↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/32

第6話「雨の日の休戦協定」

朝から、雨だった。


 中庭の決闘は天候不良につき中止。掲示板の達筆な貼り紙を見て、俺はささやかな解放感を噛みしめた。今週は木剣を振り回されずに済む。平穏、万歳。


 ……のはずがどうにも落ち着かない。授業が終わっても妙に手持ち無沙汰で、体が余っている感じがする。週一の決闘なんて、心底めんどくさいと思っていたのに。いざ無いとなると、拍子抜けするものらしい。


 (いやいや。喜べ、俺。これが平和ってやつだろ)


 自分に言い聞かせつつ、俺は雨宿りがてら、図書塔へ足を向けた。


 図書塔は学院のいちばん奥にある古い塔だ。天井まで届く書架が、螺旋を描いてぐるりと壁を埋めている。羊皮紙とインクと古い木の匂い。細長い窓に雨粒が筋を引いて、ページを繰る音だけが、ひそやかに満ちていた。


 奥まった書架の陰。何気なく角を曲がった俺はそこで足を止めた。


 銀の髪。見慣れた背中。窓際の机に、オスカーが一人で座っている。


 げ、と声が出かかった。よりによって、こいつと出くわすとは。決闘の日でもないのに。木剣もなければ、審判もいない。俺たちのあいだにいつもある「勝負」という口実が、今日はどこにもなかった。


 「……グランツベルク」


 「……ミレット」


 名前を呼び合ったきり、会話が続かない。当たり前だ。俺たちは殴り合うか競い合うかでしか、一緒にいる方法を知らないのだから。気まずい沈黙が雨音に混じって流れていく。


 本来なら、回れ右して別の書架へ逃げ込むのが正解だ。相手は宿敵、避けたい筆頭。三年間の平穏のためには、関わらないのがいちばんいい。……そのはずなのに、足の裏が床に貼りついたみたいに、ちっとも動いてくれない。


 結局のところ俺の足は、あいつの座る机のほうへふらふら近づいていく。オスカーが広げていたのは古びた一冊。見覚えのある構えの挿絵——剣術の指南書だった。


 「……そこ、間違ってる」


 思わず口を出していた。「その受け、上段には効くけど、突きには弱い。俺なら、こう流す」


 「……ほう。逃げ回るしか能のない貴様が、口だけは達者だな」


 「逃げるのだって、立派な技術です」


 気づけば俺たちは、一冊の指南書を挟んで、肩が触れそうな距離で額を寄せていた。離れて座っていたはずなのに。ページの同じ一点を、二人して覗き込んでいる。雨の音がやけに遠く聞こえた。


 「この構えなら、こう来る相手にはどうする」


 「……足を止めるな。半歩でいい、左へ回れ」


 いつのまにか俺たちは、剣の話に夢中になっていた。決闘のときみたいな棘はない。純粋に、剣が好きな者同士の問答だ。オスカーは思っていたより、よほど素直に人の話を聞く。的を射た指摘には悔しそうに、それでも小さくうなずく。その横顔は教室で見る完璧な仮面より、いくらか幼く見えた。こんな顔で笑う奴だったのか。俺は指南書そっちのけで、つい見入ってしまった。


 ふと思い出して、俺は鞄からくるみパンを取り出した。雨で購買に行けず、実家の荷から失敬してきた一斤だ。半分に割り、片方を無言でオスカーの前に置く。


 「……なんのつもりだ」


 「休戦協定です。今日は決闘の日じゃないんで、これは賭けの景品じゃない。まあ、おすそ分けってやつです」


 オスカーはしばらくパンをにらんでいた。毒でも仕込まれていないか、検分するみたいに。それから意を決したように口へ運ぶ。ひとくち。もうひとくち。あっという間に、割った半分が消えていった。


 「……どうです。うまいでしょ」


 「……」


 返事はない。だがその沈黙こそが答えだった。まずいものを、こんな勢いで平らげる奴はいない。俺はこみ上げる笑いをかろうじて堪える。


 「……こんなもの」


 オスカーがぼそりと呟いた。「こんなもの、認めん。俺は——」


 言いかけて、あいつははっと口をつぐむ。気まずさをごまかすように、視線が雨の窓へ逃げていく。今、「俺」って言ったか、こいつ。いつも気取って「私」なのに。


 「……私は、断じて認めんからな」


 言い直した声は妙にうわずっていた。パンくずひとつ残っていない皿を、必死で見ないふりしながら。


 こんなオスカーは知らなかった。教室で誰も寄せつけない、あの完璧な令息。全校の前で堂々と決闘を叩きつける、あの高慢な宿敵。そのどれとも違う。パンひとつで子どもみたいにむきになって、負けを認めまいと意地を張る。ひどく不器用な、年相応の少年。雨に閉じ込められた午後が、あいつの分厚い鎧を、少しだけ脱がせてしまったのかもしれない。そう思うと、なぜだか胸のあたりが、むずむずと落ち着かなくなった。


 ……いや。深く考えるのはよそう。雨宿りついでの気まぐれ。それ以上でも以下でもない。そう自分に言い聞かせて、俺は手元に残った半分のパンを口へ放り込んだ。


 完食しておいて認めないもないだろ、と心の中で盛大に突っ込む。雨はまだ、やまない。決闘のない静止した午後に、宿敵とパンを分け合う羽目になるなんて。入学式のあの日には、想像すらしなかった展開だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。