第2話:理不尽な関係は、お互いに
「落ち着いた?」
「……少しは」
極度の近視レンズの向こう側で、小さく結像した目を真っ赤に腫らしている。
「で、どうしてあんなことをしたの?」
「分かりません」
「自分でしておいて?」
「分からないんです、本当に。目を覚ましたら、その……キス……しないとダメだって強迫観念みたいなものと、強烈な喉の渇きみたいなものがあって……」
「どういうこと?」
「自分でも本当に分からないんです、とにかくそうしないと死ぬんじゃないかってくらいの感覚でした。だから終わった後、本当に気持ち悪くて……知らない人とする最悪のファーストキスでした……」
また少し涙をぼろぼろと流しだした。
気持ちはよく分かる。
正直さっきのが僕にとっても、女性と初めてする、それもディープなキスだ。
こんな形でファーストキスを終えてしまうことにすごく残念な感覚はあった。
本当に好きになった人と、責任をもって付き合える時に、ちゃんとしたかった。
とはいえ、そんなことを彼女に問い詰めても仕方がない。
僕が落ち着いてこの状況に対処するしかないだろう。
「もしかしてさっきの魔法?」
「まさか、私が先輩に惚れてしまったってことですか?ありえませんよ」
「恋するというよりは、肉体的に必要と感じてしまう様な呪いだったとか?」
「その可能性は……いや、でも……」
「で、僕のことは好きとか、そういう感情ある?」
「別に好きでも何でも……知らない先輩を好きになる理由なんてどこにもないです」
「ちなみに、まだキスしたい?」
「嘘……したい……嫌……なんで、こんなことに……これ治るんですよね?」
「そんなこと言われても、正直僕にも分からないよ」
「そんな……ずっとこのままとか……嫌だよぉ……」
また静かな図書室に可愛い女の子の泣き声が響き渡った。
不覚にも、その声を少し可愛いと思ってしまった自分が嫌だった。
どうしようもなく自分が男という生き物なのだと理解させられる。
一方で、こんな欲や感情で生きる人間にはなりたくない、という強い嫌悪感も同時にあった。
理性的な人間でいることこそ自分のあるべき姿だと。
大きく深呼吸し、自分自身の劣情を抑える。
そして、彼女の涙も少し落ちつくのを待った。
「一旦今はさっきほどの喉の乾きみたいなのものはない、のだよね?」
「……はい。我慢は出来ます」
「キスを繰り返せば治るものなのか、それとも、一定キスしないとまた乾きが来るのか……」
「……その、試してみる?」
「したいです。でも……嫌です」
その拒絶するような顔に、少しイラッとしてしまった。
好きでもない子にキスをせがまれているのに、人間としては拒否されているような感覚。
自分に猿みたいな欲情を抱かせておいて、それでいて自分が最も大事にしたい理性の部分では明確に拒否されているのだ。
「分かるよ。僕も君とキスしたことは正直残念な体験だったし」
「それはそうですよ、お互いに」
もう一度大きく深呼吸をして。この理不尽をこの子にぶつけないように、心を落ち着けた。
彼女も被害者だと思おう、そうすることで、この状況に心を流されないようにしよう。
「分かった。一旦今日は帰ろう。もしかして、今夜一晩寝て起きたら、魔法が解けているかもしれないし」
「そう……ですね」
「じゃあ、そういうことで、もう下校時間だし、帰ろう」
僕らはお互いの鞄に荷物をしまい、図書室のドアを閉め、玄関に出た。
初夏の日の長い夕方で、まだそんなに暗くはない。
「あの……名前、聞いていいですか」
「名前?あぁ、そう言えば、お互いにちゃんと名乗っていなかったね」
「私は、廣川茜。1年3組です」
「僕は、山中宗之助。2年1組」
「変わった名前ですね。少し古風というか」
「よく言われるよ」
お互いに靴を履き、外に出る。そして、ドアを閉めて鍵をかけた。
特に会話もなく、駐輪場の所まで歩いていく。
自分の自転車の所に行くと、廣川さんはまだ付いてきていた。
「えっと、今日は帰るけど、まだなにかある?」
「あの……LIMEを交換してください……そ、その、万が一のときのために。もしまた喉が渇いていって、キス……我慢出来なくなるかもしれなくて……」
よく見ると、廣川さんはふるふると震えていた。
少し、こういう恐怖を分かってあげられなかった自分に少し幻滅した。
困っている女の子一人、満足にフォローしてあげることが出来ていないのだから。
「ごめん、気づいてあげられなかったね。うん、大丈夫」
QRコードを読み込み、友達登録する。
魔法使いのアニメ絵のアイコン。
「あ、あの、今日はとても迷惑をおかけしました。その、今日のことは、他の人には言わないでください。特に魔研のみんなには。その、恥ずかしいので」
「分かった。言わない。困ったら、いつでも連絡して」
「ありがとうございます。助かります」
頭を深々と下げて、廣川さんは歩いて校門の方に走っていった。
もしかして、自転車通学ではなくて、徒歩、もしくは鉄道利用だっただろうか。
家に帰り、家族との夕食を終え、自分の部屋での一人の時間が始まると今日のことを思い出しひたすら悶々としていた。
柔らかかった唇と、絡み合った深い感触、うがいする音、可愛い声。
今日までろくに知りもしなかった廣川茜という女の子のことで頭が一杯だった。
それこそよく漫画でネタにされる優しくされたらコロリと落ちるオタク男子になった様な感じだった。
「キスしたんだから責任をとって君を大事にするよ」みたいな事まで考えてしまう。
一方で、うがいをされる程度には嫌悪感の対象なのだから調子に乗るなと、妄想に蓋をしたり。
気がついたら寝ていて、少しベタつく肌が気持ち悪くて目を覚ます。
外は薄暗く、家は静まり返っていた。
そして、スマホの画面を見ると4時55分という時計の下に、大量のLIMEの通知が見えた。
「だめでした……」
「どんどん乾いていきます」
「先輩はどいこに住んでいるんですか?」
「そっちに行っても良いですか?」
「返事、してください」
「辛いです。助けてください」
「助けて」
「寝てしまっているのですか?」
「おーい」
「助けて、もし起きていたら、返事してください」
「私の住所は……」
「ここから先輩の家は遠いですか?」
「助けて」
「今すぐ来て」
「起きて」
「起きろ」
「しんどい」
「先輩の馬鹿!」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿…」
最後のメッセージは夜の3時30分。
焦りと後悔で眠気が吹っ飛んでいった。




