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狼は振り向かない【完結済】  作者: 月影野里
第二章

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32/47

32:棘 のようなもの

夏休み最後の週、織部は食堂も閉まった頃に寮に帰ってきた。部屋に戻ると

藍色のカーテンが開いたままだったので、閉めようとして窓に近づいた。

マスクを外して窓に映った自分の顔を見ると、頬から顎にかけての擦り傷がやはり

まだ目立つ。右手は中指を中心に包帯が巻かれていた。

『どうするかな……』



今日の昼、暑くて読書に集中できなくなったので、いつものようにデッキで腕立て

伏せをしていた。すると一艘先のボートの所有者らしき男から声をかけられた。

「君、このマリーナにずっと一人でいるみたいだけど、何歳?」

何だろう。織部は質問の意図が分からず、黙って相手の顔を見ていた。

「親御さんは?」

「いません」

「一人で使ってるのか。呆れたね……

 見たところまだ大学生……? 高校生…くらいかな」

織部がまだ黙っていると、また別の大人が二人 ボートから降りて桟橋に出てきた。

どうやら話しかけてきた男の妻らしき女と、その友達のようである。

「よしなさいよアナタ、からかうの」

「俺たちの息子くらいじゃないか? 俺なら絶対一人で使わせないけどな」

「よそ様のことはいいでしょ、早くランチ行きましょ」

「誰のおかげで生活できてると思ってんだか……まったくいい身分だ……」

その男の声は次第に小さくなっていくが、

聞こえよがしに言ってることは織部にも分かった。


『誰のおかげで……』


依頼心の強かった母親が、

よく父親にそう言われていたのを小学生の織部は忘れていない。


帰ろうとする父親の手を引っ張って、遊んで欲しいとせがむ織部自身にも、

父親はそのセリフを吐いたことがあった。

父親は「食べたり遊んだりしてる暇はないんだ」と言って、部屋に上がりもせずに

金の入った封筒だけ置いて帰った。

テーブルには父親のために母親が用意した食事から、まだ湯気が立ち上っていた。

この時の湯気や食事の匂いまで鮮明に蘇ってきて吐き気をもよおしてしまった。

織部は両耳を塞いだ。そして爪を立てたまま、両手を顎に向かってゆっくりと

力強く下ろしていった。

それだけでは怒りが収まらず、船内の壁を右手の拳で激しく叩きつけた。


『何で他人にまで、そんなこと言われなきゃならないんだ』





翌日、まだ夜が開け切らぬ時間帯に織部はコンビニにこっそり出かけ、

パンや缶詰などを買い込んだ。これで新学期まで

寮の部屋に籠城するつもりだった。


だが夜になると、織部の部屋に灯りがついていることを発見した人物が、

織部の部屋をノックした。

「………誰」

「平野だけど…」

「………」『平野じゃ仕方ないな』

織部はドアを開け、「よぉ」と言った。

「!!!」

平野は織部の顔や手の包帯を見て、びっくりして声が出ない。

織部は平野に大声を出されるとまずいと思い、慌てて左手で平野の口を塞いだ。

「…………!?」

平野は目を見開いたまま、織部の部屋に押し込まれた。

「だ……だっ だぃ………」

「大丈夫だよ、ちょっと転んだだけだ」

「こ、ころぶ? 水無瀬くんがころぶ!?」

「転ぶよ俺だって」織部はやさしく微笑んだ。


平野は昨日広島から帰ってきたところだった。

手には、織部が喜んでくれそうな桐葉菓(トウヨウカ)を持っていた。

「あ、これ、地元のお菓子なんだけど、どうぞ」

「俺に?   …………ありがとう」

人からお土産をもらうのが初めてだった織部は、大事そうに机の上に置く。

机には大量の食料品も置かれていることに、平野は気がついた。


「水無瀬くんが寮に戻ってくれてホントよかった。どうしたのかなってずっと

 心配だったんだよ。リンシは一度図書館で見かけたらしくって

 大丈夫って言うんだけど、やっぱり僕は顔を見てないし…」

「いろいろ心配かけて悪かったな」

「いや、やっと元気な顔見れたから安心した。

 あっ …怪我してるのに元気な顔…って…えっと違っ」

「わかってる」

「あれ  そーか!!」平野は大量の食料品や織部の様子から、

 怪我を人に見られたくないんだなってことを察知した。


「ん?」

「寮の食事、僕がここに運ぶよ」

「え?」

「うん、そうするね。ちょうど晩飯だ。待ってて。いま持ってくるから」

平野は合点がいったように、すぐに出て行ってしまった。

平野は甲斐甲斐しくも織部のお膳係を買って出たのだ。

早速トレイに夕食を乗せると、スープが溢れないよう注意しながら

階段を上っていく。やっとのことで織部の部屋まで辿り着くと、

織部はドアを開けたまま腕を組んで待っていた。


「平野 すまない……そんなことまでしてもらって…」

「いや、実家でも夕食を手伝ったりしてたんだぁ。なんか寮にいたせいか、

 今まで気づかなかった親の有り難みとかさ、なんか分かるようになって」

織部は一瞬、棘のようなものが刺さった気がした。


だが平野は織部が食事している間も、実家での話が尽きない。

織部は平野があんまり楽しそうに話すから、時折、微笑んでみせた。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

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