◆28.ウロボロス
(……素晴らしい)
マクエル・チェスターは、目の前の光景に歓喜していた。
南部第三支部の無骨な庁舎が、ウロボロスの放つ突風と魔法によって次々と瓦礫に変わっていく。
(これが、竜の力……!)
マクエルを見下していた父も、脅迫したレイラも、今頃あの瓦礫の下で逃げ惑い、恐怖に泣き叫んでいることだろう。それを思うとおかしくて、マクエルは腹の底から笑った。
左手に握った黒い角が、どくりと脈打った。
「おい!」
マクエルは瓦礫の向こうで暴れ回るウロボロスへ向かって声を張り上げた。
「もういい! こっちへ来い!」
「──ォオオオオオオオオッ!」
返事の代わりに、鼓膜を破りかねない咆哮が返ってくる。
「ぐっ……!」
吹き荒れた突風に身体を煽られ、マクエルは片膝をついた。だがしかし、すぐに口元を歪める。
(随分と威勢のいい奴だ……。突然召喚されたことで興奮しているんだろう)
それを制御してやるのが、主人たるマクエルの役目だ。マクエルは黒い角を掲げた。
「聞こえないのか! お前の主人は僕だ! こっちへ来い!」
瞬間、ウロボロスの動きが、ぴたりと止まった。
マクエルの顔に喜色が浮かぶ。
(ほら見ろ! 奴は誰が主人かをしっかりと理解してる!)
ゆっくりと、ウロボロスの頭部がこちらを向いた。
巨大な双眸が、真っ直ぐにマクエルを捉える。
その瞳に宿っていたものが何なのか、マクエルにはわからなかった。
「……なんだ?」
ウロボロスは、自らの尾を噛んだまま身体を大きくうねらせた。
「ちょ、待っ──」
次の瞬間、マクエルのすぐ横にあった建物が跡形もなく吹き飛んだ。
「うわあああああっ!?」
爆風に投げ出され、地面を転がる。まともに受け身もとれず、全身に痛みが走る。
全身に土埃を浴びながら、マクエルは何が起きたのかわからず目を見開いた。
「何をしている! 僕だぞ! 僕がお前を呼んだんだ!」
しかしウロボロスは答えない。再び巨体をうねらせ、手当たり次第に周囲を破壊していく。
「……っ」
マクエルは角を握り締めた。
(おかしい)
こんなはずではない。
アステルの資料には、確かに『他の竜を呼ぶ力がある』と書かれていた。呼んだのであれば、当然従うものではないのか。
だってティナだってそうだったではないか。あの黒い竜を好き勝手に操って、乗りこなしてすらいた。ではなぜ。
(……僕が、ティナより劣っている?)
マクエルは奥歯を噛んだ。違う。そんなはずがない。あののろまな愚図が自分の上をいくだなんてそんなこと、冗談でもありえない。
「おい! 竜!」
マクエルは怒りのままに叫んだ。
「僕の右腕を治せ! お前ならそれが──」
できるんだろう、と言う前に、ウロボロスが雄叫びを上げる。
まるで命令を聞く様子がない。マクエルは舌を打ち、ふらつく身体を無理やり起こした。
(物わかりの悪い化け物め……)
竜を呼び出すことには成功したのだ。ならば、あとは言うことを聞かせればいい。
「おい、聞け!」
黒い角を握り締め、マクエルはウロボロスへ向かって歩き出した。
「僕はお前の主人だ! 僕の命令に従え!」
瓦礫を踏み越え、一歩近付く。
さらにもう一歩。ウロボロスは相変わらず周囲を破壊し続けている。
「聞いているのか!」
「──オォオオオオオッ!」
腹の底まで震わせる咆哮に、マクエルの足が竦んだ。だがここで引き下がるわけにはいかない。
(僕が、ティナにできたことすらできないなんて……そんなはずがない!)
いつも俯いて、まともに人の顔すら見られず、何を言っているのかも聞き取れないような愚図にでもできたのだ。ならば自分にできないはずがない。
マクエルはさらにウロボロスへ近付いた。
「僕の言うことを聞け! まずは右腕を──」
その時だ。ウロボロスの巨大な頭部が、ぐるりとこちらを向いた。
ウロボロスが尾を咥えたまま、ゆっくりと鎌首をもたげる。
「な……なんだ、その目は」
声が震えた。
「僕は、お前の主人で……」
その、次の瞬間だった。
「──っ!?」
視界いっぱいに、巨大な竜の身体が迫った。避ける暇などなかった。
凄まじい衝撃が全身を襲う。
気付けばマクエルの身体は宙を舞い、数メートル先の瓦礫へと激しく叩きつけられていた。
「が、はっ……!」
肺の中の空気が吐き出される。背中から全身へ激痛が走った。起き上がろうとして、動けない。
ウロボロスがこちらを向く。
その巨大な口の奥で、眩い光が灯った。
「……え?」
何が起きようとしているのか、それくらいはマクエルにもわかった。魔法だ。
「ま……待て」
ウロボロスの口内で膨れ上がった光が、臨界に達する。
マクエルはぎゅっと目を閉じた。どうして自分がこんな目に遭うのだ。
まだ何もやれていない。父やレイラを見返して笑ってやることも、ティナをもう一度見下して笑ってやることも、何も。
「誰か、助け──」
マクエルの言葉をかき消すように、轟音が響く。
しかし、覚悟していた痛みはいつまで経っても訪れなかった。
代わりとばかりに熱風が頬を撫で、砕けた石片がぱらぱらと降り注ぐ。
(は……?)
マクエルは恐る恐る瞼を開く。
栗色の髪が、風に靡いて揺れていた。
マクエルは呆然とその名を呼ぶ。
「……ティナ……?」




