エピソード112 綻びの見えない微笑み
二曲目のダンスが終わると、早々にギルベアト殿下がわたしの方に向き直った。
そして殿下がこちらへ歩み出した瞬間、近くの談笑が途切れた。
扇の陰から向けられる視線、息を潜める令嬢達。
誰もが、次に何が起こるかを見届けようとしていた。
——次の為政者としての彼の人となりを見定めようとする視線。
誰を新たな婚約者に選ぶのか——それもまた指標になるのだろう。
もっとも、年若い令嬢達の多くは、そんな視点ではなく、憧れや恋心から彼を見つめているのだろうけど。
お祖父様はわたしが表情を強張らせたことに気付いたようだ。
「踊りたくなければ、断ったらいい。代わりにうまく言ってやろうか?」
「いいえ、ここで逃げても意味がないし——わたしが評判を落としたら、お祖父様達にも少なからず迷惑をかけるんだもの。殿下がどうするつもりか最後に確認しておきたいの」
きっぱりと気持ちを伝えると、お祖父様は励ますように肩を叩いた。
「そうか……。お前の思うようにすればいいんだからな」
そう言い置いて、殿下と挨拶を交わしお祖父様は去っていった。
殿下は一礼して口を開いた。
「踊って頂けますか?」
「はい。よろしくお願いします」
彼は優雅にわたしの手を取ると少し気取った笑みを浮かべた。
「——ジュディリス嬢。いや……ジェマ——と呼ばせてもらっていたんだから、同じようにジュディリス——と呼ばせてもらっても構わないか?」
殿下は儀礼に則って、手袋越しに軽く手を握っていただけなのに、その一瞬——指に強い力がこめられた。
まるで否という言葉は受け付けないと、決して離すつもりはないという意思を伝えられた気がした。
「——ええ、それは構いませんが、公式の場所では適切な距離感が必要だと思います」
「了解した。君の望むように振る舞うつもりだ」
どうしてだろう?
こんな言葉さえ、殿下が言うと見せかけだけの従順な振りに思える。
「改めて、父や継母、それに妹がしでかした騒動をお詫び致します。それから、禁書庫でお骨折り頂いたことに心から感謝申し上げます」
「さっきも言ったように、僕と君の仲じゃないか。
今更そんなことを気にしなくていい。
それに、ジュディリスは悪くないさ。悪いのはあの性根の腐った毒女とその母親、それにラヴォイエール侯爵だ」
一瞬、冷たいものが胸に落ちた気がした。
——性根の腐った毒女……彼がそう評したのは、自分の元婚約者だ。
イリーナがわたしにしたことは許せない。
それでも殿下には懸命に尽くしていたはずだ。
元婚約者へ向ける言葉としては、あまりに情がなかった。
やっぱり、殿下にはどこか冷徹な一面がある。
不要な者は即座に切り捨てる——。
その反面、意に従わない者でも、必要だと思えば、手段を選ばず手に入れる——。
そんな強引な資質を感じた。
それは将来、彼が為政者になった時、国の行く末にどう影響するんだろう?
そんなことを考えながら、殿下とワルツを踊った。
彼の足取りは淀みなく、わたしは導かれるまま磨き上げられた床を滑るように動いた。
まるで一歩先を読むような殿下の流麗な動きは、わたしに迷う隙を与えないようだった。
腰に添えられた手も、重ねた指先も礼儀にかなっているのに、不思議と心は安らがない。
周囲には優雅な一組に見えているのだろうけど……。
羨ましげに見守る令嬢達の視線とは裏腹に、わたしの心が浮き立つことはなかった。
「ところで、ジュディリス。大聖堂からの召喚にはいつ応じるつもりだ?」
「屋敷のことや……処理しないといけないことが色々ありまして。落ち着いたら、とは考えているんですが」
誤魔化すようにそう答えると、殿下は微かに眉根を寄せた。
「忙しいのかもしれないが、できるだけ急いだ方がいい」
「そうですね……」
「僕が正式に立太子される日も遠くないだろう。母はそれまでに新たに婚約者を立てるつもりだ」
「……そうなんですね」
できるだけ無関心を装って答えたけど、殿下はわたしの顔を真正面から見てはっきり言った。
「僕の婚約者として——君なら問題ないと思っている。だが、正式に聖女候補として認められておくに越したことはない」
「何度言われても、わたしの答えは変わりません。あなたの婚約者にはなれません」
はっきりともう一度わたしの意思を伝えた。
だけど、殿下は頑なな態度を崩すことはなかった。
「その返答は受け付けない。僕の妃として相応しいのは君だけだと思っている」
強い口調で言い切った彼の微笑みに綻びは見えず、完璧なものに見える。
腰に添えられた手だけが、ほんの僅かに強くなった。
——やはり、計画通りにことを進めなくては。
胸の奥で決心を固めた。




