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狼は振り向かない【完結済】  作者: 月影野里
第一章

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12/47

12:俺の目的

輝虎は宿舎に帰って来ると普段通り弁当を一緒に食べたあと、

疲れ切っていたのか、すぐに寝てしまった。だが弁当を食べている時、

こんなやりとりがあった。


「今日の騒動ですが」輝虎はいつものように静かな語り口で話し出した。

「君は、ミスをしていないんですよね」

「はい」『それが何か?』とでも言いたげな返事である。

「そう言える根拠は何ですか」

「え?」弁当を食べていた織部の箸が止まった。

『それはさっき現場で、輝虎さんに聞かれたからもう話したはずじゃ…』

と織部は思っている。


「あの時、私が事の顛末を聞いていなければ、君は誰にも事実を

 伝えませんでしたよね」

輝虎の物言いは、いたって冷静である。

「……」確かにそうだった。

『輝虎さんにだけ本当のことを知ってもらえれば、それで良かったから』


「会社に損害が出ています」

「?…… でもそれは……」思わず言い訳を口にしそうになった。

だが今の輝虎には、それを許さない怖さが感じられた。

だから織部は口をつぐんでしまった。


『昼間の騒動で、明日からの作業工程に狂いが生じたことは知ってる。

 怪我で一人欠員が出たからだ。

 それは自分を雇ってくれてる会社に損害が出たことを意味するってことも

 分かってる。でも会社のことは自分が気にしたってしょうがない。

 欠員の補充は自分がやるべきことじゃない』

そんな風に思って目の前の唐揚げを箸でつついていた。


「いま、無責任なことを考えていますね」

輝虎は少し口元に笑みを浮かべて言った。

「…」『え、そうなのかな…』

織部はあの時、感情をぶちまけるだけで、あとのことはほったらかしだった。

『昼間のことは、単に俺がせいせいしただけだ……って言いたいの?』


輝虎は話を切り上げると、隣の部屋に行ってすぐに寝てしまった。

残された織部は急に心細くなり、食欲もなくなった。

仕方なく机に向かって本を開いてはみたものの、輝虎との会話が思い返されて、

勉強も手がつかなくなってしまった。

椅子に座ったまま固まっていた織部の部屋には、

輝虎が買った藍色のカーテンだけが、エアコンの風でかすかに揺らいでいた。


翌朝7時半、織部はいつもより早く現場に出ると、真っ直ぐ仮設事務所に行った。

現場監督を見つけると、昨日のことで会社に迷惑をかけたことを謝罪した。

「いや、まぁ怪我した相手は他の建設現場でも度々問題を起こしててね。

 昨日のようなことは想定内だから」

と現場監督は織部を逆に慰めた。だが織部は、

「相手の挑発に乗るのではなく、言いたいことがあるなら、

 まず監督に説明すべきでした」と伝え、頭を下げた。


織部がたった一日で、

これほど潔く反省の態度を見せたのには周囲の大人達が感心した。

特に現場監督は、美しい少年が自分に向かって丁寧に頭を下げる姿に

心を打たれてしまったようだ。喫煙所で輝虎と一緒になった時、

現場監督は今朝の出来事を切々と語り始めた。

輝虎は一通り話を聞いたあと、タバコを深く吸い込むと、安堵したように

ゆっくりと吐き出した。

『よかった』

『幼少期から心を疲弊させる出来事も多かっただろうに……

 やっぱりあの少年の心は澄んでいる。それに、聡明だな……』


昨日の件で工程のズレが生じたことにより、現場では織部への当たりが

一時強くなってしまった。だが織部は相手に媚びるでも、へつらうでもなく、

自分にできることを静かにこなしていた。


作業後の掃除を1次請けの連中が押し付けてきても耐えることができたし、

元請けからの指示不足で作業が二度手間になっても、遅れを取り戻す以外の

雑念は全て取り払うことができた。


『俺の目的はここじゃない』

この仕事を始めた動機にピントを合わせた織部の心は、研ぎ澄まされていた。

そして気づけば、ここでの業務も満了日を迎えようとしていた。

契約満了日、先にプレハブ宿舎を引き払うのは織部だった。

だがこれからどこに泊まるのか、それは織部の思うようにはならなかった。




工事現場で唯一の作業員出入口には、

黒塗りの車から降りてきた二人組が織部の出てくるのを待ち構えている。

人夫姿の輝虎は、見送るために織部と一緒に歩いていた。だが二人組の内、

一人は加藤であることが分かると、すかさずサングラスをかけ、

髪をしばって帽子を目深にかぶりながら言った。


「君は……何か悪いことでもしましたか?」

「ま、そんな感じです」

「まるで警察に連行される犯罪者の気分だ……」


輝虎は正直な感想を述べている。出迎えの車が来ることは知っていたが、

まだ輝虎は休職中だったから手配したのは道安だ。

『よりによって加藤を使うとは……。   バレたら面倒だ…』


「これ、俺の携帯の番号です」

出入口から外に出ると、織部は輝虎にノートの切れ端を渡した。

「こんな、プライベートなことを私に教えちゃっていいんですか?」

「別に……いま電源切ってるので繋がらないですけど」

織部がそう言うと、二人は笑った。


織部は携帯を持っている。

だがそれは道安が米国に戻る前、織部に無理矢理持たせたものである。

織部が自分から積極的に携帯を使うことは無い。

だから織部の携帯には道安からのメールしか入っていない

……にしても件数が多すぎるので、織部は殆どを無視していた。だが、

それではあまりにも失礼だと思い直し、住み込みで働いてることや、高校を再受験

することは伝えていた。今日からの寝泊まりについては、カプセルホテルとか

ネットカフェでなんとかなるだろうし、

こんな瑣末なことは道安に伝えるまでもない。それに充電も面倒だから、

織部はもう携帯の電源を切っていた。


だが織部と連絡がつかなくなることくらい、道安を不安がらせるものはない。

織部はそこに気づかないから、今、こんなことになっているのだ。



織部は、目の前の車に乗らなきゃならないことは、もう観念していた。

今朝方、宿舎を引き払う際に現場監督に会いに行ったら、調度良かったとばかりに、

「ついさっき国際電話が入ってな、迎えの車が来たらそれに乗るように、

 との言伝を預かったところだ」と監督から言われた。

『国際電話? あぁ……ミッチャンか』

またミッチャンは、何かおせっかいを焼いてくれたらしい。

織部は「伝言ありがとうございます」と言ったあと、

「監督、今まで本当にお世話になりました」と言って、深々と頭を下げた。

喫煙所から帰ってきた輝虎は、窓越しにそのやりとりを見ていた。

そして織部がこちらに向き直った瞬間「お、もう出るところですか」と言いながら、

ガシっと織部の腕を掴んだ。

そして現場監督に目配せしたあと「ではそこまでお見送りしましょう」と言って、

ピタッとくっついて離れなかった。

(心配性の道安が、織部が逃げないよう頼む、と輝虎にお願いしたからだ)

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

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