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悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


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第1話「俺の平穏はどこへ」

開始の合図と同時に、オスカーの木剣が風を切って伸びてきた。速い。速いのはこの二月で嫌というほど思い知っている。だから俺は真正面から受ける気などさらさらない。半歩下がってかわし、また下がる。逃げ腰、大いに結構。触れさせなければ、負けようがないのだ。


 「また逃げか。貴様、勝つ気はあるのか」


 (ありません。一ミリもありません)——胸の内で即答しつつ、俺は円を描くように間合いを外し続ける。ここで下手に打ち合えば、剣の腕がばれる。ばれれば「手応えあり」と判定され、来週も再来週も、こいつは嬉々として果たし状を寄越すに違いない。


 だからこの決闘における俺の必勝法は一つきり。弱いふりをして、あわよくば引き分けに持ち込む。勝ちも負けもせず、印象にも残らない。それが平穏への最短ルートだと、俺は本気で信じている。


 オスカーの攻めは、教科書みたいに正確だ。上段からの一撃を横へ流せば、すかさず切り返しが来る。踏み込みも鋭い。まともに打ち合えば、数合ともたず一本取られる自信がある。だからこそ俺はひたすら間合いを泳ぐ。中庭を囲む見物人が「今週も逃げ回ってるぞ」と笑うのが、風に乗って聞こえてきた。


 「そこの角、踏み越えたら場外だぞ」


 審判役の上級生の声に、俺はわざとらしくよろけてみせた。木剣を取り落とし、片足が白線の外へ。場外一歩手前でそのまま時間切れ。規定どおりの引き分けである。我ながら完璧な負けっぷり、もとい、逃げっぷりだ。


 「……引き分け、だと」


 オスカーが眉を寄せる。到底納得のいかない顔だ。当然だろう、実力なら向こうが上なのだから。それでも規定は規定、時間切れは引き分け。俺は肩で息をしながら、内心でこっそりガッツポーズを決めた。今週もしのいだ。平穏の勝ちだ。


 「時間切れ狙いか。姑息な」


 「褒め言葉として受け取っておきます」


 減らず口を叩きながら、俺は木剣を下ろした。姑息、大いに結構。姑息こそが平民の生存戦略なのだ。真正面から公爵家とやり合って勝てるほど、俺の人生は甘くできていない。


 と、視界の端で白いものが翻る。反射的に受け止めると、畳まれた布——汗拭きの手拭いだった。投げてよこした本人は、もうこちらに背を向けている。礼も文句も何ひとつ添えないままに。


 「……え、くれるの?」


 問いかけても返事はない。そういえば布を寄越したときの手つきが、いつになく乱暴だった気もするが、深い意味はないんだろう。俺は手のなかの布を見下ろす。上等な麻に双頭の鷲の刺繍。宿敵から汗を拭けと布を渡される決闘なんて、後にも先にも聞いたことがない。変な奴だ。


 その夜。寮の狭い自室で、俺は貸し借りの覚えもない手拭いを机に置いて腕を組んだ。そろそろ腹をくくって、現状を整理しておくべきだろう。なにせ俺はこの学院の顛末を知っている。知っているからこそ、打つ手があるはずなのだ。


 前世の妹がリビングを占領して延々とやり込んでいた恋愛ゲーム。『グランシェルテの誓約』。横で眺めさせられ、しまいには自分でも一度だけ通しで遊んだ。おかげで、大筋の筋書きだけは頭に残っている。


 もっとも俺の知識は万能じゃない。妹の隣で眺めていただけの、うろ覚えの物語だ。細かい分岐や裏の設定まで、正直あやしいものだ。それでも断罪の一幕だけは、なぜか妙にはっきり覚えている。糾弾される令息の、凍りついた横顔まで。


 物語の舞台はこの学院。平民あがりの特待生が入学し、傲慢な公爵令息オスカーに目をつけられる。嫌がらせを受け、じわじわと追い詰められていく。そして秋の創立祭で、その令息は主人公への器物損壊と突き落とし未遂の犯人として、衆目の前で糾弾されるのだ。


 とどめを刺すのが主人公の証言。つまり、俺の役どころ。


 「……いや、無理だろ」


 思わず声が出た。会ったばかりの相手を、半年後に大勢の前で断罪して破滅させる。そんな筋書きに、どうして俺が乗らなきゃいけないんだ。オスカーがどれだけ高慢だろうと、退学と廃嫡まで背負わせてやる義理はない。


 だいたい前世の俺は、妹の実況を横で聞きながら、この令息にほんの少し同情していたのだ。全教科で首位を義務づけられ、一度でも二位に落ちれば価値がないと切り捨てられる。そんな家に生まれた少年が、衆目の前で断罪され、退場していく。画面越しにも後味のよろしくない結末だった。


 だいたい、今のところ嫌がらせらしい嫌がらせも受けていない。降ってくるのは週一の果たし状と、意味不明なパンの徴収だけだ。あれを「嫌がらせ」と呼ぶには、いささか締まりがなさすぎる。


 だから俺の方針はもう決まっている。関わらない。目立たない。証人の席になんて、間違っても座らない。オスカーとは距離を取って、当たり障りのない引き分けを積み重ね、平穏に卒業する。何ひとつ穴のない、完璧な計画だ。


 ……完璧な計画のはずが、机の上の手拭いが、やたらと視界に入ってくる。畳んで引き出しの奥に押し込み、俺は無理やり思考を打ち切った。考えたところで仕方がない。今の俺にできるのは、来週の決闘もそつなく逃げ切ることだけだから。


 窓の外で、消灯を告げる鐘が鳴った。明日もまた、この妙ちくりんな学院生活が続いていく。俺のささやかな平穏は、いったいどこへ行ってしまったんだろうな。

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