第49話 刺客
数時間前、パエトーン宿舎では至って平和な日常生活が送られていた。
ニーナとアイリスはボードゲームを神妙な面持ちで行い、カレンはその周りを退屈そうに歩き回っている。時折交わされる他愛のない会話と、盤を打つ硬い音が場を和ませていた。
一方で、エリヤの部屋にはエレンエリヤの二人がいた。
「もう少しくつろいだらどうだ?カレンたちの前ではリラックスしていたようだが、私の前だとやはり難しいか」
「いえ、全然そんなことは……ただ、不安で」
「エレン、お前はいつも不安そうにしているな。アリアドネのことか?」
「まぁ……はい、信頼はしてるんですけど、それでもやっぱり」
「あいつらは強い。今ではたった三人しか残っていないが、元々アリアドネは最初に作られた実験的なリグの部隊らしい。全盛期なら我々パエトーンより遥かに強力だっただろう」
「そうなんですね!まさかそんなに強いなんて」
エレンがマグカップを両手で包み、紅茶から昇る湯気をじっと見つめる。不安に満ちた少女の顔と目が合った。
エリヤは小さく笑うと、引き出しから小さな缶を取り出した。中にはチョコレートが数欠片入っている。セクターでは滅多に見られない食べ物だ。
「秘密だぞ。手に入れるのかなり大変だったから」
「ありがとうございますエリヤさん」
差し出されたチョコレートを摘むと口に頬張る。たった一口で脳が覚醒し、気持ちのいい朝の目覚めを追体験したようだった。強ばっていた肩の力が抜け、エレンは椅子で楽な姿勢を取った。
「ふむ……ニーナはそこに置くんだ。私なら使わない手かも」
「当たり前だ。守ってばかりじゃこのゲームは勝てないだろ」
ニーナは腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。アイリスは顎に手を置き、挑発的な眼差しで盤面を見つめている。
「カレン静かに、気が散る」
「まだ何も喋っていないですわよ?」
思わずニーナが口元を緩める。
「チェックメイトだアイリス」
「えっ……なっ!」
いつの間にか追い詰められ、アイリスが頭を抱える。アイリスは盤上を睨みつけ、どこで詰んだのか必死に考察した。ニーナは腕組みをしたまま勝ち誇った表情で言う。
「守ってても相手は待ってくれないよアイリス」
「次はきっと勝てますわよアイリス」
「うるさい!もう負けられないんだから……」
アイリスが駒を握りしめる。
その時だった。
「……カレン」
「どうしました?」
「地震?」
「地震じゃない……外へ!」
アイリスが真っ先に椅子から立ち上がり、窓に駆け寄る。カレンとニーナがその上に覆いかぶさった。窓の外、セクター中心部の方角から音と地響きがした。
「煙?」
「まさか爆発か」
ニーナの声から余裕が消える。アイリスが呟いた直後、ランプが赤く点滅し、甲高い警報音を鳴らし始めた。エリヤが部屋から飛び出し、三人の顔を見る。
「状況は?」
「まだ何も……」
三人がエリヤに駆け寄る。エリヤはアイリスに目で合図すると、エレンの傍に行かせた。カレンが息を呑む。パエトーンたちは急ぐ訳でもなく、迷いのない顔で支度を始めた。
「少佐!少佐!」
宿舎の入口から男の叫び声が聞こえる。エリヤは鼓膜がちぎれそうなほどの声で答える。
「入れ!」
扉が開き、まだ若い士官が転がるように入ってきた。息が上がり、額には大量の汗が流れている。短く敬礼をすると一言、エリヤたちに伝えた。
「大変です……マクスウェル閣下、並びに閣僚の方々が謎の爆破事件により……爆殺されました」
場の空気が凍りついた。エリヤは息を呑む。
そういえば今日、パエトーンの指揮官であるクラレンス・アガメムノン中佐が閣僚たちと作戦会議をすると聞いたことがある。恐らく彼も巻き込まれた可能性が高い。
「詳細は……いえ、まずは支度を。第二波が来る可能性があります」
「あ、ああ……わかった。全員臨戦態勢に入れ!アイリスはエレンを、残りは私と中心部に向かう!」
不安に押しつぶされそうになりながらも、エリヤは的確に指示を出した。アイリスはエレンを抱き寄せ、装備の用意を始めた。
エリヤの眉間に皺が寄る。落ち着いて考えてみると、まだ爆発が起きてから数分も経っていない。しかも中心部からセクター三まで爆音が届く規模の中、閣僚たちの安否を確認できるだろうか。
否、間に合うはずがない。エリヤの手が腰のホルスターに動く。
しかし、遅かった。
「ぐ……がっ!」
銃声が二度反響した。
エリヤの腹に赤い染みが広がる。彼女は銃を抜くことができないまま膝から崩れ落ちた。
「アイリっ……」
ニーナは胸の中心を撃ち抜かれ、声にならない音が漏れ出る。カレンは急いで拳銃を構え引き金を引いたが、弾は掠めることすら叶わなかった。額を正確に撃ち抜かれ、断末魔すらあげられず床に崩れ落ちる。
アイリスがエレンを庇うように前に滑り出る。しかしリグを装着していない状態では、通常弾でさえも致命傷になる。乾いた音が立て続けに三度、四度と鳴った。アイリスは喉と胸を撃たれ、その場に倒れた。
「アイリスさん!」
エレンの絶叫が響き渡る。冷たくなっていくアイリスを抱き寄せることしかできなかった。
銃を構えた暗殺者がエレンに近寄る。
「う、うわああああ!!」
エレンが近くにあった物を拾い上げ、殴りかかろうとした。だが軽々と避けられ、後頭部を硬いもので叩きつけられる。視界がブラックアウトし、そのままエレンは意識を失った。
男はエレンの首元に手を当て脈が正常なことを確認すると、無線機を取り出した。
「こちらV3捕獲チーム、ターゲットを捕獲した。同時に護衛のパエトーンを射殺。これより基地へ帰還する」
『了解。ターゲットはなるべく傷つけないように気をつけろ』




