第25話 危機転調
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「アイリス!」
吹き飛ばされたアイリスの姿を視界に収めると、途端にニーナが走り出した。カレン、エリヤが警戒しながら後ろを追う。ベティとサラも異変に気づき、建物から身を乗り出して敵の姿を探した。
「っ……うっ」
「アイリス、何があった」
「ベヒーモスが……それと、リリスが沼にはまった……助けない……と」
アイリスは意識を失った。リグと紋様が体を補強してくれたとしても、流石にコンクリートを破壊する衝撃には耐えられなかったようだ。エリヤはカレンと共に彼女の体を戦車の上に置いた。
操縦士の男がアイリスを車内に運ぶ。相当なことが起きない限り、アイリスの身の安全はこれで保証された。
「ベヒーモス……思った以上に厄介になりそうですわ!」
「カレン、仇を取るわよ」
「任せてくださいエリヤお嬢様。訓練の成果を見せてやりますわ!」
カレンは背中のブースターを吹かす。模擬戦で見せたあの縦横無尽な動きが再び、今度は実践で目の当たりに出来る。久々の実戦にエリヤは笑みを浮かべた。
カレンのブースターがあれば、沼に触れることなくリリスを助け出すことが出来る。自分がリリスを助けることを、カレンは一瞬尻込みしたが、今は過去の記憶を考える暇はない。
建物から出てきたベヒーモスに、エリヤは主砲とライフル弾を惜しみ無く叩き込む。砲撃がベヒーモスの注意を引いた。ベティたちも高台から狙い、注意を逸らし続けた。
視線が逸れた瞬間をカレンは見逃さなかった。
青い光の線を残し、カレンは粉砕された壁から中に突入した。
「どこにいますの?リリスさん」
内部はもはや建物としての体をなしていなかった。液体のセラムが一点に集まり、逃げ遅れた獲物を消化しようとうねりながら密度を増していた。
リグの赤外線センサーは役に立たない。カレンは目を凝らす。セラムの一点が、渦潮のように回転して下がっていた。この下にリリスがいるとカレンは直感した。彼女は迷うことなく沼の中に飛び込んだ。
「邪魔ですわっ!」
沼がカレンの体を絡め取る。新たな獲物が来たと歓喜しているようだった。カレンは叫ぶと同時にブースターを逆噴射した。粘液の塊が吹き飛び、壁にくっつく。
「この私がこのような不潔なものに屈すると思ってますの?!」
カレンは深淵の中に両腕を突き立てる。渦巻く奔流の中、指先がリリスの硬い装甲に触れた。そのまま掴み、力任せに引っこ抜く。しかしリリスを捉えていたのは並の吸引力ではなかった。粘液が一つの組織として彼女の体を錨のように固定していたのだ。
「くっ……ぬぬ、せーのっ!」
リリスが圧力で断裂しそうだ。危険なのはカレンも同じで、エンジンが焼き切れそうだと赤く点滅する。これ以上時間をかければブースターが壊れ、二人とも沼の底に沈む。が、カレンはそれを一瞥だにもしない。
刹那、リリスを掴んでいた全ての組織が根こそぎちぎれた。引き上げられたリリスの首は力なく項垂れ、バイザーには血と粘液が混ざりあって溢れ出している。完全に沈黙し、魂の抜けた人形のようだった。
「リリスさん!息をしてください!リリスさん!私まだあなたに復讐をしていないんですよ!」
カレンが肩を揺さぶる。反応はない。辺りを確認し胸骨圧迫を始めた。訓練通のリズムで胸を押し下げ、人工呼吸をしようとした時だった。彼女の頭の中にどす黒い記憶が流し込まれる。
肺から全ての空気を抜かれ、抗う術もなく口を塞がれたあの感覚。カレンにとってリリスと唇を重ねることは、死へのカウントダウンと同義だった。
今のリリスはかつての自分と同じ状況にいる。
一瞬、カレンの体が凍りついた。どす黒い邪悪な感情が湧き上がってくるのが感じられた。自分を苛んだトラウマが、目の前の光景と重なっている。
だがカレンは首を横に振り、迷いを振り切った。
(違いますわ……あれはあれ、これはこれ。戦場で絶望を分かち合う必要性はありませんわ!)
カレンは深く息を吸い、人工呼吸を始めた。
かつては奪われた空気を、今度は自分が差し出している。
繰り返される胸骨圧迫と人工呼吸。一度、二度と空気を送る度にカレンの肺は悲鳴をあげていた。リグは身体能力を極限まで高めるが、肺機能まではカバー出来ない。まだ年端もいかない少女の肺機能だと、魂を分け与えるほどの労力だった。
必死に空気を送り込み、粘液と血液を押し出す。
一分、二分という短い時間が永遠に感じられた。このまま息を吹き返すことはないかと絶望した。
絶望に打ちひしがれそうになった、その時だった。
「うっ……げほっ、ぅ……ぁ……」
リリスの喉が微かに震え、気道に溜まっていた粘液を吐き出した。焦点の合わない瞳が小さく動いた。
「リリスさん……!」
安堵で膝をつきそうになるのを堪え、カレンはリリスに抱きついた。
同時にベヒーモスが彼女たちに気づき、体を反転させる。ビルへとその巨体を動かそうとした時、カレンが言う。
「行きますわよ……」
カレンは無理やりブースターを点火させ、近づくベヒーモスを背に、リリスを抱えて外の世界へと飛び出した。カレンは青白い光の矢となって加速した。脱出した衝撃と共にビルの一部が崩れ落ち、瓦礫が降り注いだ。
僅かな隙間を、リグの限界を超えた速度で駆け抜けた。
視界が開けると、乾いた空気が頬を叩く。
ドン、と音を立ててブースターが爆ぜた。推進力を失ったカレンは、リリスを抱えたまま戦車の前へと滑るように転がった。
「カレン!リリス!」
エリヤが近づく。
カレンは膝をつき、荒い息を立てながらもリリスの身を案じた。胸の中のリリスを離さずぎゅっと抱きしめる。カレンの真っ白な装甲は、リリスと同じように粘液と血で赤黒く染まっていた。かつての綺麗な面影はどこにもない。
「はぁ……はぁ……任務完了ですわ。エリヤお嬢様。この方は私が直々に……お仕置をしなければなりませんから」
カレンは震える手でリリスの乱れた髪にそっと触れた。
救出は無事に成功した。負傷者は安全な場所にいる。
しかし戦闘が終わったわけではない。むしろこれから始まる。カレンは震える足に喝を入れ、壊れたブースターをパージした。二丁拳銃を取り出し、ベヒーモスへと向ける。
「よくも私を……ここまで汚してくれましたわね。痛い目に合わせますわ」
カレンの瞳にはかつてないほど強い闘志が宿り、澄んだ表情をしていた。
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