24.アカデミーの生物ジャンキー
おかげさまで書籍化&コミカライズが決定いたしました!
皆様のおかげです。ありがとうございます*
「正気ですか!? 安定結界を今すぐにって、この飼育場全域を覆うほどのですわよ!?」
「大丈夫です」
「テストがどうとかいう問題じゃないのです! 人間にできるわけ──」
「いけます」
強く言ってもまるで主張を変えないティナに、フェリィはあんぐりと口を開ける。
呆気に取られる彼女をよそに、ティナは懐から杖を取り出した。目を閉じ、深く息を吸う。
(……聞こえる)
穏やかな風に乗って、グリフォンたちの鳴き声が聞こえる。
皆一様に苦しそうだ。床を爪で引っ掻く音も、鉄格子に身体を打ちつける音も、優れたティナの耳にはひとつ残らず届いてしまう。
(風は、東北東から吹いてる。でも少しだけ風が高く鳴っている箇所があるから、屋根瓦が一部分だけ外れちゃっているのかも。……今度は乾いた藁を熊手で広げる音がした。獣舎の西側だ。誰かが窓を開けて、そこから聞こえてるんだ)
結界術において何よりも大切なのは、魔力量でも技術でもなくイメージだ。結界を展開したい空間を、どれだけ正確にイメージできるかにかかっている。
だからこそ、その範囲が広大になればなるほど、一人の術者が空間の細部に至るまでを想像するのは困難を極める。それが、大規模な安定結界は数人がかりで展開するのが常識とされる理由だ。
けれどティナには、生まれつき人一倍優れた、並外れた聴力がある。
ひと度目を閉じ、意識を研ぎ澄ませば、風が木々の葉を揺らす音、遠くの建物の僅かな軋み、地面を這う虫の羽音、その全てが、ティナの頭の中に極めて鮮明な景色を描き出すのだ。
まるで自分の目で隅々まで見渡しているかのように、ティナは音だけで空間の全てを完璧に把握できる。学生時代、結界魔法術の成績が抜群に良かったのは、これが理由だった。
(安定結界なんて、最後に使ったのはいつだったっけ……)
確か、エルン王国の南部第3支部で仕事に追われていた時だ。
あの時はちょうど繁忙期で、加えて忙殺された職員の体調不良が重なり、ティナは三徹で書類仕事をしていた。
当然眠くなるので、眠気を抑えるために、空気や光、湿度といった外界の環境を任意の値に保つことができる安定結界を自室に展開したのだ。
(結界内の温度を限界まで下げて、それから湿度を上げたんだった。寒いのにジメジメしてるから、それが不快で眠気なんて吹き飛んじゃうんだよね。……我ながらいい作戦だったけど)
凍えながら書類仕事をしていたのも今では懐かしい思い出だ。「寝たら死ぬ」と思いながら仕事に取り掛かったのは、後にも先にもあの時以外にない。
(……本来は、そんな使い方をするものじゃないんだよね)
安定結界は、その有用性ゆえ、さまざまな分野で使用されている。
微細な温度の変化で貴重な薬草がただの雑草と化すこともある魔法薬学や、古代遺物の保存・観察を行う魔法考古学などが特にそうだ。
魔法生物学もその例に漏れない。
家畜などとは異なる体内構造をしている魔法生物は、環境の変化に弱い種族も多く、それらを保護するために必要なのが安定結界である。
学生時代、魔法生物に関する授業ならなんだって選択していたティナは、当然のように結界魔法術の授業も受講していた。
──そうだった。わたしが学園で結界魔法術を教わったのは、毎日毎日働いて、支部の経営を支えるためなんかじゃなくて。
(……魔法生物たちを、救う、ためだ)
ティナはそっと目を開き、杖をそっと一振りする。
その瞬間、世界から音が消えた。
ここまで聞こえていたグリフォンたちの痛々しい絶叫が、ぴたりと止んだのだ。
杖先から走った光が芝を撫で、木々を駆け上がり、獣舎を包み込み、やがて空へと至って巨大な光のドームを形成する。
鉄格子に身を打ち付けていたグリフォンが、その動きを止める。
威嚇の声を上げていたグリフォンが、力なく、しかし安堵したようにその場に伏せる。
浅い呼吸を繰り返していた衰弱個体が、すう、と穏やかな寝息を立て始める。
「よ、よかったぁ……」
耳を澄ましてそれらを聞いたティナは、ほっと息を吐いた。
「なななななな何ですのこれぇっ!?」
「ひぃっ!?」
が、次の瞬間、血相を変えたフェリィに詰め寄られ、反射的に後ずさる。
「こんな大きな結界を、しかも防御結界なんかとは訳が違う安定結界を一人で……!? どういうことですのこれ!?」
「へっ!? ど、どういうことと言われても……」
「こんなこと一般人にできるはずがありません! 何者!? どこでこれを教わったの!?」
「が、ががが学園で教えてもらったんですっ!」
「学園って、そんなはずないでしょう! あなたどこ出身なんです!?」
フェリィに両肩をがっくんがっくんと揺らされ、ティナは「あああああ」と情けなく声を上げた。
脳がありえないくらいシェイクされている。まだ死ねないティナは、べそをかきながらなんとか答えを振り絞った。
「セ、セント、セント・イレーナぁ……」
セント・イレーナ・アカデミー。
エルン王国随一と名高い魔術学園。
「……まさか……」
当然その名を聞いたことがあるフェリィは、以前小耳に挟んだ冗談のような話を思い出して眉を寄せた。両肩をがっしりと掴み直し、改めてティナに向き直る。
「あなた、年齢は?」
「こ、この間、18になりました……」
「18……私と同じ年」
そうなんだ、とティナは思った。うれしい。初めて同い年の友人ができるかもしれない。
「あ、あの、今度お茶とか……」
「『歩く禁書庫』」
もじもじしながら口を開いたティナは、唐突に飛び出たその単語に、さぁっと顔と青くした。
「な……なな、なんで」
「『85点』『生物ジャンキー』『口無しの化け物』」
「な、なんでそれ、知ってるんですかっ……!?」
ティナの喉の奥から、ヒュッと悲鳴に似た何かが漏れ出る。
その反応に何かを悟ったらしいフェリィは、深くため息を吐くと、僅かに眉を寄せて言った。
「これらは、セント・イレーナ・アカデミー始まって以来とされる才女を評した言葉です」
「ひっ」
「彼女は膨大な知識と卓越した魔法操作技術を持ち、学年平均がマイナス20点というとんでもないテストを作成した教授──『魔法生物界の至宝』と名高いファンベルム教授のテストで前代未聞の85点を叩き出したことから、『85点』などの異名を付けられましたが」
「ち、ちが」
「まさかあなた、その『歩く禁書庫』ではなくって?」
じとりとした視線に射抜かれ、ティナは髪を乱しながら何度も首を横に振る。違う。その名前はそんな大層なものじゃない。
「ちちち違いますっ! そうじゃなくてっ」
「……違う?」
学生時代のティナは、今までと同じか、それ以上に人見知りだった。
マクエルの家族に虐げられていたがために、とにかく人が恐ろしかったのだ。話しかけられたところでまともに返事もできず、口をもごもごと動かすだけで当然友人もできない。
そんなティナを周囲の人間は次第に気味悪がり始め、陰口を叩いた。
なまじ成績が優秀だったのも悪かった。ティナはいつの間にか、『他者を馬鹿と見下して喋ろうともしない奴』ということになっていたのだ。
「そ……そんな大層なものじゃ、ないんです。わたしがその、な、名前も満足に名乗れなかったので、『名乗れないなら名付けてやる』って、からかう感じで、付けられて……」
それがいつの間にか広まっていた。まさか帝国にまで知られているとは思わなかったが、『魔法生物学界の至宝』に変わったあだ名の教え子がいたとなれば、面白がって広める人も多いのだろう。
「……だとしても、この結界は──」
「お二人ともーっ!!」
それでも納得がいっていない様子のフェリィの言葉は、遠くから響いた声に遮られた。
見れば、両手を大きく振るグスタフが獣舎の方から走ってきている。その顔には、先ほどまでの深い疲労の色はなく、純粋な喜びと興奮が浮かんでいた。
「すごいです、すごいですよ! グリフォンたちがみんな落ち着いてるんです!」
「あ、よ、よかった……」
「みんな嘘みたいに大人しくて……本当にありがとうございます、なんとお礼を言ったらいいか!」
そう礼を言うグスタフの目尻には涙が浮かんでいる。
きっと心労も絶えなかったのだろう。安堵すると共に、ティナは複雑な気持ちだった。
今回はただ安定結界を張っただけで、魔力濃度が異常をきたした原因を断ったわけではない。
これからも定期的に結界を張るか、原因──クロとは違う、別の竜がやって来たかもしれないというそれをどうにかしなければ、グリフォンたちはまた苦しむことになるだろう。
しかし今は一時でも平穏が戻ったことを喜ぶべきだ。ティナは眉を下げて微笑んだ。
「よかった、です。……えと、このあとはしばらく様子を見て、また何か異常があればお知らせしていただければ……」
「はいっ! 食欲不振の方も、これで改善するんですよね!?」
「……エ゛ッ」
グスタフのキラキラした瞳に見つめられ、ティナの喉の奥からカエルが潰れたような声が漏れた。
忘れていた。そういえば、グリフォンたちは凶暴化したり衰弱するより前に、食欲不振に陥っていたのだ。
(ど、どどどどうしよう……! 魔力濃度が異常をきたしたのは数日前からだから、い、一週間前から続く食欲不振の原因は、また別だよね……!?)
故に安定結界を施しただけでは食欲不振の方はまったく改善されないはずなのだが、おそろしいほど瞳を輝かせているグスタフの手前とんでもなく言いづらい。
「え、えと、ええとぉ……」
「ああ、それは全く別ですわよ」
ティナが泣きそうになりながら言葉を考えていると、フェリィが手帳をパラパラとめくりながら口を挟んだ。
「飼料のサンプリング結果と給餌の記録を拝見しましたが、カルシウムを摂らせるために、グリフォンの餌に粉末状の魚を入れているでしょう」
「あ、は、はい……」
「確かに翼を持つグリフォンにとってカルシウムは重要な栄養素ですが、その粉末によって味が変わり映えしなくなっているのですわ。つまり、彼らは餌に飽きています」
「……へっ?」
ぽかんと口を開いたグスタフ(とティナ)にフンと鼻を鳴らし、フェリィは淡々と続ける。
「栄養のことを思って出した食事を摂らないのは本末転倒ですし、カルシウムを摂取させたいなら補助飼料を導入してください。費用はかかりますが、餌を食べなくなるよりはマシでしょう」
「以上」と締めくくって、フェリィはパタンと手帳を閉じた。
いつものフェリィならここでドヤ顔の一つでも浮かべそうなものだが、その表情には、誇りどころか自慢の色は一つも浮かんでいない。
それどころかティナが展開した安定結界を興味深げに眺めていて、ティナは驚愕した。このくらいの分析、フェリィには誇るほどのものでもないのだ。
「フェリィさん、すごい……!」
「は?」
「わたし、食欲不振の方は正直見当も付いてなかったのに……! すごいですフェリィさん! フェリィさんがいてくれてよかったぁ……!」
「なっ──こ、これくらい常識でしょ! 褒められてもなんも嬉しくありませんわ!」
そう言いつつも、フェリィの頬は笑みを抑えきれずに筋肉がプルプルしている。
ティナはそんなフェリィを憧れの眼差しで見つめながら、ぼんやりとこの後のことを考えていた。
(……もし、クロとは違う竜がこちらの世界に来たのだとしたら、どうすればいいんだろう)
竜は恐ろしい。
街ひとつを簡単に焼き払い、ともすれば国を地図から消し飛ばしてしまえるくらいの力がある。
そうして災害に見舞われ、あまりの惨事に竜に関する事柄全てが禁忌となったのがエルン王国だ。あの悲劇は繰り返してはいけない。
(頑張ろう。……わたしにできることがあるかは、わからないけど)
両手の拳をきゅっと握る。
光のドームに包まれたグリフォン飼育場には、穏やかな風が吹いていた。




