7:よし、これで大丈夫
道安は織部に、この家から出て行くことを了承した。さらに未成年者の保護責任も
しっかり果たすと約束した。
さっきまでスタイリストが再手配した商品が床にズラッと並べられていたのだが、
そこから道安がみつくろった服やスニーカー類が、数箱積み上げられている。
道安は、それらを倒さないように静かに部屋を出て行こうとした。
織部は思い出したように口を開いた。
「あっ ミッチャン。俺、高校辞めるので手続きしといてくれますか」
『え!?』「……あぁ分かった」
道安は動揺を悟られないように頷いた。内心 織部の決断が心配でならなかったが。
織部は思い出したようにまた言った。
「あっ それと銀行口座も必要なので、その同意書もお願いできますか」
『は!? 銀行口座?』「あ……うん、分かった」
道安はまたしても動揺したが、とりあえず織部の言う通りに動くことにした。
道安が部屋から出ると、
織部は積み上げられた箱を眺めながら『あ、そうだった』と慌てて、
あの親切な使用人を探した。
父親の書斎がどこか分かると、机の上に親の同意書を広げた。
アルバイトのできる状況だけは作っておこうと、前もって準備していた書類だ。
引き出しに入っていた印鑑で、押印欄に勝手に押印した。
『よし、これさえあれば、明日からなんとか生きていける』
こうして織部は翌日の朝、堂々と玄関から出て行った。
道安は織部を見送る際、無駄だとは思いつつも
「俺は、お前のことを唯一の同志だと思ってるよ」と言った。
織部は「うん、分かった」と言って去って行った。
(ホントは道安の言ったことの深みまで分かっていなかったが……)
見送りが終わったあと、道安も早々に家を出て、米国行きの飛行機に搭乗した。
機内で道安は、
『あいつの母親の遺言なんて……俺に分かるわけないだろ………』と、
寂しそうな笑みを浮かべていた。
九鬼与四郎は、創業者である曽祖父が横浜で始めた工具や機械を専門とする
大手商社のトップである。同族経営の老舗であり、与四郎は幼い頃から経営者
としての教育を受けてきた。だから自分の子供にも、当然のように同じ道を
歩ませている。その方針に昔から疑問を抱いていた道安は、
高校2年の時、とうとう父親とぶつかった。
「継ぐ気がないだと!?」
寝耳に水の与四郎は食事中の手を止め、席を立って出て行こうとする道安の腕を
掴んだ。
「離せっ」
道安が掴まれた腕を思いっきり振り解くと、煮えたぎる鍋に右手が当たって
熱湯をかぶってしまった。周囲にいた使用人達のおかげで大事には至らなかった
が、右手の傷は残ってしまった。
以後、道安は跡継ぎ問題を与四郎と話したことは無い。だから両親は一時的な
反抗期だったと今は受け止めているようだ。
しかし道安の腹は もうこの時、決まっていた。
火傷した夜、道安は自室の机で火傷の手を広げると、左手に持ったナイフで
傷跡を上から突き刺した。
『時期が来るまでは従順を装え』
と 流れる血を見ながら、自分に強く言い聞かせている。
道安は、父親の母校でもある米国の大学に留学し、経済学を専攻している。
だが並行して日本の司法試験勉強にも取り組んでいた。
埠頭で師匠に出会ってから、道安は師匠のような弁護士になる
と決めているからだ。
本来なら今年卒業し、父親の会社に入社するはずだった。
だがあと1年は米国にいないと単位が足りないと両親には報告済みだ。
確かに単位は足りていない。わざと単位を落とし、日本での弁護士資格の取得と
織部のことに もっと時間を割きたいのだ。
道安は父親に従順なふりをして、今は父親の財力を思う存分利用している最中だ。
一方輝虎は、織部の母親が入院した頃から道安と連絡を取り合っている。
「親父はあのマンションに殆ど顔を出してないんだ。
織部と二人で居る時間を作ろうとしてないっ!!
一人残された織部の生活を俺と一緒に見守ってくれませんか」と、
道安が言ってきたのが最初である。
道安から依頼されずとも、もともと輝虎は社長の秘書なのだから何の問題もない。
ただ『社長から、織部の保護に関する命令が下っても良さそうなものだ』とは
思っていた。その疑念を社長にぶつけると、
「いずれ織部は引き取らねばならない。
だったら早く九鬼家に慣れてもらいたいから、その件は薫に任せてある」
と言ったのだ。
愛人の子供を引き取ることには複雑な心理が働くことだろう。
『それを一任されるだけの度量が、果たしてあの奥さんにあるだろうか』
輝虎は真っ先にそのことを思った。
社長と不仲なことは輝虎が一番よく知っている。
それに薫は、家事全般を使用人に任せて放蕩の限りを尽くしているのだ。
案の定、薫はこの件を輝虎に丸投げしてきた。
「かしこまりました」と輝虎は恭しく頭を下げたが、
これで九鬼家で織部を気にかけるのは、事実上、道安だけになったと思った。
輝虎はサポートの責任者として、実際のサポートは部下達にほぼ任せていた。
当時の輝虎はまだ、社長の私生活よりも社長の右腕として業績を上げること
に喜びを感じていたのだ。
『でも社長は親権者としての責任を奥さんに負わせて顧みることがない』
この点が、少し引っかかっていた。
自分もまた、部下に任せきりで直接動くことが少なかった。だから最近は
部下と共に現場に出向くことも増えてきた。その一つが、埠頭で織部が
半グレと喧嘩した一件だ。
あの時、獣のような目つきで相手を負かした織部には、誰も寄せ付けない
空気がまとわりついていた。
その光景が目に焼き付いてからの輝虎は、織部を仕事上のタスクとして
ではなく、
感情を持った一人の人間として、次第に意識し始めるのである。
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