↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/32

第24話「弟を頼む、だってさ」

国境の街から一通の手紙が届いたのは、木枯らしの吹き始めた朝のことだった。差出人の名を見て、オスカーは長いあいだ動けずにいたらしい。俺が図書塔へ呼び出されたとき、あいつはまだ封も切らずに、その一通を握りしめていた。指の関節が白くなるほど強く。


 エリアス・グランツベルク。廃嫡され、家名を奪われ、消息を絶っていた兄。フェリクスの伝手を辿り、国境の商会へ問い合わせを重ねた末に、ようやく返ってきた返事だった。生きているのかどうかさえ、あいつは長いこと知らずにいたのだ。


 「……開けないのか」


 「開ける」むっとした声のわりに、あいつの指はちっとも動かない。「……少し、待て」


 急かすのはやめておいた。何年ぶりかもわからない、生き別れた兄からの一通だ。開いた先に何が書かれているのか、怖くないはずがない。俺は黙って、あいつが覚悟を決めるのを待った。窓の外で、色を失いかけた蔦が、風に小さく鳴っている。


 たっぷり時間をかけて、あいつはようやく封を切った。中から出てきたのは、飾り気のない、商人らしく角ばった文字だ。便箋には拍子抜けするほど穏やかな暮らしが綴られていた。


 国境の街で小さな商会を任され、香辛料と織物を扱っていること。朝は市場の値を睨み、夜は帳面と格闘していること。廃嫡された身に家名はもうないが、そのぶん背負う順位もない。誰かに一番を証明しなくていい日々は、存外わるくないのだと。


 負けても終わりじゃなかった。その一行を目でなぞったとき、オスカーの肩が小さく上下した。「二位は無価値」。あいつの背骨に刻まれた家訓を、兄はたった一行で、あっさり裏返してみせたのだ。


 読み進めるうちに、握りしめられていたあいつの指が、少しずつほどけていった。生きていた。しかも笑って暮らしている。廃嫡という言葉の重さに、俺はてっきり、もっと悲愴な便りを覚悟していた。だが兄の筆はどこまでも軽やかだ。順位の鎖から解き放たれた人間の、身軽ささえ滲んでいる。


 手紙の末尾にはこう書き添えられていた。噂は風の便りに聞いている。弟が妙な平民と毎週決闘をしているそうだな、と。


 「……なんで俺の話が、国境まで届いてるんだよ」


 思わず声が出た。エリアスの筆はそこからさらに一言を継いでいる。——その平民どのに、どうか弟を頼む、と。弟を頼む。会ったこともない相手からの、その不器用な一筆を読んだ途端、俺は妙な衝動に駆られた。返事を書きたい。任されました、とでも、余計なお世話だと笑い飛ばすでもいい。とにかくこの兄へ、何か言葉を返してやりたくなったのだ。


 隣を盗み見れば、あいつは便箋の端を指の腹でこすりながら、聞こえるか聞こえないかの声で「……ふん」と漏らした。照れ隠しの下手さは相変わらずらしい。それでも兄の一行を追う横顔は、ここしばらく見なかったくらい、やわらかかった。


 その日の会合で、カミル先輩が一枚の写しを卓に滑らせた。公爵家の会計記録の断片。フェリクスが王家の監査の伝手から、掠め取ってきたものだという。


 「見ろ、後輩。エリアスが廃嫡された年だ。この月だけ、帳面の辻褄がやけに合わん」


 先輩の指が数字の並ぶ一角を叩く。何に使ったかわからない、まとまった額の出金。宛先の伏せられた謝礼。証言をした者たちへ流れたであろう、口止めの銭の匂いがした。叔父が実務を握っていたからこそ、書き換え、そして書き換えそこねた綻びだ。


 俺は写しの数字を、指でそっと辿ってみた。几帳面に整えられた帳面の、たった一か所だけ、辻褄の合わない染みのような綻び。表向きはどこまでも完璧に取り繕われている。だからこそ、この小さな歪みが、かえって不自然に浮かび上がって見えた。誰かが慌てて、塗り消そうとした跡だ。


 「完全な尻尾じゃない。だが、糸口ではある」フェリクスが肩をすくめた。「この綻びを手繰れば、あの理事どのが清廉潔白の仮面の下で何をしてきたか、少しは見えてくるさ」


 俺の頭の隅で、前世の知識がちらついた。あの物語には断罪の裏づけになる物証の在処が、断片的に描かれていたはずだ。それさえ押さえれば、綻びは綻びで終わらない。確信めいたものが胸に灯る。——このときの俺は、その借り物の記憶を、まだ少しばかり信じすぎていた。


 会ったこともない兄の姿を、俺は勝手に思い描いていた。オスカーによく似た、けれどもっと肩の力の抜けた男。国境の市場で、値切り交渉に声を張り上げているのかもしれない。その人が遠い学院の弟を案じて、見も知らぬ平民に「頼む」と書いて寄越した。その不器用な信頼に、俺はどうしても応えたくなってしまう。


 その夜、俺は寮の机に便箋を広げた。国境の兄へ宛てて、何をどう書いたものか。任されました。そのたった一言がどうにも面映い。書いては消し、消しては書いた。窓の隙間から吹き込む風はめっきり冷たい。会ったこともない誰かの「頼む」に、こんなにも本気で応えたくなっている。逃げ腰だったはずの俺の筆先は、いつのまにか、ずいぶん遠いところまで踏み込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。