エピソード101 眠りの代償
「ジュディー、……許せないと思う気持ちは私達も同じだ——。この先も許す気持ちにはなれないだろう。
だが——ラヴォイエール侯爵夫妻とイリーナは既に捕縛されている。
彼らを罪に問うことはできるんだ」
「……捕縛されて——?」
——その言葉がすんなり心まで入ってこない。
ついさっき母が毒殺されていたことを知ったばかりで——自分の中に折り合いがつけられない感情がまだ満ち溢れている。
悔しさ、憤り、——。
父や継母に対する怒りも憎しみも——なにも消化できていない……。
それなのに——、既に父も継母も、イリーナも……捕縛されているという。
全てのことが、わたしが眠っている間に起きたことだと言われても——。
——実感が湧いてこないのだ。
わたしだって、眠っていなければ——母のためにできたことが何かあったはずなのに……。
そうできていたら、もっと感情が現実に寄り添えていたはずだし、すんなり受け入れられただろう。
「お前に毒の禁術を使ったのがイリーナだという確証は得ている。
——生え際の髪色が緑に変色していたことが確認されたし、お前が倒れた時も部屋に一人でいたからな。
そして、ラヴォイエール侯爵夫妻の罪もイリーナの自白が証拠となった」
お祖父様がそう教えてくれた。
「そう……」
冷静に考えてみれば、罪が証明され、三人が処罰されるのだから、喜ぶべきだ。それなのに——。
自分の手で父と継母を断罪してやりたかった——という悔しさが胸に残るせいか、どこか納得できない自分もいて、唇を噛み締めた。
だけど、お祖母様はそんなわたしの胸中を察したように優しく微笑んで——肩を抱きしめてくれた。
「これでよかったのよ……。どんなに酷い父親でも、娘のあなたはゲオルクに対して複雑な感情を抱えているでしょう? あなた自身の手で断罪する必要はないわ」
お祖父様も同意するように頷いた。
「彼らは生きて囚われているんだ。
話ならいくらでもできるだろう?」
言われてみればその通りだ。
会いに行けば、いくらでも彼らを責めることはできるのだ……。
固執する必要なんてない。
そう考えて、やっと踏ん切りをつけられる気がした——。
胸に溜まったものを吐き出すように、ゆっくりと息を吐いた。
「そうね……」
「十年も前のローレンの死の真相を突き止めることができたのはクラウス卿のお陰だ。
精神干渉魔術で自白が得られなかったら、疑惑だけが残されることになっていたかもしれない」
クラウス卿がいなかったら、一生母は病死だったと信じていただろう……。
それに、自白が得られていなければ……わたしはイリーナに剣を突きつけて証言を引き出そうとしていたかもしれない。
「十年前のこととはいえ、ローレンの死は癒えない悲しみを私達にもたらした。
だが、ゲオルク達を断罪できたら……私達も——もう前だけを見て進んでいくべきなんだろうな」
「彼らに……言ってやりたいことを言い尽くして……お母様に良い報告ができたら、わたしも——そうできるようになりたい」
お祖父様はわたしの手を握って、目を瞑った。
長い間、母の死をわたしと同じように悼んでくれていたお祖父様やお祖母様——。
お母様の思い出は分かち合いたいけれど、わたしは二人に憎悪や怒りに長く囚われていてほしくはない。
同じように二人もわたしには前を向いてほしいと思うだろう……。
クラウス卿がいてくれなければ、全ての前提が変わって、今のような気持ちにはなれていなかっただろう——ということに思い至った。
「ところで、クラウス卿は……どこにいるの?」
お祖母様が言葉に詰まり視線を伏せた。
その顔を見て、胸が不安に曇る。
「どうしたの……? 教えて」
「それが……、クラウス卿は今も眠りについていて——意識がまだ……戻っていないの」
「——意識が戻っていない……? どういうこと?」
「彼は……あなたの中の——毒を帯びたマナを排出させたんだけど……その一部が彼の体内に取り込まれてしまって——」
「……毒を——? ——そんな無茶なこと……」
「それしか方法を知らないって……。
だけど、自分はそうして助けられたことがあると言って——」
「——まさか……。彼も毒の禁術をかけられたことがあると……?」
息を呑んだわたしに、お祖母様は話すのを躊躇うように少しの間黙り込んだ。
「お祖母様、こんなことになって……クラウス卿も危険な状態じゃないの?
知っていることが他にもあるなら、ちゃんと話して——」
その言葉で心を決めたようにお祖母様は口を開いた。
「そうよ……。彼は母親と二人——毒魔術に倒れたことがあったの。
そして、母親は苦しみながらも——意識を失っていた彼の——毒に侵されたマナを、自分に移しとったようなの。
きっとなんとか助けたい一念だったのね……。
そして、亡くなった……」
全身の血の気が引いていくような気がした。
彼のお母様は一体どれほどの思いで——彼だけでも助けたいとそうしたか……。
それに意識の戻った彼がどんな気持ちになったか……。
母親と最後の言葉を交わすこともできず、意識を取り戻した時、冷たい骸となった母親と対面した彼の気持ち……。
それらを考え合わせるといたたまれない気持ちが込み上げる……。なんてやるせなくて、残酷な……。
言葉を失くした……。
「あなたが倒れて、毒の症状だとわかった時、彼はその方法を試そうとしていた。
だけど、ちょうど直前に駆けつけた私とお祖父様が止めたの。あまりに危険だと思ったから……」
「そんなの、当たり前よ……。危険すぎる」
「普通の人なら即死に陥る毒魔術だけど……。身に膨大な聖力を内包したあなたを殺すことはできなかったようだわ。現にあなたは昏睡状態だったわけだし……。だから時間はまだあると彼に言ったの——」
お祖母様はその時の気持ちを思い出したようで、苦しげな表情を見せた。
「それで毒の魔術についての禁書を探すことにしたのね?」
お祖母様は頷いた。
「お陰で過去のローレンの死が解き明かされたけれど、一縷の望みをかけて探し出した禁書のどこを探しても、有効な解毒方法についての記述はなかった……」
「だからって、……クラウス卿がわたしのためにそんな危険なことをする必要はないでしょう……?」
たまらない気持ちになって熱くなった目元から涙が溢れてきた。
「過去に同じように毒魔術に侵された自分には毒の耐性ができているかもしれない、試してみる価値はあると言って」
「耐性なんて……不確かなものに——命をかけるようなことをするなんて——」
お祖母様とお祖父様は悔やむように俯いていた。
「それなら私がやると言ったんだが……。言ったそばからクラウス卿の睡眠魔術で眠らされてしまって。起きた時にはもう……」
お祖父様は悔しげに呟いた。
「あなたがこうして目覚めてくれて、私達は心から嬉しいし安堵もしてる。
だけど……彼は倒れて、今もまだ意識が戻らないの。聖力でも何度も働きかけてみたんだけれど駄目なの……」
「そんな……。お祖母様の聖力でも……?」
目の前が真っ暗になるような気がした。
「でも、希望はあると思うの。ローレンや、彼のお母様のように即死には至らず、今もまだ息はあるから……」
そこまで話を聞いて、じっとしていることなんてできない。
すぐにクラウス卿の部屋に行こうとしたわたしを、お祖父様もお祖母様も病み上がりだと引き留めた。
だけどわたしは魔術で二人を眠らせて、部屋を飛び出してきた。
長い間、寝たきりだったせいで、視界が揺れて足がもつれた。
それでもふらつく身体を叱咤しながら、なんとか足を動かしてクラウス卿の部屋に急いだ。
すれ違う団員達がわたしを見て、誰だろう? という顔をする。
——そうだった。今のわたしはジェマではなくジュディリスの姿をしているから。
倒れないように壁についた指先が目に入り、認識阻害魔術のかかった指輪がないことに気付いた。
だけどそんなことも今はどうでもいい——。
——クラウス卿の部屋の扉が見えた。
形だけノックをして、返事も待たずに部屋に入る——。
付き添いの辺境派遣騎士団員が一人立ち上がり、「どなたですか?」と訊ねてきた。
だけど、答える時間ももどかしい。
——振り切るように、彼のベッドに歩み寄った。
——クラウス卿は意識を失い、土気色の顔をしていた。
眉根を寄せたままの、苦しげな表情だ。
顔をそっと触ってみても、体温が感じられない。
——息をしているのが不思議なくらい生気がない。
身体の脇に置かれた重い手をとって、両手で握りしめてみても、なんの反応も返ってこなかった。
あんなにも力強かった手のひらが、今は冷たく、抜け殻のよう……。
その冷たくなった手を頬に押し当て、咽ぶような声が喉を押し上げて溢れるのに身を任せた。
涙が次々に溢れてきて、頬を濡らした。
——いつものように微笑みかけてほしいのに。
物言わぬ彼の顔を見つめていると、胸が痛んだ。
その時、彼の指先に違和感を感じて視線を留めた。
——小指に指輪が嵌められていた。
この指輪って……。
——小さく魔術陣が刻まれている金の指輪……。
間違いない、これはわたしの指輪だ。
認識阻害魔術のかけられた、テオ副団長が作ってくれた——わたしの指輪……。
——どうして彼が……?




