第20話「筋書きが戻ってくる」
その朝、掲示板の前にできた人だかりは、いつもと種類の違うざわめきを孕んでいた。押し合う肩越しに、俺は貼り出されたばかりの一枚へ目を凝らす。創立祭の学年企画。その責任者を告げる連名の告示だ。首席の俺の名は変わらずいちばん上にある。だがすぐ下に並んでいるはずの次席の名が、きれいに削り取られていた。
オスカー・グランツベルク。その名があった場所には、見覚えのない別の生徒の名がしれっと刷り直されている。次席を飛び越えて、代表委員がすげ替えられたのだ。誰の手が動いたのかなんて、考えるまでもない。学院に出入りするあの叔父の、柔らかな笑みが頭の隅をよぎった。
「ねえ、聞いた? グランツベルクの次席、企画から外されたって」
「素行に不安があるとかで、理事様のご判断らしいよ」
背後で交わされる噂話が、耳に刺さって抜けてくれない。素行。よりによってあいつに、いちばん似合わない言葉だ。誰より隙のない優等生でいようと、あいつはあんなに自分を削り続けているのに。その努力を、たった一枚の貼り紙が嘲笑っている。
「首席くんは、何か知ってるの? ほら、あの二人、いつも決闘してたじゃない」
「……さあ。最近は、とんとご無沙汰なので」
愛想笑いでかわしながら、俺は掌の内側が汗ばんでいくのを感じた。代表委員を外されるということは、創立祭の壇上から遠ざけられるということだ。晴れの舞台の中心から、あいつだけがそっと押しのけられる。表向きは温情めいた配慮の顔をして。だが実のところ、これは包囲の第一手なんじゃないのか。人の集まる場所から標的を孤立させ、逃げ場を先に塞いでおく。そういう手つきに俺は覚えがあった。
教室でも俺はこっそりオスカーの様子を窺っていた。代表を外されたと知っても、あいつは眉一つ動かさない。教師の問いに、いつもの完璧な答えを、抑揚もなく返すだけだ。周りのひそひそ声など、はなから耳に入っていないみたいに。だがその横顔は日を追うごとに、あの冷たい彫像へ近づいていく。感情を殺すことでしか、あいつは今の毎日をやり過ごせないのだろう。
その日を境に、廊下の空気がじわりと変わっていった。すれ違う生徒がオスカーを見る目に、これまでとは違う色が混じり始める。遠巻きの好奇。手のひらで隠される口元。名物の決闘で沸いていた頃の、あの生温かい視線とはもう別物だ。
昼をまたぐ頃には、もっと剣呑な噂が回っていた。旧棟の陳列室で、由緒ある記念の彫像が何者かに割られたという。しかも壊れた台座のそばに、あいつが一人で立っていた。そう名指しする証人の影まで、いつのまにかちらついている。尾ひれのついたその話は、口から口へ渡るうちに、犯人の顔つきまで勝手に備え始めていた。
胃の底がすっと重く沈んだ。器物の損壊。衆目の集まる祭りの場。そこへ被せられていく、公爵令息への疑いの目。——知っている。俺はこの並びを知っている。
前世の画面で見た断罪の一幕が、散らばった破片を拾い集めるようにして、俺の覚えのある形へ戻ってこようとしていた。器物損壊。突き落とし未遂。衆目の前での糾弾。ばらばらだった部品が、気づけば筋書きの並びへするすると収まりかけている。ぞっとするほど、手際がいい。
そして俺はこの物語の結末まで知っている。祭りのその日、大勢の目の前で、あいつは犯人として名指しされる。とどめを刺すのは主人公の証言だ。つまり——俺の役どころ。会ったこともない頃なら、知らん顔で降りられた席だ。だが今は違う。あの席から逃げれば、俺はあいつを、筋書きどおりに突き落とす側へ回ってしまう。
俺が距離を取れば、あいつは破滅から遠ざかる。そう信じて壁を引いたのに、事態は逆へ逆へと転がっていく。あいつが孤立するほど、あの物語の令息へ近づくほど、叔父の描いた絵図に都合よくはまっていくのだ。皮肉なんて言葉では、まるで足りやしない。
その日の夕暮れ、購買の帰りに掲示板の脇を通りかかって、俺は足を止めた。人の引いた廊下に、たった一人、あいつが立っていたからだ。傾いた陽が長い影を床へ落としている。
オスカーは告示を見上げていた。自分の名の消えた、あの一枚を。そこにぽつんと残った、俺の名前を。表情はここからでは読めない。ぴくりとも動かない背中が、いつもより少しだけ小さく見える。
声をかけるべきだ。頭ではわかっている。なのに舌が上顎に貼りついて、一歩も前へ出ない。壁を引いたのは俺のほうだ。今さらどの面を下げて、あいつの隣に立てばいい。差し出せる言葉の一つも、俺はまだ持っていなかった。
結局、俺は柱の陰へ身を引いて、あいつが去るのを見送ることしかできなかった。夕闇へ溶けていく背中を目で追いながら、胸の底でようやく認める。守るための距離が、あいつをひとりぼっちにしている。俺の臆病があの背中を、こんなにも小さくしてしまった。
寮へ戻ってもあの小さな背中が瞼の裏に貼りついて離れなかった。かつては減らず口ばかりの、鬱陶しいくらい元気なやつだったのに。今のあいつには隣に立つ者が一人もいない。俺が引いた壁のせいで、味方のいない場所へ、あいつはじりじりと追い詰められている。腹の底で、ぐらぐらと熱いものが煮え始めた。このまま見ているだけなんて、俺にはもう、できそうにない。
窓の外はもうすっかり秋の色をしていた。俺は指を折って、創立祭までの日数を数える。あの筋書きは俺の逃げた隙間を器用に縫って、着々と戻ってきている。今度ばかりはたぶん止まってくれない。




