第22話「今度は俺から申し込む」
果たし状の書き方なんて、当然ながら習った覚えはない。それでも俺は寮の狭い机で幾晩か唸った末に、たった一枚の便箋を書き上げた。書いては丸め、また広げてを繰り返す。改まって誰かに勝負を挑む文面が、これほど気恥ずかしいものだとは思わなかった。あいつは毎週、こんな面映いものを、涼しい顔で寄越していたわけか。
学院の事務室へ決闘の申請を出し、規定どおり写しを添える。まっとうな手続きを踏んで、俺のほうから勝負を挑むのだ。受付の書記が申請者の名を二度見してから判を押した。無理もない。挑まれてばかりの逃げ腰の首席が、自分から果たし状を出すというのだから。
申請が受理された報せを受け取っても、実感なんて湧かなかった。むしろ、もう後戻りできない場所へ足を踏み入れた気分だ。逃げてばかりだった俺が、自分から勝負を挑む。あいつがこれまで、どんな気持ちで毎週あの便箋をしたためていたのか。今ごろになって、その一端が、ようやく腑に落ちた気がした。
その一通を、俺は自分の手で届けると決めていた。テオを介した配達でもない。扉の下へ滑り込ませる、いつかのあいつの真似でもない。放課後の中庭。人けの引いた頃合いを見計らって、俺はオスカーの前へ回り込んだ。
あいつは足を止め、警戒するように俺を見た。ここ最近こびりついていた、あの温度のない顔で。俺は構わず、白い封筒をまっすぐ差し出す。
「決闘を申し込む。今度は、俺のほうからだ」
オスカーの視線が、俺の顔と封筒のあいだで行き来した。しばらく、あいつは動かなかった。それから片手で受け取ろうと伸ばしかけて——途中で思い直したように、両の手をそろえ、その一通をそっと受け取る。捧げ物でも扱うみたいな、慎重な手つきだった。封筒に押した、見よう見まねの封蝋。いつもあいつが突きつけてきた果たし状の、不格好な物真似だ。それをあいつは長いこと見下ろしていた。
決闘の日、中庭に立ったのは、俺たち二人と立会いの上級生だけ。名物が消えて久しい決闘場に、見物人の影はもうない。乾いた秋風が二人のあいだをひゅうと吹き抜けていく。
開始の合図が鳴る。踏み込んできたあいつの木剣を、俺は逃げずに正面から受け止めた。がつん、と手首の骨まで痺れる衝撃が突き抜ける。オスカーの目がはっきりと見開かれた。当然だ。今まで一度も本気で打ち合わなかった相手が、真っ向から刃を合わせてきたのだから。
「貴様……今まで、手を抜いていたな」
「悪かったよ。逃げるのに必死だったんで」
打ち合うたび、言えずにいた言葉が喉までせり上がってくる。木剣がぶつかり、乾いた音が弾ける。俺はとうに息が上がっていた。剣の腕なら、やっぱりあいつのほうが数段上だ。何合か持ちこたえたところで、下段から掬い上げる一撃に俺は片膝をついた。
息が上がって、視界がちかちかする。それでも逃げの一手ばかり打っていた頃より、よほど胸が澄んでいた。真正面からぶつかると、こんなにも清々しいのか。手加減も小細工もない、全力の応酬。あいつがこの時間を「敬意だ」と言った意味が、打ち合ってみて、ようやく体で腑に落ちた。
「……なぜだ」あいつが俺を見下ろして言う。「なぜ今さら、こんな真似をする」
息を整えて、俺は顔を上げた。ここで言わなきゃ、たぶん一生言えない。
「距離を取ったのは、身分がどうとか、そんなんじゃないんだ」
地面を掴んだ指にぐっと力を込める。
「お前を、破滅させたくなかった。オスカー」
名を呼ばれたあいつが、息を呑むのがわかった。オスカーの木剣が、からりと地に落ちる。整えられていた顔がぐしゃりと歪んだ。完璧な次席の仮面が剥がれ落ちて、その下から、俺の知っている生身のあいつが出てくる。
「……破滅、だと。何を、勝手に」声が掠れ、うわずった。「お前が急に壁を作って、俺は——俺は、てっきり」
私、じゃない。素の「俺」だ。ずっと聞けずにいたその一人称が戻ってきて、不覚にも俺の胸の奥を締めつけた。よかった。あいつの世界に、俺はまだ、いてよかったらしい。
言葉に詰まったあいつへ、俺は立ち上がって、抱えてきた包みを押しつけた。油紙の隙間から、香ばしい匂いがふわりと立つ。実家から届いたばかりの、焼きたてのくるみパンだ。
「ほら、賭けの景品。俺が勝ったら受け取れって書いといたけど。負けたから、まあ、手土産だ」
「……勝ってないだろう、貴様は」
「うるさいな。減らず口が戻ったなら、上等だよ」
あいつは包みを両手で抱えたまま、しばらく黙っていた。それからパンを一つ取り出して、大きく齧りつく。悔しげに眉を寄せて、それでも最後のひとかけまで律儀に食べ切った。その食べっぷりを眺めていたら、こわばっていた俺の肩から、ようやく余分な力が抜けていく。
「……不覚を取った」
パンを食べ終えたあいつがぽつりと呟いた。負けたのは俺のほうなんだが、と思ったけれど、口には出さなかった。たぶんこいつは剣の勝敗の話をしているんじゃない。半年ものあいだ、俺の逃げ腰の裏に、こんな理由が隠れていたことに気づけなかった。それを「不覚」と呼んでいるらしい。
果たし状は宣戦布告なんかじゃなかった。俺のほうからだって、こうして差し出せる。二人のあいだにしか通じない、不器用きわまりない合言葉だったんだ。




