エピソード103 噂を逆手にとる
「どうなることかと心配したけれど——本当に良かったわ。クラウス卿が目覚めて」
少し時間を置いて戻ってきたお祖母様も、彼が意識を取り戻したことを知って、大きく息を吐いた。
重荷が取り除かれたように肩から力が抜け、頬が緩んだ。
クラウス卿の肩に手をかけ、微笑んだ。
「あなたが無事でよかった……。ジュディーを助けてくれて、ありがとう」
そして、すぐさまクラウス卿の回復の知らせは屋敷中に広まった。
重苦しい沈黙に覆われていた辺境伯邸に歓声が溢れ、辺境伯やお祖父様を始め、団員達が次々に部屋を訪ねてきた。
クラウス卿を慕う者は多くいる。皆、ここ数日は心配で気が塞いでいたに違いないのだ。
ゆっくり語り合う時間が必要だろうと、彼らに場を譲り、静かに部屋を出た。
自室に戻る途中で、ニノとヘンリエッタに出会った。
「二人にも眠っている間、長く心配かけてごめんね」
そう告げると、きょとんとした顔をされた。
「——えっ? どこかで私達、会ったことがありますか?」
ニノの言葉に、今の自分の姿を思い出した。
ジェマの姿ではないから、気付いてもらえないのだ。
もちろん、魔術でジェマの姿に戻ることはできる。
だけど、父が捕縛されて婚姻を強要されることもなくなった今、もう仮初のジェマの姿でいる必要はなくなったのだ……。
「あなたみたいに綺麗な人……会ってたら忘れることはないと思うんですけど」
ヘンリエッタのよそよそしいお世辞に寂しい気持ちになってしまった。
これ以上彼女達を騙しているのは心苦しいし、ジェマとして仲良くなった人達とは、ジュディリスとしても親しくしてもらいたい。
これからも皆と関わっていきたいと思う。
「説明するから、わたしの……ジェマの部屋でお茶しない?」
部屋でゆっくり説明することにした。
「——ジェマの部屋? 彼女のお知り合いだったんですか? 彼女が意識を取り戻したって聞いて——私達、会いにいくところだったんです」
ニノはジェマの名を出したことで少し警戒心が解けたようだ。
「ジェマが目覚めて、本当によかった……。
何度も部屋を訪ねたんですけど、安静にしないといけないからって、会わせてもらえなかったんです。
だけど、さっき大聖女様が会ってもいいって……」
ヘンリエッタは泣き腫らしたのか瞼が腫れぼったかった。
——というわけで時間はかかったけれど、わたしの正体について、部屋で色々説明して、やっとのことで二人に理解してもらうことができた。
「まさか、ジェマが大聖女様とトルエンデ公爵閣下のお孫さんで、あのラヴォイエール家の令嬢だったなんて……。吃驚したわ……」
ニノは目を丸くして驚いた。
「本当よね。あなたが、あの行方不明の背徳令嬢だったなんて……。あ、ごめんなさいっ……。
お父様が婚約解消を繰り返したせいなのよね?」
ヘンリエッタに言われて、そういえば背徳令嬢の噂をどうしたものかと思い当たった。
否定して回るのも大変だし、わたしが『そんなふしだらなことはしていない』と言っても、信じて貰えるものだろうか?
断罪されたラヴォイエール侯爵の娘だし……評判が悪くなるのは避けられないだろうし。
あれこれ考え、溜め息を吐くわたしに、ニノは慰めるように言ってくれた。
「でも、お父様とは縁が切れたんだし、好きな相手と結ばれることもできるわね」
その言葉を聞いて、クラウス卿の言葉が頭をよぎった。
好きだと言われてから、まだわたしは自分の気持ちを彼に伝えられていない。
どう答えていいのかもわからないまま、お祖母様が帰ってきて——返事を返しそびれたままだ。
そもそも、彼はわたしの答えを待っているのだろうか?
一方的に気持ちを伝えられはしたけど、何も問われたり、求められたりしていない。
——彼はわたしにロイという人がいることを知っている。だからこそ、何も期待していない——ということだろうか?
胸の奥に、言葉にできないもやもやとした気持ちが広がった。
その時、ヘンリエッタが口を開いた。
「でも——、ジュディリスは聖力を持っているわよね? 力を奪っていたイリーナ嬢が聖女候補だったんだから、当然あなたも聖女候補に任命されるでしょう?
聖女って高魔力保持者との婚姻が義務付けられてるんじゃないの——?」
ニノはヘンリエッタの話を聞いて、こめかみを掻いた。
「……そ、そうだったわね。ジュディリスが聖女候補に選ばれないわけがないものね——」
——その通りだ……。
それも、高魔力保持者のギルベアト殿下に婚約者にと望まれている……。
だけど、わたしはギルベアト殿下と婚約するつもりはない。
「——やっぱりこのまま、トルエンデ騎士団の聖務官っていうことで押し通していられないかな?」
呟いたわたしに二人が同時に答えた。
「「…………無理でしょう」ね」
ニノが腕を組んでわたしに説いた。
「ジュディリスは戦乙女として広く知られていて、大それた聖力や魔力まで使うところを——大勢に見られているのよ? 本気で誤魔化せると思ってるの?」
頭を掻きむしるわたしに、今度はヘンリエッタが慰めるように言った。
「でも、若手の高魔力保持者といったら、まず名前が上がるのはクラウス卿とギルベアト皇子殿下でしょう?
他はテオドール副団長にアレン団長。それにダルフォード公爵家のセドリック卿くらいかしら?
——いずれも素敵な方々だし、婚約相手として悪くないんじゃない?」
「———でも、わたしは自分が好きな人と結ばれたい……」
この気持ちだけは、曲げたくない。
そう呟くと、ヘンリエッタとニノが顔を見合わせた。
「——彼らの伴侶に選ばれないためにはどうしたらいいと思う?」
真剣な顔つきで訊ねたわたしに、ヘンリエッタは答えた。
「そうねえ……。貴族って名誉を重んじるでしょう? 評判の悪い令嬢は、本人はともかく周囲は認めないと思うけど……」
その答えを受けてニノが言った。
「だったら……いっそ——。
“背徳の令嬢”って噂を逆手にとる——とか?」




