26.竜
翌朝。自室の扉がノックされている音で目を覚ましたティナは、寝ぼけ眼をこすりながら、のろのろとベッドから這い出した。
「きゅぅ……」
「あ……おはようきゅーちゃん」
昨日飼育場で動き回ったせいか、万年運動不足の身体は、鉛が詰まっているかのように重い。
前足をぱたぱたと揺らして転がるきゅーちゃんを抱きかかえ、ふらつく足取りで扉を開けると、きちんと身支度を整えたフェリィが背筋をぴんと伸ばして立っていた。
「ぁえ、フェリィさん……?」
「おはようございます、ティナさん。それにきゅー様も」
「きゅう」
「始業前に打ち合わせでもと思ったのですが。……まさか今起きられたんですか?」
ちなみに現在のティナは、くたびれた寝巻きに袖を通し、頭には寝癖がくっついているという、一分前までぐっすり眠っていた人間の格好をしている。
素直にこくこくと頷くと、フェリィは大きくため息を吐いた。
「まったく、始業までまだ時間があるとはいえ気を抜いてはいけませんわよ。クロードさんに起こしてもらえばよかったのに」
「……クロ?」
「ええ、一時間ほど前に見かけましたの。クロードさんは素行と性格と所作と態度と言葉遣いには難がありますが、朝早くから活動を行う姿勢は評価に値しますわね」
(そこまで難があったら早起き一つじゃ何も変わらないのでは……)
言いかけた言葉を飲み込み、ティナは室内を振り返った。
そういえば、いつもなら痛いくらいにティナを抱きしめて眠るはずのクロが、今朝は既にベッドにいなかった。昨夜あれほど体調が悪そうだったのに、もう起きて出歩いているのだろうか。
(……散歩でもしてるのかな?)
歩き回れるくらいに体調が回復したのなら何よりだ。
フェリィは手帳をぱらぱらとめくりながら続けた。
「ともかく、早く準備をなさってください。昨日の件の続きです。魔力濃度が上下する原因を突き止めて──」
「ちょっといいか」
そんなフェリィの言葉を遮るように、廊下の奥から声が響く。
「あ……お、おはようございます、パーシヴァルさん」
パーシヴァルだ。こちらも朝早くからきっちりと身なりを整えていて、寝癖どころか服の皺ひとつついていない。
彼は寝起きのティナと半分寝ているきゅーちゃん、それから話の腰を折られて不満げなフェリィを順に見やると、半開きの扉から、ティナの自室を窺った。
「クロードはいないのか」
「あ、い、今、部屋を出ているみたいで……」
「そうか。……なら、二人ともすぐに宮廷まで来てくれないか」
「宮廷?」
始業まではまだ時間があるはずだが、もしや緊急の仕事だろうか。
ティナとフェリィが揃って首を傾げると、パーシヴァルは表情を引き締めて言った。
「竜が出た。エルン王国の南部だ」
◇◇◇
パーシヴァルの話を受け、ティナたちは慌てて宮廷の執務室へ向かった。
大急ぎで着替えたせいで髪も服も乱れているが、そんなことを気にしている余裕はない。
ティナたちを待っていた皇帝ローガン・ヴァンタールは、普段よりかしこまった態度で、しかし僅かに眉尻を下げて切り出した。
「一時間ほど前、王国から竜出現の知らせが入った」
竜。ティナの喉から、息が漏れる。
「帝国と王国の間には、竜災害に関する相互防衛協定が結ばれていてね。といっても、ここ数百年は両国の友好関係を示す象徴的な意味合いしかなかったのだけど、ここに来てそうも行かなくなったらしい。協定に基づいて、帝国は騎士団の一部を派遣することになったよ」
ローガンが静かに視線を持ち上げる。
「ティナ。君は、竜の出現を予感していたらしいね」
名を呼ばれ、ティナの肩がびくりと震えた。
おそらく昨日の報告のことを言っているのだろう。ティナは縮こまりながら小さく頷いた。怖い。
(ふ、不吉な予言をしたって、怒られたら、どうしよう……)
まだティナが、エルン王国の南部第三支部に勤めていた時のことだ。
ティナが水辺に住む〈スライム〉の不自然な動きから、局地的な豪雨と鉄砲水の発生を予見した時、マクエルを始めとした南部第三支部の職員たちは「お前の予言が天災を引き起こしたんだ」とティナを責めた。
当然、ティナに天災を起こす力などあるわけがない。
そんなことマクエルだってわかっていたはずだが、それでもマクエルは、ティナを「不気味な女だ」と言って蔑んだ。ティナはそれ以来、人前で魔法生物の話をするのをやめた。
「おかげで助かったよ、ティナ」
思わずスカートの端を握ったティナは、ローガンの言葉に、俯いていた顔を上げた。
「君が事前に竜が現れる可能性を示してくれたことで、騎士団内部の混乱は最小限に抑えられた。指揮系統も整備されているし、このままスムーズに事に当たれるだろう」
「え……ぁ、よ、よかった、です……」
「ただ、同時に残念な知らせもあってね」
ローガンはそこで言葉を区切ると、手元の書類へと視線を落とし、重苦しい溜息を吐いた。
「エルン王国から、ティナ・シストロイズの身柄引き渡しの要求が届いている」
「……えっ?」
「どうやら王国は、君が竜を呼んだのではと疑っているらしい」
予想だにしなかった言葉に、ティナは目を見開いた。まさか、どうして。
口をはくはくとさせながら音にならない言葉を呑むティナに、ローガンは眉尻を下げる。
「実はね、今回竜が現れたのは、君が働いていた魔法省南部第三支部の付近なんだ」
びくりと、ティナの肩が跳ねた。
あの町に竜。魔物なんて白鷲しか出ないような田舎町なのに、なぜ。
ローガンは言葉を続けた。
「君は以前、横領の罪であの町を追われたね? 加えて、君の父君は熱心に竜を研究していた。それらを総合した結果、『今回の竜出現は、禁忌の知識を得た娘による、故郷への復讐である』──という主張が、南部第三支部の支部長であるチェスター男爵の証言をもとに行われている」
「そっ、そんなの……」
「もちろん、君の横領疑惑が完全な濡れ衣であることは、帝国も把握している。王国にもその旨を伝えて厳重に抗議したけどね、王国側が主張を覆す可能性は、限りなく低いだろうな」
ローガンが苦々しげに表情を歪める。
ティナは胸元をぎゅっと握りしめ、早鐘を打つ心臓を、浅い呼吸で必死に落ち着かせようとした。
当然のことながら、ティナは竜など呼んでいない。確かに冤罪で追い出され、両親の遺産だって奪われてしまったが、復讐してやろうだなんて気持ちもない。
「わ、わたし、そんなことっ……」
喉が張り付いて、掠れた息しか漏れてこない。
(どうしよう、このまま帝国にいられなくなってしまったら)
ここにいたいと、働きたいと心から思えた場所なのに、また身に覚えのない罪で追い出されてしまったら、一体どうすればいい。
ただ唇を震わせるティナに、ローガンはその双眸をまっすぐに向けて切り出した。
「ティナ、僕たちに協力してくれないか」
半開きになったティナの口から、小さな声が漏れる。
「帝国に被害が及ぶ可能性がある以上、竜討伐への助力は惜しまない。だが、宮廷学者への愚弄まで許容するつもりはないよ。端的に言えば、腹が立っているということだね」
「は、はら……?」
「だからこそ、君に協力してほしい。竜の討伐には、いずれにせよ君の知識が必要になるだろ? 君の頭脳で竜を退け、竜が現れた本当の原因を突き止めたい。そうして王国に『ほら見たことか』と言って、君を疑ったことを謝罪させてやるんだ。どうかな?」
真剣な眼差しはそのままに、ローガンはそっと首を傾げる。
ティナは唇を噛んだ。怖い。マクエルに横領を疑われた時も、震えるほど怖かった。けれど今の方が随分と怖い。国から直々に、罪人だと指をさされているのだ。
エルン王国は竜を忌み嫌う。身の潔白を証明できなければ、ティナは竜呼びの罪人として処刑されてしまうかもしれない。想像するだけで足が竦む。
(逃げちゃだめ)
でももう、「仕方ない」と諦めて泣くのは嫌だ。
「わ……わたしは、竜を呼んではいません」
「うん」
「ここに、いたい、です。だから」
ティナは深く息を吸い込むと、覚悟を決めて顔を上げた。
「げ、現地に、エルン王国に……行かせていただけませんか」




