28:細い肩
『リンシも寮に戻ってるのか !?』
見間違いかもしれないと思った織部は、また座って外を眺め始めた。
「あっ 織部だ」
織部は声がするほうに顔を向けた。 『やっぱりさっきのはリンシ…』
赤いノースリーブに赤いリュックを肩にかけた丹生が立っていた。
髪は入学当初よりも伸び、細い肩が見え隠れする。
「やだなぁもぉ 試験終わったら消えていなくなっちゃった!!
って女の子達とか大騒ぎしてたんだよ」
丹生は笑いながら近くの椅子に座った。かと思うと織部の顔に近づいて
「すっごい日焼け」
「そうか? 」
「なに、鏡とか見ないの? あれ、しかも頬がこけてるし」
「帰省から戻ったとこか?」
「帰省? あっは。
私の帰省先は、あるとすれば施設なんだよね、都内の児童養護施設」
「…」
織部は表情を変えずに黙って聞いていた。
「クラスのみんながさぁ いつ帰る? いつ帰る? って。
そんなの聞かれてもねぇ……答えるの面倒で。
平野くんにも正直に言えなかった」
「そうか」
織部はやさしい眼差しを丹生に向けた。
赤い蝶のピアスの留め具を両手でしっかり留め直している指は細く、
爪は相変わらず赤かった。
「あっ 織部は帰省してたってこと…? 食堂でも全然会わなかったし」
『あぁ嫌だ………輝虎さんからは頑張れって励ましてもらったのに。
元気に振る舞うのがつらい……』
織部が突然いなくなってから、
丹生は輝虎さんが言う「危うさ」を嫌でも思い出して気が気でなかった。
2、3日前、輝虎さんから織部の居場所を知らせるメールをもらったが、
不安な気持ちは消えなかった。
今日までの約3週間、丹生の心は疲れっぱなしだったのだ。
だからだろうか。いくら話の流れとはいえ、既に織部がどこにいたのか
知ってるのに、空々しい質問をした自分を丹生は嫌になっていた。
「いや、俺は……ボートで生活してた」
「……え?」
『何でそんな正直に答えてくれちゃうの?
私が養護施設出身って正直に言ったから?
フェアじゃない 私は織部に対して全然フェアじゃない!!』
目の前にいる織部はいつだって真摯な姿勢で向き合ってくれている。
なのに丹生のほうは、織部の知らないところで織部の動向を把握し、
それでお金を貰っている人間なのだ。これはそういう仕事だ。
『分かってる。分かってるけど線引きが難しい。いっそのこと今ここで、
自分がしている仕事のことを話して織部に謝ってしまおうか……』
「あの……」そして丹生は軽率にも口を滑らせかけた。
だが織部の机上に広げられた新聞の見出しに、つい目が止まってしまった。
【係争中の事件で、殴殺された弁護士は……】
丹生の視線に気づいた織部が、ようやく口を開いた。
「この事件… 俺にとっては忘れられない事件で。 なのに俺は
この事件で亡くなった弁護士の名前すら、さっきまで知らなかったんだ。
ひどいだろ。さんざん世話になった人なのに………
昨日まで、この事件で亡くなった人が使ってたボートに寝泊まりしてた」
丹生は何も言えなくなった。
沈黙が続く中、蝉の鳴き声だけがしばらく聞こえていた。
「……まだ、ここで調べ物してる?」
「あぁ」
「私、あっちに席移したほうがいい? 集中したいでしょ」
織部は髪をかきあげながら少しだけ微笑んで「いや、気ぃ使うなよ」と言った。
そして机に向き直ると、また資料を読み出した。
丹生はリュックから教科書やノートを出し始めたが、自分のバカさ加減につくづく
愛想がつきていた。『自分の鬱屈とした気持ちを晴らしたいからって、
金で雇われてることを告げたら雇う側にも影響が及ぶじゃないか』
『通称、織部保護活動と言います、なんて言ってみろ。俺は絶滅危惧種じゃねぇ、
とか言ってぶん殴らる……って、いやいや問題はそこじゃない』
『バレた時点で私の存在は彼の心の中で抹殺される。
それは自業自得だから仕方ない。
でも雇用主のこれまでの努力も無に帰してしまうのだ。
たとえこの仕事が織部を思うからこそのプロジェクトだとしても、
織部が望んでるわけじゃない……』
あれやこれや考えている内に、丹生は机でそのまま眠ってしまったようだ。
織部に頭を「つんっ」と突かれて目が覚めた時、
図書館の時計は12時を回っていた。
「腹、空かない?」
「あ、あぁ え!? もう12時過ぎてるっ ばっかじゃないの私。 何しに図書館来たんだろ…」
「っぷ」織部はちょっとだけ笑みを浮かべた。
「寝てた? 完全に寝てたよねっ ………はぁ〜」
「食堂開いてるかな」織部はどうやら自分の調べ物は終わったようである。
「開いてるよ、今日のランチは確かねぇ……ブロッコリーの炒め物と…」
食堂に行こうとしていた織部の足が止まった。
丹生は織部の後に続いていたので、織部の背中にぶつかった。
「っちょっとヤダ なんで止まるのよ」織部は丹生のほうを見て
「リンシ……、クソ夏にラーメンってどう?」
「え、別にいいけど…なんで? せっかく食堂開いてるのに
あっ 織部、もしかしてブロッコリー嫌..」嫌いなの? と言おうとした。
その瞬間、織部は丹生に背を向けるとサッサと階段を降りて行く。
「そっかぁ〜 嫌いかぁ〜〜」
丹生は織部が無言で歩く姿がかわいく見えて、からかい出した。
そして同時に、織部の後ろ姿を見ながら思っていた。
『私はまだこうして織部と話すことができてる。せめて織部から抹殺されるまでは
いつも通り彼の心と真剣に向き合って行きたい。
だから、少なくともこのプロジェクトでお金をもらっちゃいけないんだ』
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