27.王国へ
帝都からエルン王国へ渡るには、飛行船を用いるのが最も速い。
もちろん陸路や海路といった手段も存在はするが、中でも圧倒的な速さを誇るのが飛行船だ。
帝国の魔法工学技術を集結して開発された魔導エンジンにより、帝都から東に位置する王国まで、わずか数時間での移動が可能なのである。
「……ついた……」
ティナたちを乗せた飛行船が王国へ到着したのは、昼前のことだった。
南部第三支部に最も近い飛行船場から先は、陸路での移動となる。
タラップを降りたティナは、どこか懐かしく感じられる王国の景色をゆっくりと見渡した。
「人がいませんわね」
「ああ。南部の住民はほとんどが避難しているらしい」
続いてタラップを降りてきたフェリィとパーシヴァルが、人気のない街並みを眺めて言う。
そんな二人を交互に見比べていたティナは、やがて小さな声で「あのぅ……」と切り出した。
「で、殿下とフェリィさんは、その……ど、どうしていらっしゃるんですか……?」
「まあ失礼」
意を決して尋ねると、フェリィが心外だとでも言うように目を丸くした。
王国へ行かせてほしいと直談判した時、ティナはまさか二人まで同行するとは思っていなかった。
だが蓋を開けてみたらこの状況である。しばしの別れを告げようとしたティナをよそに、パーシヴァルとフェリィが何食わぬ顔で同乗し、特に何の説明もないまま作戦会議を開始したのだ。
「私もチームの一員でしてよ。行かない理由がありません」
「は、はぁ……」
「つまり一蓮托生! きゅー様いるところに私あり! 必ずや役に立ってみせますわ!」
危険な場所へ赴く理由にはなっていない気がするが、フェリィは自信に満ちた様子で胸を張る。
その腕の中には、フェリィに高速で頭を撫で回されているきゅーちゃんの姿があった。
「お喋りしている暇はねえぞ。現地に向かおう」
発着場の外には、王国側が手配したらしい数台の馬車が待機している。
既に御者たちも出発の準備を終えているらしく、ティナたちの姿を認めると慌ただしく馬車の扉を開けた。
(馬車……)
ここから南部第三支部までは、それなりに距離がある。
馬車での移動となると早くても一時間はかかるだろう。ティナはおずおずと尋ねた。
「あのぅ……他に移動手段はないんですか?」
普段なら決して長い時間ではないが、今は一分一秒を争う事態だ。一時間もあれば、竜は都市一つを焼き払い、数え切れないほどの命を奪うことだってできる。
そんな焦りを感じ取ったのか、パーシヴァルは苦々しげに言った。
「ない。飛行船で直接現地に行くわけにもいかねえし、今使える手段じゃ馬車が一番速いそうだ」
「……そうですか……」
焦りに唇を噛み、ティナは何とはなしに辺りを見回した。
飛行船の発着場を取り囲むようにして、少し離れた場所には深い森が広がっている。
この周辺には昔から手つかずの森林が多い。父と暮らしていた頃にも、何度か魔法生物の観察へ訪れたことがあった。
「……あ」
ふと、ティナの視線が一点でとまる。
「ティナさん?」
呼び止めるフェリィの声に返事もせず、ティナは森の手前まで駆け寄った。
足元を見回し、そこらに生えていた細長い草を一本摘み取る。それを口元に当てると、小さく息を吹き込んだ。
ピーッ、と澄んだ音が森の中へ響いていく。
「……草笛?」
馬車に乗り込みかけていたパーシヴァルが、ぽかんと口を開く。
ティナは目を閉じ耳を澄ませた。数秒して、やがて遠くから、微かな蹄の音が聞こえてくる。
「……きた」
「何が──」
パーシヴァルが言い終えるより早く、森の茂みが大きく揺れる。
すると次の瞬間、純白の獣が木々の間から姿を現した。これは。
「ユニコーン……!?」
フェリィが目を見開く。
額から一本の角を生やした白馬──ユニコーンは、警戒するようにこちらを見つめながら、ゆっくりと森から歩み出てくる。ティナはほっと息を吐いた。
(よかった、きてくれた……)
このあたりの森には、昔からユニコーンが棲んでいる。
ユニコーンは広い森に群れを作って暮らし、離れた仲間と鳴き声を交わして互いの位置を把握する習性を持つ。その鳴き声は甲高く、草笛の音によく似ているのだ。
それを知っていたティナはゆっくりとその場にしゃがみ込むと、ユニコーンを驚かせないように声をかけた。
「ごめんね。ちょっとだけ力を貸してもらえないかな」
「…………」
「君も気付いてるよね。近くに竜が出てるの。……わたしたち、それをどうにかしたくて」
ティナはそっと手を差し出す。ユニコーンはしばらく警戒するように鼻を鳴らしていたが、やがてゆっくりと近付いてきた。
白い鼻先が、ティナの手のひらに触れる。
「……ありがとう」
ほっと頬を緩め、ティナはその額を優しく撫でた。どうやら協力してくれるらしい。
「ちょっと待て、お嬢様」
背後から、困惑しきったパーシヴァルの声が飛んでくる。
「まさかとは思うが、そいつに乗って行くつもりか?」
「え? あ、はい。そのつもりですけど……」
「そのつもりって……」
パーシヴァルはユニコーンとティナを交互に見比べた。理解が追いついていないらしい。
「ユニコーンは普通の馬よりずっと速いんです。森の中でもほとんど速度を落としませんし、この辺りの地形にも慣れてますから……三十分もあれば、現地に着くと思います」
そこで言葉を切り、ティナはユニコーンへ視線を戻した。
「ごめんね。お友達も、近くにいる……?」
問いかけると、ユニコーンは大きな瞳をぱちりと瞬かせた。
それから森の奥へ顔を向けると、額の角を淡く光らせる。
「……!」
ピーィ──。
先ほどティナが鳴らした草笛によく似た、けれどそれよりもずっと高く澄んだ音が森いっぱいに響き渡った。
ざわりと木々が揺れ、次いで聞こえてきたのは、一つではない蹄の音。
茂みを掻き分け、二頭、三頭と白いユニコーンが次々に姿を現した。
「わ……」
最終的に森の前へ集まったユニコーンは、全部で七頭。
突然現れた純白の群れを前に、王国側の御者たちまでぽかんと口を開けている。
「すごい……本当に乗せてくれるんですのね」
フェリィが恐る恐る手を伸ばすと、一頭のユニコーンが自ら鼻先をすり寄せてきた。
ユニコーンは気高い生き物だ。心の清らかな者を好むのだとティナの父は言っていたが、どうやらフェリィの国を想う真面目で真っ直ぐな気質は気に入られたらしい。
そんな和やかな光景を見て、パーシヴァルも少し肩の力を抜いたようだった。
「なるほどな。確かに馬車よりも速そうだ。俺も乗せてもらおう」
そう言ってパーシヴァルが一歩踏み出し、手近なユニコーンへ手を伸ばした、その時だった。
「ぶるるるっ!」
「うおっ!?」
ユニコーンが突然激しくいななき、パーシヴァルを威嚇するように前足を高く振り上げた。
鋭いひづめが空を切り、パーシヴァルは間一髪で後ろへ飛び退く。
「なんだ!? 急に──」
驚くパーシヴァルをよそに、他のユニコーンたちも彼から距離を取り、一斉にそっぽを向いてしまう。中にはあからさまに嫌悪感を示すように地面を蹴る個体までいた。
「……お嬢様」
「ブルルッ」
「なんで俺だけ露骨に嫌われてるんだ」
「え、ええと……」
ティナはおそるおそる口を開く。
「ユニコーンって、その……警戒心が強いので。殺気が強い人には近付きたがらないことがあって……」
「殺気」
パーシヴァルの口元が引きつった。
「俺は別にユニコーンを殺す気なんてねえぞ」
「ぷぷーっ! ユニコーンは純潔な乙女を好むとされていますわ。竜に対する殺気ダダ漏れの殿下とは真逆でしてよ!」
「…………」
得意げにユニコーンに跨るフェリィを見上げ、パーシヴァルは忌々しげに舌打ちをする。
結局、どうにか一頭のユニコーンに「乗せてもらう」ために、パーシヴァルはしばらくの間、深呼吸をして必死に殺意を抑え込んで宥めすかす羽目になった。
「それじゃあ、行きましょう……! 竜のところへ」
それぞれがユニコーンの背に跨り、ティナが合図を送ると、純白の群れは風のような速さで森の中へと駆け出した。
(……クロも、いてくれたらよかったけど)
風を切り裂き、飛ぶように森を駆けるユニコーンの背にしがみつきながら、ティナは帝国に残したクロのことを想う。
せめて王国へ発つことくらいは伝えておきたかったのだが、出立までにクロを見つけることはできなかった。
体調を崩しているのだから、当然連れていくつもりなど毛頭ない。それでも出発前に顔くらいは見たかったし、いつもの尊大な口調で「気をつけろ」とでも言ってもらえたら、少しは心強かったのにとティナは思う。
(だめ。クロのためにも、頑張らなきゃ……!)
首を横に振り、奥歯を噛む。
やがて、ティナの優れた耳が風の音に混じる異音を捉え始めた。魔法の爆発音。けたたましい、何者かの咆哮。
「……そろそろ、です」
ティナの言葉に、パーシヴァルとフェリィも表情を引き締める。
進むにつれて、青かったはずの空がどんよりとした黒煙に覆われ始めた。
鼻を突くのは、木々が焼け焦げたような酷い匂い。ビリビリと空気を震わせる巨大な質量が動く音。重い地響きがユニコーンの足元まで伝わってくる。
「もうすぐ開けた場所に出ます……!」
ティナの叫びと同時に、木々の切れ間からパッと視界が開けた。
そこは、ティナにとって嫌というほど見慣れた場所だった。つい最近まで身を粉にして働いていた、魔法省南部第三支部の付近にある広場だ。
だが、その景色は無残に変わり果てていた。
施設の壁は崩れ落ち、周囲の木々はなぎ倒され、炎が地面を焼いている。
そして、もうもうと立ち込める土煙の中心にそれはいた。
八の字にとぐろを巻いた細長い身体。退化した手足と、そして何より──自分の尾を、自ら噛んでいるという異質な行動。
(蛇竜目、リンドヴルム科)
ティナの脳は、案外冷静にその正体を認めていた。
「ウロボロス……!」
ウロボロス。自らの尾を噛むことで体内の魔力を循環させ、無限に近いエネルギーを生み出し続けるとされる、極めて特異な竜である。
その周囲では、エルン王国の討伐隊が絶望的な戦いを強いられていた。
放たれた魔法や矢は、ウロボロスの硬い鱗に容易く弾かれ、傷一つ付けられない。
それどころか、ウロボロスが巨体をうねらせるだけで竜巻のような突風が吹き荒れ、兵士たちが次々と吹き飛ばされていく。
その姿を遠巻きに眺めながら、ティナは一つ深呼吸をした。
ユニコーンの背を下り、優しく背を撫でる。ユニコーンの身体は震えていた。恐ろしいのだ。
「もう行っていいよ。ここまでありがとう」
ユニコーンは不安げにティナを見つめ頷くと、森の方へと戻っていく。
「お嬢様、あの竜は」
同じようにユニコーンを森へ帰したパーシヴァルが尋ねる。
ティナは頭の中で父のノートを開きながら答えた。
「ウロボロス、です。蛇竜目の中でも、特に強力な魔法を放つ種族です」
「弱点は」
「尻尾です」
ティナはすっと指をさした。自らの尾を咥え、ウロボロスはゆらゆらと空中に漂っている。
「鱗部分は硬いですが、尻尾の部分に魔力が集中しているので……尻尾を切り落とすことができれば、大幅に弱体化、します」
「わかった」
パーシヴァルは据わった目で頷いた。その瞳には、恐怖も驚きも一切ない。
「帝国からの本隊があと十分で到着する。俺はその指揮に当たらなきゃならねえ。ロッド嬢は後方支援だ」
「へっ!?」
突然話の矛先を向けられたフェリィは、後ずさりかけた身体をびくりと跳ねさせた。
「足が震えている。無理に戦えとは言わねえ、負傷者の救護を頼む」
「は、はいっ……!」
「お嬢様、君の魔法の腕を後方支援に回しておく余裕はねえ」
パーシヴァルの鋭い視線がティナを射抜く。
「遠距離からでいい、君は竜を狙え。いいか?」
「……だ、大丈夫、です」
ティナは小さな手で杖を握り直し、真っ直ぐに彼を見返した。頷きが一つ、返ってくる。
駆け出したパーシヴァルとフェリィを見送り、ティナはじっとウロボロスを見つめた。
ウロボロスは雄叫びを上げながら暴れ回っていた。起こした突風が遠くにいるティナの髪をごおっと靡かせ、砂煙が目に入る。
(……ここからじゃ当たらない)
もう少し近寄らなければ。右腕のブレスレットを一度撫で、ティナはたっと駆け出した。




