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悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


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第2話「賭けるならパンにしろ」

授業中の俺の席は、運悪く——いや、席順の都合でオスカーの斜め後ろにある。おかげで、嫌でもあいつが視界に入る。歴史の教師が難問を投げれば、真っ先に挙がるのはあの銀の頭だ。淀みない解答に伸びきった背筋。教師が満足げにうなずくたび、周りの生徒が小さくどよめく。


 なるほど、完璧な公爵家嫡男。絵に描いたような優等生である。


 板書を促されれば、真っ先にチョークを受け取るのもオスカー。図の意味を問われれば、貴族の子弟すら舌を巻く精度で答えてみせる。非の打ちどころがない。非の打ちどころがなさすぎる。隙を見せたら負けだと、幼い頃から言い聞かされて育った人間の背中だ。


 でもと俺は気づく。休み時間になっても、あいつの席へ近づく者が一人もいない。談笑の輪はあちこちにできるのに、どの輪もオスカーの机を避けて、そこだけぽっかり空白を残している。誰も彼に話しかけないし、あいつのほうから話しかけることもない。


 完璧すぎて、遠い。近寄りがたいというより、近寄る隙がないのだ。全教科首位の公爵令息は、教室のどまんなかで、ぽつんと一人きりだった。


 前世の記憶をたぐっても、この令息の孤独は筋書きどおりだった。完璧であることを義務づけられた跡取り息子。友をつくる暇も弱音を吐く相手も与えられなかった少年。物語ではその孤立がやがて彼を歪ませ、破滅への燃料になっていく。……のだが。その完璧な令息が、このあとしでかす奇行を、このときの俺はまだ知る由もなかった。


 ……まあ、俺には関係ないけど。


 そう思った矢先に事件は起きた。実家から届いた荷をほどき、包みのくるみパンをひとつ、こっそり口へ運んだ瞬間のことだ。


 「ミレット。それは何だ」


 真後ろから声がかかって、危うくむせかけた。振り返れば、オスカーが俺の手元をじっと見ている。獲物を見つけた猛禽みたいな目で。


 「……くるみパンですが」


 「見ればわかる。どこの店のものかと聞いている」


 「うちの実家です。下町の、ミレット堂って小さいパン屋の」


 答えた途端、あいつの眉がぴくりと動いた。何かを値踏みするような沈黙。やがてオスカーは腕を組み、さも重大な決定を下すみたいに言い放つ。


 「決めた。次の決闘、賭けはそれだ」


 「は?」


 「貴様の家のパンを賭けろ。私が勝ったら寄越せ」


 思考が一瞬止まった。公爵家の跡取りが、下町のパン屋のくるみパン一斤を、堂々と決闘の景品に指名している。この学院には貴族の子女が唸るような菓子も酒も揃っているだろうに。なぜ、よりによってパンなんだ。


 「……あの、もっとこう、名誉とか誇りとか、賭けるものあるでしょ」


 「パンだ」


 食い気味だった。にべもない。有無を言わせぬ「パンだ」である。俺は反論する気力を根こそぎ奪われ、がっくりと肩を落とす。こうして翌週から、俺の果たし状には毎回「賭け・くるみパン一斤」の一文が加わることになった。


 念のため言い添えておくと、うちのくるみパンは確かに旨い。父の自慢の看板商品で、朝いちばんに焼くやつは、香ばしくてほんのり甘い。だがそれを公爵家の跡取りが決闘の景品に据える理由には、まるでならないはずだ。あいつは唸るほど上等な菓子を、いくらでも取り寄せられる立場だろうに。


 その週の決闘は案の定オスカーの勝ちだった。木剣を取り落とした俺の喉元に、切っ先がぴたりと突きつけられる。約束どおりくるみパンを一斤差し出すと、あいつは短く「うむ」とだけ言って受け取った。旨いともまずいとも言わない。包みを持つ手つきが、やけに慎重だったことだけ、妙に印象に残っている。


 公爵家の食卓には、きっと下町のパンなんて並ばないのだろう。だからだろうか、あの受け取り方は、珍しいものをこわごわ扱うようでもあった。


 妙なのはそれだけじゃない。パン賭けが決まってからというもの、届く果たし状の封蝋が、目に見えて丁寧になったのだ。以前は少し歪んでいた双頭の鷲が、週を追うごとに端正な形へ整っていく。まるで、受け取る相手に見せる面を気にし始めたみたいに。


 最初の一通なんて、蝋がだいぶ雑にはみ出していた。それが二通目、三通目と重なるにつれ、鷲の翼の一枚一枚まできっちり型が取れている。誰かに見せる予定もない果たし状の封蝋を、わざわざ練習する奴がいるだろうか。……いる。俺の目の前にたぶん一人。


 いや、考えすぎか。封蝋の出来なんて、その日の機嫌しだいだろう。


 それでも俺は割った封蝋のかけらを、なぜか捨てそびれて机の隅に転がしている。宿敵からの果たし状に、律儀に押された青い鷲。こいつは俺を倒したいのか、それともうちのパンにありつきたいだけなのか。だんだん、判断がつかなくなってきた。


 餌付け、という単語が頭をよぎる。毎週きっちりパンを差し出している時点で、餌付けされているのはむしろ俺のほうかもしれない。宿敵にパンを貢ぐ主人公なんて、前世の妹が見たら腹を抱えて笑うに違いない。それでも青い封蝋のかけらは、今日も机の隅に転がったままだ。

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