第30話 エレン・ヴァンス
30話おめでとう
「うわあああ!!」
エレンが振り向き引き金を引くよりも先、飛びかかってきたストライカーを一発の銃弾が撃ち抜いた。エレンは拍子抜けした顔で銃を見る。まだ一発も撃っていなかった。
では、と思い後ろを見る。
「おっ、エレンじゃん……私は何を?」
リリスだ。リリスが銃を構えていた。地面には空の薬莢が一つ、その筒から少量の煙が漏れていた。
「リリス……さん?」
エレンはその場にへたり込む。つい数分前まで人形のように固まり動かなかった少女が、今は普段通りの眼差しで銃を構えている。顔はどろどろに汚れていたが、瞳の奥に宿る闘志までは汚されていなかった。
「リリスさん!意識が戻ったんですね!」
「うーん……まだ頭がふらつくけど、なんとかなるか」
「ベティさんは……」
「起きろーベティ」
呼んでも反応はなかった。ふらつく足取りで助手席を見ると、ベティも同様に意識を失っている。サラの姿はなかった。
リリスは瞬時に状況を把握し、エレンに尋ねる。
「もしかして、エレンが全員救助してくれたの?」
「は、はい!マクスウェル大佐の助力もあって」
「へぇ……すごいじゃん。そんなに強くなったんだ」
リリスの一言は文面とは裏腹に驚くほど穏やかで、エレンの胸に深く刻み込まれた。以前の自分だと絶対にありえない力を振り絞り、泥まみれになりながら負傷した仲間を運び出す。自分出来る最前の行動を、誰よりも憧れていた人に認められた。
エレンは思わず涙が溢れ出してしまいそうだった。しかしその涙を袖で乱暴に拭う。泣いている暇はない。ベヒーモスは既にゲートを破壊し、セクターの中に侵入している。ストライカーも続々と現れ、市街地を戦場に作り替えていた。
「じゃあ私が護衛するからベティをよろしく。車には乗れる?」
「ええと……かなり狭いかもしれないです」
「……そっか、仕方ない」
リリスは短く言うと走り出した。リグが青白く発光し、彼女に力を与える。寝起きだというのに動きは軽快で力強さを感じた。
車内に詰め込まれた負傷者たちの隙間を縫うように、エレンは必死にベティを押し込んだ。人数を数えながらエレンが聞いた。
「……エリヤさん、ニーナさんはどこへ?」
「トランクの中よ。ちゃんと毛布で包んでおいたわ」
「そ、そうなんですね……リリスさん!行きますよ!」
「私は大丈夫、負傷者を逃がして!」
リリスはタロスの装甲を掴むと、迫り来るストライカーの群れに迷いのない銃弾を叩き込む。ストライカーの注意を引き付けている間に、車は向きを変えて走り出した。
バックミラー越しに見えるリリスの姿が次第に小さくなる。彼女は崩落した建物の上で無数の怪物たちを相手にしていた。エレンはマクスウェルから渡された拳銃のグリップを、指が白くなるほど握りしめる。
孤高に戦うリリスの姿をこれ以上見ていられないと感じた。しかし自分が出たところで足を引っ張るだけだ。無力感に打ちのめされ、呆然とする。
車が去るのを見届けたリリスの口角が上がる。
「……ったく、一人で戦うのは慣れないね」
リリスは肩を大きく回した。衝突の衝撃でリグの一部が破損していたが、気にせずに動かす。火花を散らしてもその出力は健在だ。
三匹のストライカーがリリスを囲む。背後から同時に跳躍する。普通の兵士であれば反応出来ない速度だが、リリスの目にはそれがスローモーションにすら見えた。
「遅いね」
迫る一匹の顎を拳で粉砕した。そのまま回転の勢いを利用し、左手に持った拳銃で残り二匹の眉間を正確に撃ち抜いた。
リグのブースターが青白い光を吐く。光の弾丸のように飛び出し、壁を垂直に駆け上がる。リグの強靭なパワーは重力を無視した動きを可能にしていた。空中で回転しながら弾丸を地上に撃ち込む。
放たれた全ての弾丸は急所に吸い込まれるように命中する。リグによる照準補正と、天性の勘、まさに死神が降臨したような強さだった。
「チッ……あれは面倒そうだね」
ベヒーモスがリリスに向かって突進してくる。リリスはベヒーモスと直接戦うことはなかったが、この一瞬相対しただけで、なぜパエトーンたちが敗北したかがわかった。
硬く、大きく、重い。ただそれだけの単純な理由。
振り下ろされた腕は民家の隅を軽く削り取る。咄嗟に飛び上がり直撃を回避した。衝撃で風が靡く。
「普段ならまともに相手するのは馬鹿だけど……時間くらいは稼がせてもらうよ!」
ベヒーモスの背後に回り、弾丸を撃ち込む。しかし戦車砲の直撃を耐える装甲は簡単には崩せない。リグの出力に任せてヒットアンドアウェイを繰り返す。途中、グレネードを腹の下に潜らせたが、ダメージは薄い。
「嘘でしょ、これでもダメなの?」
あまりの硬さにリリスは言葉を失う。関節の隙間を狙っても、柔らかい皮膚をやたらめったら撃っても、有効打にはならないようだ。
ベヒーモスは飛び回るリリスを鬱陶しく思い、辺りを見回した。まだリグを使いこなせていない兵士を見つけると、その腕で掴んだ。
「……っ、やめ──」
言い終わる間もなく、ベヒーモスは掴んだ兵士をリリスに向けて投げつけた。人間一人の質量が砲弾のように飛ぶ。リリスは急いで方向を逸らそうとしたが、空中に逃げ場はない。ベヒーモスはその隙を逃さなかった。
投擲された兵士がリリスのすぐ横を通り過ぎる。狙っていたかのようにベヒーモスの腕が、リリスをたたき落とすために振るわれた。
リグの装甲が砕け、リリスの体が地面に叩きつけられた。地面を十数メートル滑りながら、民家の壁にぶつかってようやく止まる。警告音が鳴り響く。リリスは呻き声を上げながらもなんとか立ち上がろうとした。
「ぐっ……カハッ……」
血反吐が出てくる。僅かに油断した隙にベヒーモスは距離を縮めた。既にリリスの目と鼻の先だ。ベヒーモスの巨大な影が立ち上がろうとするリリスに覆い被さる。
「う、ガ……ッ!」
リリスの体が地面に押し付けられた。地面にヒビが入り、装甲が嫌な音を立てながら歪む。肺から空気が抜けるよりも先に肋骨が粉砕されてしまいそうだった。腕をどかそうとするが、まるで丸太がのしかかっているようだ。いくら踏ん張っても動かない。
ベヒーモスはリリスの前に顔を近づけた。顎を開き、暗黒の中から無数の牙が覗く。
リリスの意識が遠のきかけたその時だ。ベヒーモスの動きが一瞬止まった。
「待ちなさいッ──!」
そこにいたのはリグも装備せず、生身に拳銃だけを構えたエレンの姿だった。
彼女の顔は青ざめ、膝も震えている。それでも瞳だけは怪物を見据え、根性で平常心を保っているようだった。
「……エレン?馬鹿!殺されるよ!!」
エレンは退かない。リリスの声を掻き消すように叫ぶ。
「リリスさんから離れろ……!」
凄まじい気迫だ。リリスやベティと遜色のない気合い。
刹那、空気が凍りついたような静寂が流れた。エレンの瞳の奥では未知の光が爆発する。それは彼女自身さえ自覚していなかった能力の胎動だった。
リリスを押さえつけていた腕が、まるで焼けた鉄板に触れたかのように弾き飛ばされた。怪物は数歩後ずさる。
銃による脅しではないことは誰の目から見ても明らかだった。それよりも更に強い力が働いていることが本能的に直感出来る。エレンの周囲だけ大気が違う。動かないベヒーモスを見て、エレンはもう一度叫ぶ。
「離れろって、言ったのよ!」
エレンが一歩近づくと、ベヒーモスは更に数歩後ずさりした。
覚醒?!




