第3話「逃げ道、公務により閉鎖」
放課後、担任に呼び止められて職員室へ向かう俺の足取りは我ながら重かった。呼び出しにろくな用はない。前世で培った経験則である。案の定、担任は一枚の紙を差し出して、にこやかに爆弾を落としてきた。
「ミレット。今日から君は、学年代表委員だ」
「……代表、委員」
「学年の首席と次席が務める、うちの伝統でね。行事の運営を二人で仕切ってもらう。もちろん次席は——」
言われるまでもない。嫌な予感がみるみる確信に変わっていく。名簿の次席の欄に並ぶ、見慣れた名前。オスカー・グランツベルク。
つまり俺はこれから行事のたびに、あいつと机を並べて働けと言われているわけだ。距離を取る。関わらない。目立たない。俺が入学前に立てた完璧な平穏計画が、たった一枚の任命書で、根こそぎ更地にされた瞬間だった。
しかも代表委員の任期は卒業まで。逃れる手をいくつか考えてはみたが、どれも現実的じゃない。首席の座を明け渡す? 特待生の身分が危うくなる。仮病を使う? 年単位では無理がある。八方ふさがりとは、まさにこのことだった。
逃げ道は公務により閉鎖。学院の伝統には平民の一存など逆らいようもない。
(決闘が週一なのは我慢するとして、なんで平時までこいつと組まされるんだ……)
頭を抱えたところで制度は制度。翌日、俺はげんなりしながら委員室に出向き、オスカーと初仕事に取りかかることになった。
委員室は図書塔のふもとにある小さな一室だった。古びた木の机が二つ、向かい合わせに並んでいる。片方にはすでにオスカーが腰かけ、背筋を伸ばして書類を検分していた。俺が入ってきても顔も上げない。おはようもよろしくもない。この距離感で卒業までやっていくのかと思うと、初っ端から気が遠くなる。
最初の任務は新学期の生徒名簿と行事予定表の照合と清書。地味だがとにかく数が多い。二人で山分けすれば、日暮れまでには片づく量だ。俺は自分のぶんの紙束を引き寄せ、さっさと終わらせて帰ろうとした——のに。
「ミレット。どちらが先に仕上げるか、勝負だ」
「しません。これはただの仕事です」
「逃げるのか」
その一言に、反射で反応してしまう自分が心底恨めしい。逃げるのか、と煽られると、どういうわけか背中がむずむずする。気づけば俺はペンを握り直し、猛烈な速度で名簿を照合し始めていた。くそ、まんまと乗せられている。
こうして地味な清書は、しんと静まった委員室での、無言の速記競争と化した。紙の上を走るペンの音だけが響く。隣を盗み見れば、オスカーの横顔は真剣そのもの。名簿照合の何がそこまで楽しいんだ、こいつは。
妙なもので、始めてみると存外に集中する。名前、成績、所属。項目を照合しては清書欄へ書き写す。単調な作業のはずが、隣で猛然とペンを走らせる気配があると、なぜか手が止められない。負けたくない、という子どもじみた意地が、腹の底からむくむく湧いてくる。……くそ、これがあいつの狙いか。
最後の一枚を書き終えて顔を上げたとき、オスカーのペンは、ほんの半拍だけ早く止まっていた。「終わりだ」と短い宣言。俺のほうが一枚多く残っている。完敗ではないが勝ちでもない。地味な清書ひとつに本気で悔しがっている自分に気づいて、俺はますます脱力した。
勝負は僅差で俺の競り負け。悔しさより先に、どっと疲れが押し寄せてくる。ところが席を立ちかけて、俺は妙なことに気づいた。担当するはずだった残りの書類が、いつのまにか整理番号順にそろえられている。おまけに、記入漏れの箇所にはうっすら印までつけて。
「……これ、グランツベルクがやったのか?」
「効率の問題だ。片方の手が遅ければ、全体が遅れる」
つんとした返事。目も合わせない。要するにこいつは、競争相手であるはずの俺の作業まで、こっそり下ごしらえしておいたわけだ。勝負を仕掛けておいて、相手の手が回らないところは先回りで整えてやる。矛盾している。矛盾しているのに、どうにも嫌な気がしない。
思い返せば、あいつのやることはいつもこうだ。全校の前で決闘を叩きつけておいて、負けた俺に汗拭きの布を投げてよこす。パンを賭けろと脅しておいて、封蝋だけは馬鹿丁寧に押してくる。喧嘩を売る手と世話を焼く手が、まるでちぐはぐに、別々で動いているみたいだ。本気で人を嫌っている相手に、こんな手間をかける奴はいない。
変な奴だ。今日だけで何度そう思ったか、もう数える気も失せた。
結局その日は日が暮れるまで委員室に缶詰めだった。行事予定の草案づくり、備品の割り振り、来月の集会の段取り。やることは山ほどあって、そのどれもが、いちいち小さな勝負に化けていく。どちらの案が通るか。どちらが速く数えられるか。仕事の顔をした決闘を、俺たちは延々と続けていた。
窓の外はとっぷり暮れて、委員室のランプに灯が入る。逃げ道はふさがれ、平穏計画は白紙に戻り、そのうえ宿敵の妙な律儀さまで見せられて。踏んだり蹴ったりのはずなのに、帰り道の足取りは、思ったほど重くならなかった。明日はまた、果たし状の届く曜日だ。せめて種目が体力の要らない料理あたりだと助かるんだが。




