第43話
リリスは旧士官室から足早に去ると、外で待っていた三人と目を合わせることなく、まるで逃げるように車に乗った。
セクターを移動する間、リリスは一切の言葉に耳を傾けない。やがてセクター四に入る頃にはベティの口も閉じてしまった。何か衝撃的なことを告げられたのだと、流石のベティも勘づいていた。
「明日からまた任務よ。私もまだ詳しく聞いていないのだけれど、久々に外の調査らしいわ。また後ほど連絡するから、特にリリスはゆっくり休んで」
「……うん」
リリスは素っ気なく返事をする。サラはベティに目配せすると、車のドアを閉めてエンジンをかけた。排気ガスと塵が撒き上がり、ベティは小さく咳をする。特に何も言わずにエレンを連れて宿舎に向かって歩き出した。
エレンは時折後ろを振り返り、リリスがちゃんと付いてきているかを確認する。
「あのさ」
リリスがようやく口を開くと、二人は歩みを止めた。
言葉に詰まる。ベティは腕を組み、リリスが喋るまで待った。深呼吸、唾を飲み込み、また深呼吸。
「私……みんなに言わなきゃいけないことがある」
「早く。エレンも私も、気になってる」
「あんまり……私も理解が追いついてないんだけど、マクスウェル少将、いるじゃん」
「いるな」
「あの人……私のお父さんだって……」
ベティの呼吸が止まった。唇が赤く滲む。組んでいた腕が力なく垂れたようだった。
「そうか……じゃあ聞くことも聞いたし、夕食にしよう」
「……」
「拍子抜け、ってところ?」
「……驚かないの?」
「そりゃあ驚くよ。でも今を掘り下げたとて、あんたの頭がごっちゃになるだけでしょ」
リリスは握っていた拳から力が抜けていくのを実感した。ベティの言う通りだ。エレンがリリスの隣に立つ。ただ何も言わずにそっとリリスの袖を握り、軽い力で引っ張った。
エレンと目が合う。引っ張られるがまま、リリスは足を動かした。
「行きましょうリリスさん。まだ、やることはたくさんあります」
「……うん」
* * * * *
その日の夕食もエレンが作った。残り物が大半だったが、それでも温かみを感じた。ベティはいつも通り食欲旺盛で、大皿の料理をごっそりと食べ尽くしていく。エレンはリリスが料理にほとんど口をつけていないことを気にしながら、スプーンを動かす。
リリスは食事中ほとんど喋らなかった。普段から物を食べてる時に喋る人ではなかったが、いつも以上に静かな食卓だった。
「リリスさん、おかわりありますよ」
「いや……いい。ごちそうさま、美味しかったよ」
リリスは顔を合わせないように皿を下げた。まだ少しの肉の欠片とソースが残っている。リリスはしばらく考え込み、指でソースを舐めた。甘辛い味がほんのりと伝わってくる。肉の欠片をつまみ上げ、口の中に入れて噛む。温かみのある味が広がっていく。段々と目頭が熱くなってくるのを感じ、リリスは指も拭かずに部屋へ走り出した。
未だリリスの中では先の余韻が抜けていない。「父親」という言葉がまるで他人事のように頭の中で跳ね返る。マクスウェルの瞳から伝わる誠意、二十年という時間の重み、どれもが虚しく響いた。
リリスは瞼に重みを感じた。瞼の裏にまた映像が流れる。しかしそれはマクスウェルのものではなかった。
小さい頃の自分の記憶だ。母親、自分、妹。白い木製の食卓にはいつも四つの椅子が並んでいた。客人が来ない限り必ず一つ余る。幼かったリリスはよくそこに荷物を置いていた。一つだけ新品のまま放置しておくのはもったいないと感じたからだ。
母はそれについて何も言わなかった。
今では理由が少しわかるかもしれない。
「…………」
少しベッドの上で目を閉じていたと思ったら、いつの間にか時計の針は十二時を指していた。しまった寝すぎた、と思いながらリリスは体を起こす。下を覗き込むとエレンがベッドに腰掛けていた。
「あ、ごめん。軋む音で起こしちゃったかな」
「起きてましたよ、さっきから」
エレンは布団を畳むと、梯子を登る。リリスの隣に歩み寄ると、そっと肩を寄せた。
「話すのが苦しいなら、それもいいと思います。ただずっと抱え込んでると、スポンジのように水を吸っちゃって、重くなっちゃいますから。たまに絞ってあげないと」
リリスは少しだけ笑った。
「そうだね」
二人は窓の外の景色を眺めた。
灯りが遠くに見える。生きている人の数だけ灯りがある。遠くにある一つのうちのどれかがきっとマクスウェルの灯りだろう。今は眠っているのだろうか、それとも自分と同じように悩み、天井を見ているのだろうか。
「エレン、私ね」
「はい」
「お父さん、って呼べなかったのが悔しい」
「次に会ったら、きっと呼べますよ」
「そうかな?」
「きっとそうですよ。心の整理がついてきたら、きっと」
リリスはもう一度小さく笑う。
「エレンはいい子だね」
エレンの頭を優しく撫でる。綿毛を摘むように繊細な力で撫でた。
「もう、なんですか急に」
「いや、まぁ……綺麗な心をしてると思って」
エレンはしばらく考えた。
「リリスさんがそうさせてくれるんだと思います」
「このー、もうお世辞覚えちゃって」
リリスの視界が一瞬滲んだ。しばらく沈黙が続いたあと、思い出したかのようにリリスが尋ねる。
「ねぇエレン、一つだけ気になったことがあるんだけど」
「なんですか?」
「お父さんに……会いたいって思ったことはある?エレンの」
エレンの肩が微かに揺れた。リリスは続ける。
「ずっと、一人で暮らしてたって聞いたから。家族のこと考えてたりしたのかな、って」
エレンは言葉に詰まる。膝の上で指を弄り、静かに息を吐いた。
「わからないですね……」
弱々しい声だった。
「考えようにも、まず覚えていないので。私は何も……最初から……」
エレンは淡々と言うが、言葉が喉を通る度に胸を突き刺していくようだった。エレンは悲しもうにも上手く悲しむことが出来ないようだと、リリスは直感した。
「でも……リリスさんには、いるじゃないですか。例え今日初めて会ったとしても」
エレンは言葉を飲み込む。
「だから……ちゃんと向き合うのがいいんじゃないかなって……私は思います。ゆっくりでもいいので」
エレンはそこで口を閉じた。リリスは深く頷く。窓の反射に映る自分の顔は、さっきよりも微かに笑顔を取り戻しているようだ。
「また会った時に……言ってみるよ。お父さん、って」
エレンは何も言わず、肩に頭を預けた。




