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アリアドネ・コード─少女兵たちよ人類を奪還せよ─  作者: チャハーン
第2章 断絶の箱庭編

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第39話 昇進

本日も頑張っていきましょう!

もう夜だけど

 ベティはリリスが座っていたソファーに腰掛けると、エリヤとカレンを見据える。飲みかけのコーヒーを手に取り、残りを一気に飲み干す。

 カップを置いたカチリという音が不気味に響いた。


「それで、リリスと随分楽しそうに話してたわけだけど」


 ベティはふてぶてしそうに足を組む。

 そして低く、唸るような声で聞いた。その瞳には隠しきれない警戒心と明らかな不機嫌さが宿っている。


「……何の話をしてた?」

「謝罪と、合併の話だ。それと……ヴィクターの話を少しばかり」


 ヴィクターの名前を聞いて、ベティが放っていた鋭いプレッシャーが少しばかり緩くなった。リリスはハラハラしながら横でベティを見ている。ベティがどういう行動に出るのか、自分でもわかっていなかった。そして恐れていた。

 ベティは小さく鼻で笑うと、背もたれに深く体重を預ける。


「合併は……いい判断だと思う。私たちだっていつ死ぬかわからない。だったら少しでも数を増やした方がいい」


「え……?」


 予想外の答えにリリスは思わず言葉を漏らす。ベティは足を組み直すと、意外にもあっさりとしたトーンで続ける。


「でもサラは反対するだろうね。先輩たちから受け継いだアリアドネ第一分隊の名前を後世に残そうとするはず」

「……まだ決定はしないと」


 エリヤが確認するように尋ねると、ベティは静かに頷きカップを置いた。


「当たり前でしょ。私とリリスは下士官以下だし、大尉様に許可も得ずに決められる話じゃない……ただ、頭ごなしに突っぱねるほど余裕があるわけでもないけどね」


 ベティの現実的なリリスは複雑な心情で俯いた。アリアドネという名前への愛着と、削られていく少女の命。二つの狭間で揺れるのは生き残ってしまった者としての苦悩だった。

 重苦しくなった空気にいたたまれなくなったのか、それまで大人しくしていたエレンが買い物袋から小袋を何個か取り出してテーブルの上に並べた。


「あの……もしよかったら、お菓子でも食べますか?美味しそうな焼き菓子があったんですよ!」

「あら!美味しそうですわ!」


 カレンが真っ先に身を乗り出すと、張り詰めていた空気が緩んだ。リリスはエレンの咄嗟な気遣いに感謝を覚えながら、全員に焼き菓子を配った。

 それからは先程までの緊張感が嘘のように消え去り、個々の雑談が始まる。カレンの入院生活、ベティが外で見た景色、そしてリリスの壊滅的な料理の腕前について。エレンが時折楽しそうに相槌を打ち、爽やかな笑顔を見せる。リビングには暖かい笑い声が響いた。

 そんな中、不意に玄関の扉が開く音がした。


「あら、随分と賑やかね。お客さん?」


 廊下から姿を現したのは、上官の接待を終えたばかりのサラだった。少しくたびれた表情をしていたが、ソファーに座っていたエリヤたちの姿を視界に入れると目が細まる。


「パエトーンじゃない。うちの子たちとは仲良くやってるみたいね」

「サラ、おかえり。実はさ……」


 リリスが立ち上がると、事の顛末を手短に説明した。サラは一言一句逃さぬよう真剣な表情で聞いた。やがて組んでいた腕を解くと、エリヤの正面に歩み寄り、普段通りのトーンで喋り始める。


「提案は嬉しいわ少佐、でもまだアリアドネの名前を捨てる訳にはいかない。三十七人の犠牲の上に私たちは立っているの。だから……合併は私が死んでからにして頂戴」


 ベティの予想通り、サラは拒絶の反応を示した。サラの穀然とした態度に、エリヤは声を荒らげることなく静かに頷いた。


「我々も突然の提案をしてすまない。貴方たちを思ってのことだ……理解して欲しい」


 エリヤはそういうと僅かに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。喉の奥を冷たく苦い物が通り過ぎていく。喉元を過ぎて苦味が消え失せた頃、エリヤは席から立ち上がり、それを見てカレンもリグを起動する。

 だがエリヤは何かを思い出したかのように足を止め、リリスを見る。


「ああ、そうだ。合併の件とは別に、貴方たちに伝えておくべき決定事項があった」

「決定事項?面倒事はよしてよね」


 サラが面倒くさそうに眉をひそめる。エリヤの表情は先程までの無表情とは打って変わって、軍人としての冷徹なものになっていた。


「セクターの最高司令官が変わるとのことよ。前々から不正の疑惑があったそうだけど、第九セクター防衛戦の失態を擦り付けられて更迭とのことね。それで新たな司令官はマクスウェルよ」


 マクスウェル。その名前を聞いた瞬間、一同は固まった。

 最初に口を開いたのはリリスだ。


「マクスウェル大佐が……最高司令官に?」


 ある時から風のようにリリスたちの前に現れては、危険を省みずリリスたちを救うために手を貸してくれたこともある。穏やかで掴みどころのない不思議な軍人だ。そんな彼が今度は最高司令官として就任し、自分たちの生殺与奪を本格的に握る。

 彼の行動がただの親切心ではなく、実権を握りアリアドネ、パエトーン、そしてエレンを支配下に置くための壮大な布石だとしたら。リリスの脳裏に不穏な考えがよぎる。


 リビングを支配する沈黙の嵐はひどく冷たかった。

 しかしそれはリリスの中に吹き荒れる嵐に過ぎない。サラは腕を組み直すと静かに頷き、ベティはクッキーを一枚つまみあげて気にすることなく食べる。


 この前の夢以降、リリスは神経質になっていた。何か裏がないか探るようになり、何かが気になり始めるとおちおち眠れやしない。自分に嫌気が差しながらも自己防衛だと割り切っていた。

 リリスの脳裏では疑惑が墨のように膨らんでいく。


「明日か明後日にはアリアドネにも通達が来るはずよ。防衛戦の功績が認められて昇進もあるかも?」


 エリヤは静かに踵を返した。カレンもまた小さくウィンクをしてエリヤの後についていく。

 パタン、と音を立てて玄関が閉まる。


「リリス、さっきから表情が暗いけど悪いものでも食べた?」

「ううん……なんでもない、最近ちょっと考え事が多くなっちゃって」


 不思議そうに顔を覗き込むサラと視線を合わせないようリリスはそっぽを向いた。無理に笑みを作って誤魔化そうとしたが、むしろ逆効果でベティがそれをからかい始める。

 視線は吸い寄せられるようにエレンへ向いていた。


「リリスさん?」


 エレンは小首を傾げて聞いた。リリスは何も言わずに彼女の傍に歩み寄り、自分よりも一回り以上小さい肩を引き寄せた。


「大丈夫だよエレン、何があっても……私は……私が絶対に守るから」


 サラやベティには見えていない深淵。そこからエレンを匿うようにリリスは彼女を強く抱き締めた。

 しかしその瞳の奥では、自分に銃口を向けるエレンの姿が一瞬だけ浮かんで消え、リリスの心を激しく揺さぶっていた。

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