エピソード114 再会のワルツ
贅を凝らした華やかな夜会の会場で、彼は現れた瞬間、人々の注目を集めた。
そして、騒めきや目線を纏わりつかせたまま、まっすぐにわたしの所へ歩み寄ってきていた。
その藍色のジュストコールに身を包んだ男性に、見つめられた瞬間、わたしの耳から完全に騒めきが掻き消えた。
堂々とした身のこなしだけでも人目を引くのに、洒落た夜会服姿の彼を見て、胸が高鳴らない令嬢がいれば教えてほしい。
久しぶりに会うから、余計にそう感じるのかもしれないけれど、視線を彼——クラウス卿から外せなかった。
「久しぶりだな……。会いたかった」
「——お久しぶりです。わたしも、お会いしたかったです」
わたしの身体、どうかしてしまったみたい。
顔や手足がありえないくらい熱くなって、全身の神経が敏感になっている。
最後に会った時のことが頭をよぎった。
告白はただの——その場の空気に流されただけの、間違いだったと彼に謝られた時のことだ。
直前まで感じていた浮き立った気持ちが萎んで、
やりきれない胸の痛みと喪失感を感じたことが蘇った。
——思い出しても辛くなるだけ。
人を期待させるだけさせておいて、拒絶した酷い人だと自分に言い聞かせないといけなくなるから、心の奥に蓋をして鍵までかけたのに……。
目の前の彼は、わたしを傷つけたことなど知らぬげに、飄々として見える。
だけど、わたしにも彼を責める資格なんてない。
ロイという恋人がいるのに、彼のことも好きだなんて——噂通りの背徳の令嬢のようだ。
わたしの葛藤も知らず、アレン団長が頭越しにクラウス卿に声をかけた。
「——クラウス卿。着いて早々にこんな所に顔を出すなんて、いくらなんでも疲れてないのか?」
「大丈夫だ」
団長はクラウス卿が来ることを知っていたようだ。
問うような視線をアレン団長に向けた。
「ああ、言ってなかったか? ついこの間、うちの騎士団と辺境派遣騎士団で共闘することがあったんだが、その時クラウス卿が帝都に来る予定だと聞いてな。それなら是非トルエンデ邸に滞在してほしいと誘ったんだ」
「そうだったんですね。じゃあ……わたし達が屋敷を出た後にトルエンデ邸に着いたばかりで?」
「——ああ、まあ。たまにはこういう場に顔を出さないと知人達に顔を忘れられそうだしな」
一瞬、それほどわたしに早く会いたかったのかも——なんて期待してしまった自分が恥ずかしい。
クラウス卿はわたしに向き直った。
「せっかくだし……ダンスを一緒にどうかな?」
——彼とのダンス……。
辺境では夜会はあっても踊る機会はなかった。
「——喜んで」
声が上擦ったのに気付かれただろうか?
彼のひと言がわたしを舞い上がらせ、気落ちさせる。彼はいったいどうしてこうもわたしを翻弄してくるのか——。
団長は背中を押すように言った。
「行ってこい。俺はしばらくご婦人達に捕まらないよう適当に逃げ回ってくるよ」
クラウス卿に差し出された手を取り、広間の中央に向かっていると、女性たちの聞こえよがしな囁き声が耳に入ってきた。
「どうして殿方は皆、自らあの女の毒牙にかかりにいくのかしら?」
「ふんっ、あんな女——遊ぶにはよくても、妻にするには体裁がねえ……」
鋭い言葉に胸がずきりと痛んだけれど、今更なんと言われても仕方ない、と自分を慰めた。
狙った通りの効果が表れているということだから、喜ばしいことのはず。
だけど……クラウス卿の耳にも入ったかもしれない、そう思うと胸を締め付けられる気がした。
彼は不意に足を止めると、女性達に顔を向けた。
「わ、わたくし達は本当のことを話していただけですわ……」
慌てて扇で顔を隠して言い淀む女性に、クラウス卿は悪びれない態度で話しかけた。
「彼女になら毒牙にかけられても本望かもしれません。そう思う男は私だけではないと思いますし、他人の陰口を聞こえよがしに口にする女性より、妻にしたいと思う男は多いんじゃないですか?」
「……聞こえよがしだなんて——そんなつもりは……」
女性達は周りの人達の視線を集め始めたことに気付いたように、こそこそとその場を立ち去っていった。
——どうして彼は……こんな風に、なんでもないことのようにわたしを守ってくれるの?
白手袋越しにそっと手を握ったまま、わたしに肩を竦めてみせた彼には、なんの気負いもなさそうだ。
この人は……タチが悪い人なのかもしれない——。
また歩き始めた時には耳障りな声はもう聞こえなくなっていた。
そして広間中央の踊り場でクラウス卿と向かい合うとつま先を開き、流れてくる三拍子の古典的な楽曲の旋律に合わせて、膝を軽く折り、すぐに背を伸ばした。
片足を横に滑らせて踊り始める。
一歩進んでは下がり、円を描くように回り込む度、ドレスの裾が絨毯をかすめる。
無骨なリードを想像していたけど、彼は大胆なステップを踏みながらも、意外に足運びも優雅だ。
こういう場には滅多に出ない人だと聞いていたのに、慣れているみたいで胸が騒めいた。
チェンバロの、溢れるように軽やかな音が波のように広がり、ヴァイオリンの旋律がそれを追う。
その優美な音楽の合間——。
彼の視線や、腰に時々触れる手。
衣擦れの音、使っている石鹸の香り——。
それらが五感をくすぐり、心が浮き立つ。
自然に視線が絡み合い、互いに微笑が溢れた。
穏やかな速度なのに、回転の度に動悸は速まり、長い脚がステップを踏む度に息を呑んだ。
フロアにS字の軌跡を描くように、距離を保って向き合ったり、横に並ぶだけなのに、距離が近付けば、靴底が絨毯を擦る音や吐息の近さに、意識が持っていかれる。
そんなわたしの耳元に彼が話しかけてきた。
「アレン団長とは——
仲がいいんだって?」
わたしは深く考えずに答えた。
「まあ——
いい方だと思います」
それからは、ダンスの足運びに気を取られていたのか、彼は喋るのをやめて口元を引き結んでいた。
それでも時々、何か言いかけるように口を開いては閉じていた。
楽曲が終わり、拍手の中で息を整えていると、クラウス卿に「行こうか」と声をかけられた。
てっきりパートナーのアレン団長のところに行くのか思ったけれど、「アイスでも食べないか?」と誘われた。
軽食が並ぶ談話室の方へ向かいながら、彼は辺境の近況について語った。
わたしの浄化のお陰で川で魚を獲る領民も増えたそうだ。
クラウス卿の言った通り、談話室には何種類かのアイスクリームが用意されていて、彼はナッツ入りアイスを選び、わたしはラズベリーを混ぜ込んだアイスを選んだ。
「——ナッツ入りがおすすめなんだがな」
「今日はラズベリーの気分なので」
「ひと口食べてみないか?」
そう言ってアイスを掬った匙を、彼がわたしの口元に差し出した時には、動揺で顔が赤くなった。
「——え、これ……」
「絶対美味いから」
凄く恥ずかしかったけど、彼の差し出す匙に目を留め、思わず口を開いていた。
——差し出された匙が、唇の間へそっと滑り込む。
目の前で反応を見つめるクラウス卿の顔をまともに見れず、目を伏せて冷たいアイスを口に含むと、舌の上で溶けていく感覚に目を細めた。
「美味しい——です」
「…………だろう?」
なぜか彼も数拍遅れて、目を逸らし、咳払いをした。
そして、しばらくお互い無言でアイスを食べていた。
冷えていくはずの頬は、いつまでたっても熱いままだ。
「アイス、好きなんですね。知りませんでした」
「この屋敷には氷魔術が得意な友人がいるから、絶対アイスの用意があると思ったんだ」
彼の友人というのは、クレリヴァン侯爵家の人なのだろうか?
そう考えていたら、クラウス卿に親しげに声をかけてきた人がいた。
「おっ! 思った通りここにいたか。やっぱりうちにはアイスクリーム目的で来たんじゃないか?」
おおらかな口調の男性は、クラウス卿と同じくらいの年齢に見えた。
「久しぶりに会うっていうのに、俺に顔も見せずにアイスを食ってるなんて、どういう——。おや、これは……」
男性が、わたしの姿を認めるなり言葉を途切れさせ、目に警戒の色を纏わせたことに気付いた。
おそらく彼は知っているのだ。わたしの噂を——。
きっと友人のクラウス卿に忠告するだろう……。
胸の奥に冷たいものが広がっていった。




