第24話 泥濘
ちゃんと毎日書き溜めが出来てます!
偉い!!
サラはカメラをバックパックにしまうと、何事も無かったかのようにリリスたちの元へ戻った。笑顔で振る舞っていたが、腕の紋様は小さく点滅し、明らかに動揺しているのが見て取れた。
「エリヤ、他のネクストルムの動きは?」
「……反応は消失したわ。付近を探しましょう」
戦車が煙を吐き出しながら動いた。死骸の横を通り過ぎ、建物を抜けていく。分隊員たちは警戒しながら進んだ。物音一つ聞き逃さないよう耳を凝らしていた。
先程までの戦闘の喧騒が嘘のように、廃墟は静寂に包まれていた。聞こえるのは戦車が駆動する音と、地面を踏んでセラムが砕ける乾いた音だけだ。
ふと、リリスが足を止めた。
それを見た他の隊員たちも足を止め、銃を構えた。
「あれ……」
リリスが指さした先、倒壊したビルの中あたりだ。
時間が経ったセラムは半透明に凝固しているが、そこだけ色が違った。まだ新しく白い。まるで何者かがそこに巣を作っているようだった。
「まだ新しい……周囲を索敵、ベティとサラは高台へ、リリスとアイリスは正面から」
エリヤが指示を出す。先程までの動揺を押し殺し、サラは指示に従った。ベティを連れて非常階段を登り出す。リリスはアイリスと視線を交わし、銃口を向け警戒しながら、巣の中心へと足を踏み入れた。
ズブリと足首まで沈み込むような粘着音が響く。
「気持ち悪い……生きているみたい」
「確かに、こういう感じなんだ。出来たばかりの巣って」
アイリスが顔をしかめながら機関銃のグリップを握り直した。湿り気を帯びた巣の中は音を吸収するようだ。二人の声はほとんど響かずに壁の中へ吸い込まれる。
リリスのディスプレイには全方位から熱源の反応がある。セラムの微弱な熱がセンサーを狂わせていた。
「アイリス気をつけて、ここ足場が不安定」
「あぁ……出来れば進みたくないな」
突如足元のセラムが粘性を失い、二人を飲み込み始めた。
「……っ!いや、落ち着いてリリス。ここはリグの出力を上げて浮力を」
アイリスは冷静に言う。太ももまで沈みながらも冷静に対処を始めた。しかし粘液が機関部に入り込んだことにより鈍い音を立てて黒い煙を噴き出した。人工筋肉に絡みつき、もがけばもがくほど沈んでいく。
辺りを見渡し、手頃な鉄棒を見つけると手を伸ばした。
「これで……なんとか」
アイリスが鉄棒を掴んだ。
腕に力を集中させ、体を持ち上げる。ずぶずぶと沈んでいた体が抜け始め、いよいよ空気に触れた。最短ルートで脱出すると、腰まで沈んだリリスに手を伸ばす。まだ距離がある。これ以上進むとまた沈んでしまう。
「リリス、重心を後ろにして。足が抜けて浮かぶ」
「……わかった、やってみる」
リリスはアイリスの言う通り、上体をゆっくりと傾け、腕を広げた。浮力を得るための基本動作だ。しかし期待通りの結果は出なかった。
足首に何かが絡みついた。というより、まとわりついていた。セラム全体がアメーバのように流動し、彼女を引きずり込もうとしているような、明確な意志を持った力。
「……っ、嘘!何かが……私の足を引っ張って──」
リリスの体が更に沈む。腰を埋めていた肉の沼が腹を、そして胸の下まで飲み込もうと迫る。
「リリス!深呼吸を、暴れたらむしろ逆効果」
「違う!何かがいるの!」
「これを掴んで。引っ張りあげる!」
アイリスは手頃な鉄パイプを手に取る。リリスの前に差し出した。
リリスは必死に手を伸ばし、鉄パイプを握った。
「いい?ゆっくり引くから、しっかりと握ってて」
「う、うん……」
アイリスが両足で踏ん張り、渾身の力でパイプを引っ張った。リリスの体が数センチ、また数センチと浮き上がった。粘液が糸を引き、彼女を離すまいと体にまとわりつく。
「うっ……ふっ……」
リリスの呼吸が荒くなる。肩まで浸かっていた泥が胸元まで下がり、ようやく肺が大きく膨らむスペースが出来た。
しかし安堵したのも束の間だった。
「……今のは?」
建物を震わせるような振動。一瞬アイリスの腕が止まった。
リリスは辺りを見回し、アイリスを見て硬直する。一瞬のうちに血の気が引いていくのが実感出来た。
「アイリス、逃げて……!!」
リリスの瞳が動く巨大な影を捉えた。建物の支柱かと思っていたそれは、生き物だった。巨大な塊がゆっくりと壁から剥離し、赤く光る目がこちらを見ている。
ベヒーモス。
その巨大な体格からは想像出来ない静けさ。しかし確かにそこにいるという存在感を放っている。
「──っ!!」
アイリスは咄嗟に銃を向けた。しかし引き金を引けず固まる。すぐそこまで近づかれていたというのに気づけなかった。あまりの威圧感に、アイリスは石のように固まってしまう。
「危ない!避けて!」
ベヒーモスが足を振った。だがこれはアイリスを狙ったものではない。ただベヒーモスが体を動かす過程で生じた、ただの身震いだ。
しかしそれはあまりにも強力で、凶悪な破壊力を持っていた。
アイリスの体が吹き飛んだ。
硬いコンクリートを砕き、外壁ごと外に吹き飛ばされる。瞬きもしないうちに視界からフェードアウトし、気づいた時には外からの光が差し込んでくるだけだった。
「アイリス!」
叫び声は虚しく消える。リリスは再び泥の中に取り残され、無慈悲に吸い込まれていく。目の前にいる巨大な「死」を見て、恐怖のあまりリリスは呼吸を忘れていた。
だがベヒーモスは彼女に関心を示さなかった。動けない獲物はもはや興味の対象ではないのか、怪物は退屈そうに首を振り、リリスに背を向け歩き出した。崩落した壁を突き破り、巨体が外の世界へ消えていく。
リリスを飲み込む巣が密度を増していった。全身に逃げ場のない圧力がかかる。単に重いものがのしかかっているのではない。数千、数万の物体がそれぞれ独立してリリスを圧縮していく。装甲を、筋肉を、内側へと押し潰そうとする。
「……っ、がはっ……!」
肺が押し潰され満足に呼吸出来ない。呼吸をしようと藻掻くと、粘液が口に、鼻に入ってくる。鼻腔の奥まで侵入してきたセラムの死の香りがリリスの意識を朦朧とさせた。
(苦しい……だれか……)
一瞬、エレンの顔が浮かんだ。きっと今はゆっくりしている頃だろう。エレンの顔に影が広がっていく。
心臓の微かな鼓動だけが、肉の壁を通して聞こえてくる。孤独に鳴り続け、やがてリリスの意識は底の無い深淵へと沈んでいった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
リリスの運命はどうなる……?!




