第1話:最悪の出会いは、呪いの後キス
六月の初旬のことだった。
「宗、今日も旧図書館の立ち会いお願いできる?」
「はーい」
二週間に一回活動しているオカルト・魔術研究会の創設者であり、部長でもある、高校二年生の石川宏太は幼馴染である。
一方で、その依頼を受けるのは、同い年の僕こと、山中宗之助。
図書委員であり、放課後は図書館に籠るのが日課の僕に、古い蔵書が多い旧図書館の利用申請を含めた面倒な作業を依頼してきている、というのが今の置かれた状況である。
「宗も魔研に入ればよいのに。毎回立ち会ってくれているのだし、ほぼ部員じゃん」
「魔術ねぇ……個人的にはロボットのほうが好きなんよ」
「魔法はロマンなんだよ!宗だって異世界で勇者になりたいとか一度は考えたことあるだろ?」
「無いとは言わないけど。今ならロボットの設計者とか、基礎物理の提唱者とかの方がカッコいいかなぁ」
新図書館を出て、宏太と駄弁りながら旧図書館に向かうさなか、振り返ると四人もの女子が後ろを付いてきている。
小学校高学年の頃には「異世界で最強の魔法使いになりたい」とか言っていたオタクの友人が、何故これほど女子達に人気があるのだろうか。
同級生の二年生が二人、後輩の一年生も二人の合計五人の小さな同好会だが、まさか本当に学校公認となった。
さらには我がクラスの寡黙な令嬢こと、荒尾由香里までも魔研に名前を連ねて、今まさに僕の後ろを歩いている。
荒尾さんとは話したことはほとんどないけど、放課後によく図書館に居ることが多く、なんとなく親近感があった。
何よりも、美人で、スタイルも良い。
そんな女の子までも引き入れる宏太の行動力には素直に感心してしまう。
一方で、僕はどちらかというと、頭でっかちで、行動を起こさない系の人間だ。
それこそ、荒尾さんとはお近づきになりたいと思っていたが、自分から行動を起こし、話しかけるみたいなことは過去一年ずっとなかったわけで。
旧図書館は、古い書物の置き場になっている。
鍵を開け、鉄のドアを開けると、埃と古い本の酸化した匂いが鼻腔に満ちて、少しむせそうになった。
魔研の五人は中央の少し大きなテーブルに、僕はカウンターに一人座る。
そして、新図書館から持ってきた本、ハリポタの英語版をスマホ片手に翻訳しながら読む。
英語の勉強も兼ねて、意外と良い訓練だったりするが、実際はあまりページが進まない。
魔研の人たちの会話に聞き耳を立てているからだ。
「今日は、この『人を惚れさせる魔法』というのはどうでしょうか?」
あの普段はおとなしい荒尾さんがすごく積極的に、それも惚れたの恋だのといった魔法をしようとしていることに驚いた。
「いいね!でも、どうする?本当に惚れちゃったら」
「でも、誰に魔法をかけるの?」
「被験者は、やっぱり部長?先輩に好きになってもらうなら全然ありです!」
「でも、流石に石川が女子に惚れるのは流石にないかなー」
まだ上手くいくかも分からない魔法で、誰を誰に惚れさせるか、みたいな話しになっている。
ちょっと、いやだいぶ宏太を羨ましく思ってしまう自分がいた。
そんな魔法があるなら、荒尾さんが僕に惚れてくれないか、一瞬思ったが、都合が良すぎる話だとちょっと自嘲してしまった。
そんなことを思ってみていると、チラリと荒尾さんと目が合ったような気がしたが、お互いに直ぐに目を逸らしてしまった。
自分の場合は恥ずかしいからなのだが、彼女からしたら自分ごときと目があっても困るだけだろう。
会話に入っていく勇気もなく、ただただ傍観する。
でも正直そんな自分も嫌いではなかったりする。
恋には憧れはするが、所詮高校生の恋愛なんて、責任の取りようがないのだ。
そんなモノに溺れるような、弱い人間にはなりたくない、気持ちを隠すことこそ強さだと、そう思っていたからだ。
結局話し合いと言う名のじゃんけんで、メガネをかけた大人しそうな、いかにもオタクな一年生の女子が被験者となったようだった。
荒尾さんとは正反対で、背は低く、色素の少し薄いボブヘア、身体に凹凸はほとんど無い。
メガネの度もかなりキツイようで、せっかくのくりんとした目はレンズの向こう側でとても小さく見えた。
声はこの中で一番小さいが、魔法のことを楽しそうに話しているのは印象的だった。
何度かの詠唱の練習や手順の話をした後に、電気が消された。
カーテンが閉められて、薄暗い図書館の中で、宏太と女子たちの魔法の詠唱が始まる。
「「漆黒に沈む闇の精霊たちよ、我は汝らの心を縛るその力を欲す。無垢なる少女、廣川茜の心にその力を刻み給え。この少女が目を覚まし、最初に見た男なしでは生きていけないように、強く、強く呪い、その心を蝕まんことを」」
想像以上に怖い詠唱で聴いていてびっくりした。
「茜、目を開けてみて」
「はい」
「その、最初に誰を見た?」
「石川部長を見ました」
「ドキドキしたり、好きになったりする?」
「えーっと、特に変わりはないです」
「ちっとも?」
「うーん、どうでしょうか、正直よく分からないです」
「そっか、ちょっと残念だなぁ」
「え?石川先輩は茜に惚れてほしかったんですか?」
「いや……え、えーっと、べつにそういう訳じゃなくて……うん、普通に魔法が失敗したのかなって残念って意味で……」
「石川君は廣川さんの事が好きなんですか?」
「そ、そんなことは……あ、でも、その、嫌いじゃなくて、後輩の魔法仲間としてはとても大事だよ?」
宏太がタジタジになっているのが少し面白かった。
自分も本当にそんな魔法があるのかと少しドキドキしたり、実際に上手く行かなくて『まぁ、そりゃそうだろう』って思ったり、そしてこの宏太の顔、傍観しながらこの状況を楽しんでいた。
当の魔法をかけられた廣川茜さんは、本当に特に変わった様子はなかった。
次にどんな魔法を試すかの議論の最中に、荒尾さんが立ち上がった。
「すみません、私、この後習い事があるので、これでお暇させてもらいます」
「あー、そうか、もうそんな時間か。じゃあ、一旦今日は解散しようか」
宏太の言葉に、他の女子たちも一斉に席を立つ。
「宗もありがとう、一緒に帰ろう」
「了解」
そして立ち上がろうとした時だった。
「あの、すみません、もしよかったら、もう少し旧図書館に居てもよいですか?私も色々古い本調べてみたくて」
例の廣川茜さんが僕に向かって話しかけてきた。
「あ、えっと、じゃあ一緒に残ろうか?」
「いえ、鍵だけ貸していただければ、後で返しておきます」
「いや、一応先生には僕が借りているし、僕ももうちょっと本を読みたいし残るよ」
「そうですか、でしたらお願いします」
「え?でしたら、私も……いや、でも時間が……すみません、お先に失礼します」
荒尾さんも残りたそうな雰囲気を出していたが、残念そうに旧図書館から出ていった。
「じゃあ、俺も今日は塾があってその準備もあるから、帰るけど……廣川さんに手を出すなよ」
「出さないよ」
別に好みの子じゃないしね、とそっと胸の中で付け加えた。
宏太はこういう子が好みなのだろうか。
やっぱり魔法のことで盛り上がれる女子が良いとかなのだろうか。
そして、廣川さんと僕だけが旧図書館に残された。
「気が済んだら声かけて。ここで本を読んでいるから」
「分かりました」
すると、廣川さんは図書室の奥へと消えていった。
本当に静まり返った中、今度こそ手元のハリポタのページを本気で読む。
ページをめくる音が静かな空間に響き渡る。
英語の単語や文章を頭に浮かべ、意味や感覚と紐づけていく読書の旅。
日本語で考えずに直接英語で考える癖をつけようと、工夫しながら頭を使って読んでいると……いつの間にか……眠気が襲ってきて……
キーンコーンカーンコーン
チャイムに目を覚ますと、既に十七時四十五分と結構な時間になっていた。
テーブルに目を向けると、廣川さんも自分の腕を枕に突っ伏して寝てしまっていた。
もしかして、僕が寝てたので起こすのを申し訳なく、待っていてもやることが無くて暇で、結局彼女も寝てしまったとか、そんなことなのだろうかと思った。
立ち上がり彼女の肩を軽くトントンと叩いた
「えっと、廣川さん、もう下校時刻みたいですよ」
「あ、ごめんなさい、私寝ちゃって……へ?」
キョトンとした目をして僕を見て固まってしまった。
「鍵を閉めるから、帰る準備をお願いします」
僕のその問いかけにも、反応がなくしばらく本当に目を見開いてこっちを見ていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……何……コレ……」
彼女は自分の首のあたりをむずむずと痒そうに掻きむしりだした。
「どうしたの?大丈夫?」
「……はぁ……はぁ……大丈夫じゃ……ない!」
そう言うと、彼女は僕のシャツの胸元を力いっぱい掴み必死の表情で見上げてきた。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
なぜ僕はこの子に胸ぐらを掴まれているのだろうか?理由が分からなかった。
「あのッ!……いや……違う……でも、無理ぃ……」
その表情は困り果てて自分でもどうしたらよいのか分からない様子だったが、しばらくすると下を向いて、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返していた。
「えっと、本当に大丈夫?」
そう問いかけると、急に顔を上げて、涙目で僕に迫ってきた。
「お願いです……私と……キス……してください」
「え?なんだって?」
まさか想像すらしていなかったその言葉を、聞き取れはしたものの、理解できなかった。
「キスです!少し屈んで、早くッ!」
あまりの必死の表情と、胸ぐらを思いっきり下に引っ張られて、腰を落としてしまった。
胸元を掴んでいた手が後頭部に回され、更に顔が落ちると、廣川さんは思いっきり顔を近づけていた。
彼女の大きく吸った息と共に、柔らかい唇が唇に、硬いメガネが頬に当たる感覚が襲う。
あまりにも近すぎる廣川さんの顔。
そして、彼女の息が、舌が、僕の口の中に入ってくる。
これは、キス、なのだろうか。
ずっと枕を相手に想像してきたキスとはあまりにも違っていて、ずっと必死で、とても怖かった。
本当に何が起きたのか分からず、ただただこの状況に流されて一方的に口を吸われていく。
柔らかな唇と舌の感触とは裏腹に、僕の頭を掴んだその手は物凄い力が込められていた。
感覚的には数分ずっと続いた様な気さえしたが、本当は十数秒くらいだっただろうか。
唇が離れると、埃っぽい空気が口の中を満たし、廣川さんは甘く蕩けた表情が視界に入ってきた。
しかし、その表情は直ぐに、絶望の表情へと変わった。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
物凄い叫び声を上げると、鞄の中から水筒を取り出して、図書室の外にあるトイレに走っていった。
ガラガラ、ペッ、ガラガラ、ペッ
何度もうがいをする音が遠くから聞こえてくるのを、ただただ立ち尽くして聞いていた。
しばらくすると、彼女は放心状態で戻ってきて水筒を鞄にしまうと、僕の顔を見てボロボロと涙を流しだした。
「うわぁぁぁぁーーーーーーー!」
そして絶叫に近い嗚咽の声を上げて泣き出したのだった。
僕は、謝るべきなのか、怒るべきなのか、それとも慰めるべきなのか、何も分からないまま、ただその場に立っていた。
廣川さんの泣き声と、近づいた時に鼻腔に残った女の子の甘い匂い、そして少し口に残る柔らかでねっとりとした感触のせいで、僕の心はグチャグチャだった。
これが、僕と廣川茜との最悪な出会いだった。




