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狼は振り向かない【完結済】  作者: 月影野里
第一章

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16/47

16:ピアス

丹生は明日、高校の寮に入る。だから持って行く荷物を確認していると、

産みの親が使っていた英和辞書が無いことに気がついた。

たくさん書き込むから自分用のも持っていて、気づくのが遅くなってしまった。

母親が使っていた辞書には母親の文字がいっぱいだ。

丹生にとっては肩身なのだ。


『きっとあの施設の共有本棚に入れっぱなしだ』

丹生が施設に住むことはもう無いから、取りに行くなら早いほうがいい。

『ここから電車なら1時間位で着ける』丹生は急いで支度し、マンションを出た。


施設に着くと調度夕飯が終わり、入所者は思い思いに過ごしているところだった。

誰かが施設内に入って来た丹生に気づいて「リンシだ!」と大声で言った。

その声で施設の入口は一気に人で溢れ返った。


みんな丹生が都内有数の難関校に合格したことを知っている。

それはみんなにとっても誇らしいことで、口々に喜びを爆発させていた。

部屋でゆっくり話そう、と手を引っ張ったりお菓子をくれたりする子もいた。

思わぬ歓迎に戸惑う丹生だったが、中には

「どうやって大人に取り入れば、無償で住む所を提供してもらえんの」とか、

「女って得だよなぁ」などと、場の空気を乱す者もいた。

丹生にとっては、こちらの反応のほうが自然な気がしたが、

急いでるから今はどうでもいい。

本来の用件を済ませて早めに引き上げようと考えていた。


でも、丹生が耳に赤い蝶のピアスをつけていることに気づいた少年がいた。

丹生が施設にいる時はついぞ見たことのない高そうなピアスだ。

それは、丹生の希望に満ちた将来を象徴しているようで、

少年は無性に腹が立って丹生に近づいた。そして丹生の頬辺りに触れ、

「こんなの付けちゃってさぁ、誰が貢いでくれてんの?」と言った。

「貢ぐ.................!?」



場の空気が一瞬で凍った。

「何言ってんだ、お前」

丹生はこの施設に入った頃は大人しくしていたが、イジメが始まると本領を

発揮した。柔道や護身術を身につけていた丹生に敵う者はいなかった。

だがそれも昔のこと。今はそんな場合ではない。

丹生はやっと、自分の道を切り拓けそうなのだ。そのことで横槍を入れる者が

現れても無視すればいい。そう思ってたのに……。

ピアスに難癖をつけてきたこの少年だけは看過できなかった。


「私の耳に汚い手で触れてくれるな!!(このピアスには絶対触らせない)」


丹生は相手の腕を捻りあげ、その場で投げ技をかけた。相手は倒れたが、

反射的に丹生の足を掴んできたので「うざい」と言い放ち、

掴まれてないほうの足で、横たわる相手の胴体を思いっきり蹴り上げた。

館内の掃除から戻った職員がその騒動に気づき、別の職員を慌てて呼びに行った。

倒れた少年はうずくまったまま荒い息をしており、丹生は相手が動けば

また蹴り飛ばす覚悟で、その場に立っていた。左頬には細長い傷ができていたが、

投げ飛ばした時に、相手のドクロの指輪が自分の頬を掠めたのだろう。

血が出ていた。




1時間後、輝虎と道安が丹生を迎えに来た。

輝虎が運転する車の後部座席には、険悪なムードを漂わせながら道安と丹生が

座っている。丹生は左頬を隠したまま、黙って窓の外を眺めていた。

膝には英和辞書と、みんながくれたお菓子の紙袋が置かれている。


「入寮は明後日にしましょう」と、輝虎は丹生に言った。

「輝虎さん、そんなやさしく話しかける必要ありますか?『こいつに』」

道安は指で丹生を指しながら、まだ怒っていた。

『せっかく合格できたのに、それを自らぶち壊しかねないことしやがって』

と、まだ文句が言い足りないようだ。おかげで酔いも醒めている。


丹生はずっと黙っていたが、国道20号線に入ったのに気がつくと

『ここからミナコの働いてる店、近いな』と思うやいなや、

「すみません、次の信号で降ろしてもらえますか?」と輝虎に話しかけた。

「お嬢さん、これはタクシーじゃありませんよ」

輝虎はたしなめたつもりだった。

でも丹生は、信号が運よく赤に変わったのを確認すると、

構わず車から降りてしまった。

道安はこの突然の展開に面食らい、「ワッケわかんねぇ〜」と嘆いて

膝に顔を埋めてしまった。


輝虎のほうは

丹生の後ろ姿を見失わぬよう、注意しながら道路脇に車を停めると外に出て

丹生のあとを追った。


細い路地裏に入ると、両脇に小さな飲み屋が十数軒連なっていた。

どれも古い建物だが、

中程辺りで立ち止まった丹生は、2階を見上げて部屋の灯りを確認していた。

そして錆びた外階段を駆け上がると2階のドアを叩き続けた。


ドアはベニヤ板なのだろう。軽くて安っぽい音が響いていた。

「ミナコ、ミナコ 開けてっ 私だよ リンシ!」

そう言うと、すぐにドアは開いた。


階下から観察していた輝虎は、足音を消しながら階段を上がると、

2階の踊り場で中の様子を窺っていた。


「リンシっ!どーしたの、こんな時間に。

 やだ、この傷どうしたの!? 誰にやられた!?」

「ごめん、その話はまた今度。そんなことより、お願い、

 私に傷を隠すお化粧の仕方 教えて!! このままじゃ私、学校に行けない……」


会話は輝虎にも丸聞こえだった。輝虎にも、施設出身の友人は何人もいる。

皆、なんとか良い環境で生きていけるよう頑張っては凹み、這い上がっては

潰される日々に、もがいていた。

ミナコという人物は、下の飲み屋で働いているのだろう。そして恐らく

丹生の施設時代の年上の…友人? いや、親友かもしれない。

もう、ここまで分かればそれでいい。丹生は必ず、明後日には入寮する。


輝虎は駐車していた車に乗り込むと、丹生を待たずに走らせた。

「あれ、あいつは?」

「道安くん、あのお嬢さんが理由もなく喧嘩するわけないって

 ハナっから信じて疑ってませんよね」

「……そりゃ、………まぁ」

「あのお嬢さんにもそれが伝わってたんですね。でなければさっきの施設で、

 あなたからのあんなひどい説教に耐えられるわけがない」

「……え、なに、そうなの?  

 もうあいつは嫌になって逃げちゃったのかと思いましたよ」

と道安は言ったあと、

少し間を置いてから「そんな………ひどい説教でしたか?」と改めて聞いた。


「そばにいた施設長も驚くくらい、かなり汚い言葉を並べて長々と怒りをぶつけて

 いましたが、つまるところ、

 ” 馬鹿野郎 “ と ” 心配かけるな ” しか言ってませんよね」

「…ぷっ」道安は小さく吹き出した。

そしてどこか織部と似てなくもない静かな笑顔になっていた。


「施設長との話し合いも上手く行きましたし、英和学院への入学に影響が出たわけ

 でもありませんので何よりです。家に着いたら、もう一度祝杯をあげましょう」


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

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