エピソード111 今日だけは、ジュディリスとして
ジュディリスだった頃、わたしはデビュタント前に姿を消していた。
だから、名だたる舞踏会に招待されるために——まずは通過儀礼である宮廷でのデビュタントボールに参加することにした。
ちょうど今が社交シーズンでよかった。
付き添いのシャペロンはお祖母様が、パートナーはアレン団長がつとめてくれることになった。
身につけた、白いチュールレースに覆われた五段のティアードドレスは、光沢のあるシルク。裾には無数の小花や鳥の刺繍があしらわれている。
ティアラに嵌め込まれたローズカットのダイヤモンドは清楚な輝きを放ち、長手袋や扇、靴は全て白。デビュタントらしさいっぱいだ。
お祖父様は着飾ったわたしの姿を見て声を詰まらせ、お祖母様は感極まって、流した涙を手巾で拭った。
そんな二人の姿に、わたしまで目頭が熱くなる。
晴れ姿を見てもらえてよかった。
これから、社交界で“奔放な令嬢”を演じなければならないけれど、せめて今日だけは祖父母に誇れる孫でいたかった。
馬車で向かった先で、初めて見たロッコ様式の宮殿は、想像以上に絢爛豪華だった。
この時ばかりは、いつものように建物を鑑賞する余裕もなく、正面玄関を前に、緊張で心臓がバクバクした。
隣に立つお祖母様に指示されたように、小姓に名前カードの一枚を手渡し、広間の控えのサロンに向かうと、そこで一人になった。
他のデビュタント達と言葉少なに会話をしながら呼び出しを待つ間も、胸が早鐘を打っていた。
デビュタントの中で最上位の令嬢として最初に名を呼ばれた時にはすっくと立ち上がったものの、周りの視線を意識して、しゃちこばってしまった。
それでもなんとか、謁見の間につながる、多くの絵画が飾られた長広間に入っていく。
入り口には二人の係官が控えていて、一人に名前カードを渡し、もう一人は左手に抱えていたドレスのトレーンを杖で広げてくれた。
儀礼長官に名を読み上げられて入場し、皇帝陛下と皇后陛下に、深々とカーテシーを披露する。
「そなたがジュディリス・フォン・ラヴォイエールか。色々と話しは耳にしている——辺境での活躍も目覚ましかったとか。
今は祖父母のもとで静養しながら研鑽を積んでいるそうだな」
「栄光ある皇帝陛下に拝謁いたします。
微力ながら皆様のお力になれるように精進していきたいと思っております」
「うむ、期待しているぞ」
皇帝陛下の存在感には、近くにいるだけで威圧される気がした。
けれど、厳格そうなお姿に反して、お声は温かかった。
皇后陛下は美しく、隙のないいずまいでわたしを見定めるような目を向けた。
「陛下のご期待に応えるように」
感情のこもらない冷ややかな声をかけられた。
「——お言葉胸に留めます」
ただでさえ緊張していたので、硬い声でどうにか返答したものの、足が震えてしまった。
なんとか謁見を終えた後は、深く息を吐き出して緊張を解いた。
待ってくれていたお祖母様はそんなわたしを微笑ましく見つめ、「立派だったわ」と声をかけてくれた。
そしてお祖母様に伴われて舞踏会場の入り口に向かい、そこでお祖父様と待っていたアレン団長に引き渡された。
実は、騎士服姿しか見慣れない、粗野な印象のアレン団長が、改まった礼装のジュストコールを着こなせるのだろうか? と心配していた。
だけど、今日は正直驚かされた。
——きっちり整えられた髪型。
——鍛え上げられた身体にぴったり合う衣装。
「——本当に団長ですか?」
「失礼なやつだな。そういうお前こそ見違えたがな」
「ありがとうございます。褒めてくれたんですよね? 言葉が足りないところを見て、団長だと今確信しました」
「あのな——、こう見えても俺は紳士にもなれるんだぞ」
お祖父様がアレン団長の肩を叩いた。
「ジュディーのこと、頼んだからな。ジュディー、二曲目を一緒に踊ろう」
「ええ、もちろん」
そして先に入場したお祖父様とお祖母様に続き、名を呼ばれた。
——いよいよだ。
アレン団長に手を取られて舞踏会場に入ると、シャンデリアの燦然とした輝きが眩しいほどだった。
煌びやかな衣装に身を包んだ人々が見守る中、衣擦れの音をさせながら大理石の床の上を進んでいく。
楽団が奏でる静かな弦楽器の音楽に紛れるように、囁き声が交わされていた。
「なんて美しいご令嬢なんだ……」
「あれが例のシェスタビアの?」
女性陣からは隣のアレン団長に熱い眼差しが向けられているようだった。
「やっぱり素敵ね……」
「久しぶりにお見かけしたわ。今日こそ踊っていただかなくては」
テオ副団長は『兄さんは酒場で浮き名を流しはしても、舞踏会には滅多に参加しない人です』と言っていた。
あまり参加しないからこそ、余計にこういう場で人目を引くのかもしれない。まあ、こうして見ると、たしかにアレン団長は美丈夫だし。
その後、最初のダンスをパートナーのアレン団長と踊った。団長にとってはダンスも慣れたもののようで、そつなくリードしてくれた。
「団長、今日は本当に別人のように素敵ですね」
「ふふん、今頃気付いたのか?」
褒めると団長は満更でもないという顔をした。
一曲目が終わり、お祖父様が二曲目を誘いにくるまでの間、少し休憩しようと考えて壁際の椅子を目指して歩いていると、団長が呟いた。
「おっ、早速こっちに向かってくる連中がいる。このぶんだと……お前のダンスカードはすぐに埋まりそうだな」
振り向けば、数人の男性達がわたしの方に向かってきていた。
「ジュディリス令嬢、よければ次の——」
「——失礼。先を譲ってもらえるか?」
先に話しかけた他の男性を遮って、後ろから声が割り込んだ。
男性達が一斉に道を開けた。
聞き覚えのある声に、警戒心から一気に顔が強張るのがわかった。
現れたのは、金糸の刺繍を施された漆黒のジュストコールに身を包んだギルベアト殿下だった。
「久しぶりだな、ジュディリス嬢。相変わらず美しいが、今日はまた一段と麗しい姿だな」
「ギルベアト殿下……、お久しぶりです。
あの——その節は本当にありがとうございました」
「いや、目覚めて本当によかった」
「色々ご尽力頂いたのに、お礼も——手紙だけで失礼していて……」
禁書庫に入ることができたのは殿下のお陰だし、殿下はクラウス卿と二人で徹夜で禁術を探し出してもくれた。
感謝の気持ちはある。
殿下のことが嫌いなわけじゃない。
だけど……彼の期待に応えるつもりはない。
「気にすることはない。僕とジュディリス嬢の仲ではないか?」
「…………」
その言葉から、殿下はやっぱり諦めていないのだと感じた。これからもわたしとの距離をつめてくるつもりだ……。
——困るのに。
胸がきりりと痛む気がした。
「そうだ。次のダンスを僕と踊ってくれないか?」
「……すみません、次は祖父と約束していて」
「——そうか。それならその次の曲を踊ってほしい」
「……はい」
ダンスカードに殿下の名を書き込んでいると、殿下が呟いた。
「今日、君と会えると知ってからは待ち遠しくてならなかった。では、後でまた」
殿下が去った後も、その言葉を思い出すとわたしの気持ちはおもりをつけられたように沈んだ。
それでも、申し込んできた男性達の名前を機械的にダンスカードに書き入れていたら、団長の予想通り、それはすぐに埋まった。
殿下があの様子だと、やっぱり噂を流す計画を実行しなければ——。
憂鬱な気持ちで溜め息を吐いた時、こちらに向かって悠然と歩いてきていたお祖父様に気が付いた
「やあ、デビュタントのお嬢さん、お約束通り、次のダンスのお相手を願えるかな?」
「勿論ですわ、お祖父様」
颯爽とリードしてくれるお祖父様と微笑みを交わしながら踊っていると、ギルベアト殿下の姿が見えた。
彼はデビュタントの一人と踊っていた。
その姿は多くの令嬢達の視線を集めていて、ため息混じりの囁きが聞こえてきた。
「なんて素敵なの……」
「私も皇子殿下に誘われてみたいわ」
もしかしたら、わたしも他の令嬢達と同じように感じていたのかもしれない。
クラウス卿やロイと出会っていなければ……。
だけど——わたしはもう、あの二人と出会ってしまっている。
温かいお祖父様の手に包まれて踊りながら、次のダンスを思うだけで、胸の奥に不安が満ちていった。
作中の「ロッコ様式」は、ロココ様式をイメージした名称です。こっそり作者名も混ぜております。




