、徐々に静けさを取り戻していく。
だけど、その喧騒から少し離れたこの一角で、テオ副団長が実に手際よく殿下の杯を空にしては、新しい酒を注いでいた。
「宮殿の酒には及びませんが、公爵家の酒蔵もなかなかのものですよ。なにせトルエンデ公爵閣下は酒豪ですから……」
「確かにな……。公爵の領地には有名な葡萄の産地もあるが、あの地は——」
上機嫌に笑う殿下の頬は、すでにかなり赤くなっていた。
「殿下、わたしは酔ったようなので、そろそろ部屋に戻って休みます」
マノンが近くに歩み寄って来たのを見て、殿下に暇を告げた。
「——そうか、では僕もそろそろ……」
侍従を呼ぼうとした殿下の言葉を遮って話を続けた。
「いいえ、殿下はどうぞごゆっくり。せっかくお忙しい中、公務のご都合をつけてお越し頂いたんですもの」
わたしの言葉を補うように、テオ副団長も続けた。
「もう夜も遅いし、帰り道も心配です。よければ泊まられては?」
「——しかし、護衛の数も多いし……迷惑をかけるだろう?」
遠慮をする殿下に、お祖父様が口を開いた。
「ここはトルエンデの騎士団員達の宿舎も隣接していますから、気にしないで下さい」
「そうか……?」
「そうですよ、さあ……そうと決まれば、もう一杯どうぞ」
なんとか殿下を引き留めることに成功したようだ。
そうとなれば、わたしにも準備がある。
「では殿下、……お先に失礼します」
「——ああ、明日帰る前にでも……また君と会えるだろうか?」
微笑んで頷くと礼をとり、マノンを伴って静かにその場を後にした。
広間を出ると、ミュゲルが待機していた。
誰かに姿を見られないよう、フード付きのマントを差し出してくる。
そしてミュゲルは、わたしの自室ではなく、泊まり客用に開放された部屋へと、人目を避けながら先導した。
——ここまでは予定通りだ。
部屋の前でミュゲルとマノンと別れた。
マノンには、この後してもらうことがあった。
部屋では、計画のために来てもらっていたアレン団長がベッドに腰を下ろして待っていた。
「よお——。ことは順調に運んだようだな」
「お陰さまで。でも……ちょっとネロリの香が濃すぎませんか?」
「マノン嬢が気を利かせたつもりなんだろう」
「気を利かせてどうするつもりなんでしょうね?」
「どうするって……そ、その方が雰囲気が出るからだろう」
「なんだか、ちょっと湿っぽいし、暑いです。窓開けますね」
ワインを何杯か飲んだせいか、身体が火照って暑い。
窓を開けてネロリの香りが薄まると、ようやく息を吐ける気がした。
さて、どうすれば“それらしく”見えるんだろう?
テオ副団長は『兄上に任せておけば大丈夫でしょう』と言っていたけど……。
「まず、どうすればいいですか?」
「ど、どうって……その、髪を解いてドレスを脱いで、ベッドに横になっていればいいんじゃないか?」
「ええっ……! 肌を晒せと?」
「んなこと言ったって……。まあ下着姿くらいにはなっていないと不自然だろう?」
「……わかりました。じゃあ、脱ぎますけど——、絶対にこちらを見ないで下さいね」
「だ、誰が見るか。お前の……なんて、木の棒を見るのと大差ない」
ぐっ……。悔しい……。なんて言い草だろう——。
どうせ、わたしを女性として見ていないのだ。少しくらい揶揄っても害はないだろう。
仕返しに、少しはドギマギさせてやろうかな。
団長が顔を背けたのを見て、髪を解いた。
ドレスも脱いで身軽になる。
ただ、ステイだけは背中側で紐を編み上げて締めているので、一人では解けなかった。
「団長、脱がせて下さい」
そう言うと背中を向けて待つ。
団長が床を軋ませて近付き、不器用な手つきで紐を解いていく。
やがてステイが、はらりと外れた。
そしてシルクのシフト姿になったわたしは、ベッドの天蓋から下がっているカーテンをタッセルで縛った。
扉口からよく見えるようにしておかないと。
——このお芝居が上手くいけば、観客になったギルベアト殿下は、わたしを娶りたいとは思わなくなるはずだ。
代わりに、世間でのわたしの評判は酷いものになるだろうけど……。
「ぴったりくっつきますからね。変な気を起こさないで下さいね」
そう注意を促してからベッドにいる団長の隣に座り、ぴたりとしなだれ掛かる。
胸にもたれかかると、団長がビクッと反応した。
「本当にやるんだな?」
「はい、疑問の余地が残らないように、お願いします」
団長が「少し着崩れていた方が、それらしいな」と言って、わたしの襟元を広げた。
わたしは衣一枚なのに、団長が服を着込んだままでは不自然ではないだろうか。
気を遣って脱ぎにくいのなら——と上衣の釦に指をかけたが、うまく届かずもどかしい。
それでなくてもお酒のせいで火照っているのに、余計な体力を使わせないでほしい。
疲れるし、暑い……。
窓から涼やかな風が入ってきて、火照った首筋を冷ましてくれた。
「ふうっ、涼しくていい気持ち」
それにしても——テオ副団長は、団長に任せておけば大丈夫と言ってたけど……。
団長がそれほどもの慣れているように見えないのは気のせいだろうか?
この部屋にマノンが殿下を連れてきても、わたし達の間に怪しい空気感みたいなものを感じるんだろうか?
せめて寝転がるくらいはしてないと、おかしいのでは? ——そう考えて、やる気がなさそうな団長を押し倒して、ふざけたり揶揄ったりしていたら、廊下から話し声が聞こえてきた。
マノンの声だ……。
団長と頷き合って、互いにぴったり身を寄せたところで、ノックの音がした。
「失礼します! お嬢様……こちらにいらっしゃいますか?」
開かれた扉の向こうに三人の人影が見えた。
次の瞬間、思考が停止した……。
——どうして?
どうしてここに、彼が——クラウス卿がいるのだろう?
見開かれた翠の瞳。
その視線は、身体の芯まで凍りつかせるほど冷たかった。
——わたしは息をすることすら忘れた。




