25.予兆の間
コミカライズが連載開始しました!
詳しくは活動報告をご覧ください
「──魔力濃度の上下?」
宮廷に戻ったティナたちが簡潔に報告を行うと、パーシヴァルは首を傾げた。
「は……はい。グリフォンは、そのぅ……鋭い感覚器を持っていますから、魔力濃度の頻繁な上下がストレスになったのではと」
「それで異常をきたしたのか。……なるほどな、興味深い」
思案するように目を細め、パーシヴァルは執務室の椅子に深く腰掛け直す。
陽光が差し込む室内には古い紙と紅茶の香りが満ちていて、両手をもじもじと動かしながら、ティナはぼんやりと「お腹が空いたなあ」と思った。そういえば、朝ごはんを最後に何も食べていない。
「つっても、グリフォンが豹変するほど魔力濃度が不安定になるなんて、聞いたこともねえな」
「全くですわ、殿下」
ティナの隣で背筋を正していたフェリィが、待ってましたとばかりに口を挟む。
「魔力濃度の大きな変化は、大規模な儀式魔法や古代遺物の使用など、極めて限定的な状況でしか観測されません。自然発生的にあれほどの上下が起こることはまずありませんわ」
その通りだ、とティナは思った。フェリィがいると、言いたいことを代わりに全部言ってくれるのでありがたい。
「徹底的な調査が必要でしょう。まずは、周囲の環境が魔力濃度に悪影響を及ぼしていないか調べるべきですわね。グリフォンたちをこのまま苦しませるわけにはいきませんし」
「ああ、その通りだ。で、お嬢様はどう思う?」
「……へっ!?」
フェリィのように進んで会話をしてくれる人がいると喋る機会が減っていいなあ……とすっかり気を抜いていたティナは、突然向けられた矛先にびくりと肩を震わせた。
まさかここで話を振られるとは。言葉に詰まり、「え、ええと……」とスカートの裾を握る。
(ど、どうしよう……。魔力濃度の上下は竜がこっちの世界に干渉しようとしているシグナルかも……とか、い、言ってもいいのかな)
竜に関するティナの知識は、そのほとんどが父の研究か、帝国に来てから読み漁った専門書の受け売り、あるいはそれらから派生したティナ自身の推測だ。
ここ数百年、竜の目撃例はない。
それゆえに発表されている論文もごく僅かで、加えてそのほとんどが、学者による推論の域を出ないものばかりだ。ティナの知識だって、間違っているかもしれない。
だが、もし本当に竜が現れるのならば、それは国一つが滅びかねないほどの災厄となる。
憶測で口にしていい話ではない。
けれど、ここで黙っているわけにはいかなかった。
「り……竜が、来るかもしれません」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く震えていた。
「……竜?」
パーシヴァルの表情がわずかに強張る。
その隣で、ぎゅっと眉根を寄せたフェリィが呆れたようにティナを見やった。
「竜ですって? おかしな話ですわ。最後の目撃例は数百年も前じゃありませんか」
「そ、そうですけど……」
「そもそもどうやって竜が来ると言うのですか? まさか彼らが数百年ぶりにひょっこり顔を出す気になったとでも──」
「続けてくれ、ティナ」
パーシヴァルが、真剣な声色でフェリィの言葉を遮った。
ティナはごくりと唾を飲み、何とか言葉を紡ぐ。
「グリフォンたちは、怯えていました。みんな震えて、落ち着かなくて……何か、とてつもなく恐ろしいものが来るのを、察知しているようでした」
「ああ」
「り……竜は普段、この世界とは違う、外の次元に棲んでいると言われています。本来、竜は滅多にこちら側にはやって来ない生き物なんですけど……数百年前、竜が頻繁に目撃されていた時代には、竜を神と崇める集団によって、降竜の儀式が行われていたんです」
人々が何を神と崇めるか、その対象は様々だ。
火、呪物、精霊、聖なる力を得た女性、過去の英雄──人の数だけ信仰がある中で、人智を超えた力を持つ竜を崇める集団も、この世界には確かに存在した。
神である竜にお目にかかるため、彼らはあらゆる手段を講じたという。
黒魔術、生贄を用いた儀式、古代語の詠唱──そうして永い年月を経て呼び出された竜が地を焼いたのだと、父はおとぎ話を語るような口調で言っていた。
「父は、そういった人たちの元へ足を運んで、竜を呼び出す方法を聞いていました」
父という単語に、パーシヴァルが俯きかけていた顔を持ち上げる。
「……アステルさんが?」
「竜を呼び出す方法があると知って、居ても立っても居られなかったんだと思います。……父は、あらゆる竜に会いたがっていたので」
そんな父が、降竜なんてものをしていた集団を見逃すわけがない。詳しくは知らないし、父のノートにそれらしい記述もないが、アステルの生きる理由は竜だったのだ。
「で……ですから、人の手で竜を呼ぶ手段は絶対にあるんです。黒魔術でも、儀式でも、何でも」
現にティナは、クロの鱗で作られたブレスレットを使用して彼を呼び出すことができる。
であれば、他に何か竜を呼ぶ方法があったとしてもおかしくはない。ティナはどもりながら続けた。
「だから、その……数百年現れていないというだけで、竜がやって来る可能性を排除するのは、危険、です」
前置きが長くなってしまったが、とにかく伝えたいのはこれだ。長いこと目撃されていないからといって、竜が現れる可能性を排除してはいけない。
ティナはほとんど懇願するようにパーシヴァルを見上げた。
縋るような目で見つめられたパーシヴァルは、どこか悩ましげに視線を逸らす。
それから数秒の沈黙ののち頷くと、椅子から立ち上がった。
「わかった。可能性の一つとして万が一の準備はしておく」
「あ、ありがとうございます……!」
「ともかく、今は飼育場の方が先決だな。魔力濃度の上下が原因だというなら、結界術師を何人か派遣させよう。安定結界を張れば──」
「ああ、それでしたらもう済んでいますわよ」
それまで二人の話を複雑そうな面持ちで聞いていたフェリィが、平然とした声で言い放つ。
「済んでいる? もう手配は終わっているのか?」
「いえ。こちらの──『歩く禁書庫』殿が、お一人で、いとも簡単に結界を張ってしまわれましたので」
「ひぇっ」
途端に学生時代の黒歴史を掘り返され、ティナは反射的に両手で顔を覆った。
恥ずかしすぎる。そもそも、そのあだ名なんてティナをからかうために付けられたものなのに、なぜか都合よく解釈されて一人歩きしているのだ。
「……安定結界を、一人で?」
パーシヴァルの瞳が驚愕に見開かれる。
ティナがそろりと顔を逸らすと、パーシヴァルは困ったように笑った。
「俺は、君のことを思ったよりも知らないらしい。……お嬢様は一体何者なんだ?」
◇◇◇
「ただいま〜……」
離宮に戻ったティナは、なるべく音を立てないよう自室の扉を開けた。
たった数時間しか離れていないのに、なんだか久しぶりな気がする我が家だ。そっと室内を覗き込むと、ベッドがこんもりと盛り上がっている。
どうやら眠っているらしい。可能な限り足音を消して近付けば、ベッドで休んでいたクロが、不意にぱちりと目を開いた。「ひゃうっ」と喉の奥から声が漏れる。
「……戻ったなら声を掛けろ」
「あ、ご、ごめん……。起こしちゃった?」
「いや、目を閉じていただけだ。気にしなくていい」
そう呟くクロの声は、いつもの尊大さが消えて、どこかかすれている。
(やっぱり、相当体調が悪いみたい……)
飼育場で一人馬車に戻ってから、クロの体調は回復の様子を見せない。
それどころか時間が経つにつれ悪化しているようにも見える。本人は「あいつがティナに何をするかわからない」とパーシヴァルの報告にも着いて来たがっていたが、先に自室に戻しておいて正解だった。
「えと、あの……大丈夫?」
「大丈夫も何も大した不調じゃない」
「でも辛そうだし……竜の姿には戻らなくていいの? 変身魔法を使い続けるのって、結構辛いと思うけど……」
竜であるクロは、人間としての姿を保つために、常に変身魔法を使用している。
竜の魔力量が異常であるからこそできる芸当だが、常に魔力を消費しているというのも相当な負担だろう。尋ねると、クロは「いや」と視線を斜め上にやった。
「むしろこっちの方が楽だ。動かす身体が小さいと、使うエネルギーが少なく済むからな」
「あ、そ、そっかあ……」
「しかし、人間の身体は痛みに弱いな。今この瞬間にも頭が割れそうだ」
そう言ってベッドから上半身を起こすクロの顔は、いつもよりどこか青白い。
表情こそ平気そうだが、かなりの痛みがあるのだろう。ティナは眉尻を下げた。
(……今のクロに、竜が来るかもって話はしない方がいいよね)
同じ竜として、できればクロに意見を求めたいところではあるが、かといって余計な負担もかけたくない。
せめて体調が安定するまでは大人しく休んでいてもらうべきだ。ティナはベッドに腰掛けた。
「ねえ、何かできることはある? 食べたいものとか、あったら用意するよ」
「……お前が?」
「うん。最近はその、帝都の地理も覚えてきたし……。ちょっとお買い物に行くくらいなら、わたし1人でも大丈夫だから」
食べ物で竜の体調がマシになるかはわからないが、果物でもちょっとお高いものでも、今日ばかりはお財布の紐を緩めたっていい。
そうわずかに胸を張って言うと、クロは何も言わずにただじっとティナの顔を見つめた。
やがて何かを吟味するように少し考え込んだ様子を見せると、片膝を立てて頬杖をつく。
「……今、口にしたらお前は僕と縁を切るであろう頼みを思い付いた」
「ななな何やらせようとしてるのっ!?」
「冗談だ。あまり大きい声を出すな、頭に響くだろう」
まったく冗談に聞こえない。ティナは早速自分の発言を後悔した。これで一発芸をやれとか言われたらどうしよう。
「僕が眠るまで歌でも歌え。頭痛も少しはマシになるだろう」
そんな不安に反して、クロの頼みは意外なほどささやかなものだった。
「う、歌……? わたし、そんな上手じゃないよ?」
「知ってる。歌が嫌なら、いつものように魔法生物の話でもしていればいい」
もう一度布団に潜り込んで、クロは額に手を当てる。
「目を閉じる間、お前がそこにいないかもしれないと思うのが嫌なんだ」
そう横目でティナを見る表情には、いつもの尊大さがかけらもなくって、ティナは思わず口をつぐんだ。
やはり、竜といえど体調を崩すと物寂しくなるものなのだろうか。逡巡し、こほんと小さく咳払いをする。
「じゃあ……う、歌います」
「ああ」
「聞いてください。えと……『アルヴェン交響曲第3番』」
「……それクラシックじゃないのか?」
流行りの歌謡曲なんて知らないのだから仕方ない。それからティナは「うんちゃうんちゃ」とクラシック曲を口で盛大に演奏し、第二楽章が終わったあたりで、眠りについたらしいクロから穏やかな寝息が聞こえてきた。
(く、口がカラカラになった……)
ピアノパートだけで良かったものを、調子に乗って管楽器のパートまで演奏したのが仇になった。水で喉を潤し、小さく息をつく。
「……何にもできなくてごめんね」
今朝から辛かっただろうに、わざわざティナを心配してグリフォンの飼育場まで来てくれた。
それが申し訳なくて、でも何よりありがたくて、ティナはそっとクロの頬に触れた。
指先で撫でると、クロが少しだけ、こちらに擦り寄ってきたような気がした。




