エピソード110 あれも、これもわたし
気がついたのは白い天井と白い壁に囲まれた、こじんまりした部屋で、付き添ってくれていたのはミュゲルだった。
「気が付きましたか? 大丈夫ですか?」
「ここは……?」
「看守達の宿直室です。一室空けてもらいました」
「そう……。あの男は?」
訊ねると、ミュゲルは一瞬ビクッと身体を震えさせた。
「ゲオルク卿なら——無事に、と言えるかは難しいですが、ご存命でいらっしゃいます……」
「残念……」
呟いたわたしを見て、ミュゲルは顔を顰めた。
「危ないところだったんですよ。ここが牢獄で——魔封じの魔術陣が施されていなかったら、どうなっていたか——」
「——そうだった。魔封じのことをすっかり忘れていたわ。どうりで殺せなかったわけね」
残念そうに肩を落としたわたしを、ミュゲルは叱りつけるように言った。
「いい加減にして下さい。まともにあれを食らっていたら、即死でしたよ……」
「それでも構わなかったのに……」
自分でも驚くくらい冷たい声でそう言っていた。
「構いますよ、お嬢様が犯罪者になってしまったら、大聖女様もトルエンデ公爵も——もちろん俺も、皆が悲しみます」
言われてみればその通りだし、冷静に考えてみても、あんな男のために人生を無駄にするのは馬鹿らしい。
「——そうよね……。殺してしまわずにすんで、よかったのよね……?」
自分に言い聞かせるように呟いた。
ミュゲルはわたしが理性を取り戻したと見て、安心したように息を吐いた。
「でも、ゲオルク卿はあれから喋れていないみたいで、痺れのせいか手もうまく動かせないようです。
医師が……もしかしたら脳に障害が残った可能性もある、と」
「——そうなんだ……。それは喜んでいいのかしら?」
ミュゲルは戸惑いを隠せず、訊ねた。
「どういう意味ですか?」
「言葉を話せないだけで、あの男の頭が正常に動いているならいいのに、ってこと」
「はあ……。まあ、言葉が話せないと煩く怒鳴られることがなくなるでしょうから、迷惑していた看守は喜ぶと思いますけど」
ミュゲルが理解していないようだったので、言葉を変えてみた。
「頭や心まで——壊れてしまったのなら……、この先の人生の苦しみを取り去ってしまったようなものじゃない?
頭はまともなのに、喋れない方が辛いでしょう?」
もっともっと……苦しんでほしい。
そんなわたしの意図をようやく汲み取ったようで、ミュゲルは身体を震わせた。
「そ、それは……。とにかく、殺さなくてよかったってことで、いいですよね?」
確認するように顔を覗き込んできたミュゲルを見て、わたしは無言でにっこり微笑んだ。
「ちなみに——お嬢様なら聖力で治して差し上げることもできるでしょう? 侯爵閣下を助けますか?」
「——まさか」
微笑んだまま、考えを巡らせた。
あの男には辛い環境で過ごしてもらわないと。
「ホプキンスにも差し入れをやめるよう、言わないといけないわね。お酒に逃げるなんて許せないもの」
もう二度とあの男と会うことはないだろう。
塔に背を向け、一度も振り返らないまま馬車に乗り込んだ。
「俺、……これからはお嬢様だけは怒らせないよう、気をつけます」
「そう、とってもいい心がけね」
またにっこり微笑むわたしを見て、ミュゲルは引き攣ったような笑みを浮かべた。
馬車に揺られながら窓に映る自分の顔を見た。
別に鬼のような顔にはなっていなかった。
——でも……。
あれも、これもわたしだ……。
こんな冷酷な一面、エリタス神には幻滅されたかもしれない。
クラウス卿やロイが、わたしのあんな一面を見たら、ミュゲルみたいに怖がったかしら?
見放され、距離を置かれただろうか?
今日はミュゲルは御者台ではなく、馬車に対面で座っていた。
わたしが黙り込んだのを見て、そっとしておいてくれたので、しばらくは馬車が石畳を揺れる音だけが続いた。
わたしが凝った肩をほぐそうと身動きした時、ミュゲルが遠慮がちに口を開いた。
「お嬢様、それから……例のあの話ですけど……、本当に、あんな噂を広めるんですか?」
「ええ、お願い。トルエンデ家の人達はわたしのことをよく知っているでしょう?」
「まあ、そうですね。お嬢様がふしだらな真似をするなんて話、絶対に信じないと思います」
ミュゲルは確信を込めて言った。
「だけど、わたしを冷遇してきたラヴォイエールの使用人達は違うわ。
それに解雇された使用人達は、わたしを恨むでしょうから、喜んで噂を広めてくれるはずよ」
「そうは言っても、お嬢様を悪く言うなんて……裏切りのような気がして良心が痛むんです」
演技とはいえミュゲルに悪口なんて似合わないだろう、とは思う。
「わたしに誘惑されたけど、公爵閣下のお叱りが怖くて断ったって呟くだけよ。それから他にも同じことを言っている者が複数、トルエンデの団員の中にいるっていう話をラヴォイエール邸で広めてほしいの」
真剣に頼んでみたけど、ミュゲルはまだ気が進まなそうな顔をしていたので、ニノに習ったあざと技をお見舞いすることにした。
「……ね? お、ね、が、い ♡」
上目遣いに瞬きを繰り返すと、ミュゲルは震えた。
「わ、わかり、ました……。俺、まだ命は惜しいですから」
ミュゲルは一体何を怖がっているんだろう?
ここはうっとり鼻の下が伸びたり、やに下がるところではないの?
不思議だ……。
こてん、と首を傾げた。




