↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/32

第18話「悪役令息のできあがり」

距離を置くと決めてから、オスカーは日に日に、俺の知らない顔になっていった。


 教室で顔を合わせても、あいつはもう「貴様」とは言わない。よう、の一言もない。辛気くさい顔だな、の憎まれ口もない。俺の存在など、はなから視界に入っていないみたいだ。まっすぐ前だけを見て、席につく。誰かに話しかけられれば、模範解答めいた台詞を抑揚もなく返す。あの叔父の前で見た、感情を拭い去った白い彫像。それが常のときの顔になりつつあった。


 一度だけ、授業で当てられたあいつの解答を聞いた。よどみない、完璧な答え。教師が満足げに頷く。以前ならそこで、俺のほうをちらりと見て「どうだ」と言いたげに口の端を上げたはずだ。だが今のあいつは、そんな素振りも見せない。無言で席に座り、まっすぐ前を向いている。俺という存在を、きれいに消し去ったみたいに。


 あいつの声はいつのまにか平らになっていた。以前はどんな減らず口にも、微かな熱がこもっていたのに。今は教科書を読み上げる声と、ちっとも変わらない。その温度のない響きを耳にするたび、俺の喉の奥がざらりと渇いた。


 果たし状はもう届かない。中庭に木剣の音もない。あれほど鬱陶しかった週に一度の勝負が消えて、俺の日常は、望みどおりの静けさを取り戻した。


 なのに、ちっとも心が晴れない。


 完璧な嫡男。非の打ちどころのない次席。それはまさしく、前世の画面で見た姿だった。断罪される直前の「悪役令息」オスカー・グランツベルク。減らず口はもうない。パンの練り方も知らない不器用さもない。負けて赤くなる耳もそこにはない。俺が半年かけて知った生身のあいつ。それが日ごとに削り取られていく。物語の中の冷たい令息へと、逆戻りしていくのだ。


 それを見ているのが、なぜだかたまらなく苦しかった。俺が距離を取ったのは、あいつを守るためだ。あの冷たい令息に戻さないためだったはずだ。なのに結果はまるで逆をいっている。守ろうとするほど、あいつは俺の知らない顔になっていく。皮肉にもほどがある。


 ある日の渡り廊下で、俺たちは正面から行き会った。


 互いに目を伏せる。他人のふりですれ違う。——そのときだった。すれ違いざま、俺の足が、ほんの半歩だけ遅くなった。同じ瞬間だ。隣を抜けていくあいつの歩みも、ほんのわずか緩んだ気がした。触れれば消えてしまいそうな、一拍ぶんの間。だが二人とも気づかないふりでそのまま行き過ぎる。振り返りはしなかった。おたがい、意地みたいに。


 その一部始終を、柱にもたれて眺めていた奴がいた。


 「うーわ。なにあれ、見てるこっちが胸焼けするんだけど」


 フェリクス王子だ。相変わらず、面白いものの匂いを嗅ぎつけるのだけは早い。にやにやと俺の隣へ並んで、去っていくオスカーの背中を顎でしゃくる。


 「ねえ首席くん。君さ、あれ、ほんとに放っておくんだ?」


 「……何のことです」


 「とぼけちゃって。名物の決闘、ぱったりだろ。おかげで最近この学院、退屈で退屈でさ。せっかくの見世物を取り上げてくれちゃって。僕、君に文句を言う権利があると思うんだよね」


 軽い口ぶりだった。だがその目の奥だけは、ちっとも笑っていない。


 「でもさ、冗談抜きで一つだけ。彼、面白くない方向にどんどん完璧になってってるよ。あの子、昔からああなんだ。感情を全部しまい込むとね、笑っちゃうくらい隙のない優等生になる。……で、そういうときの彼のそばには、決まってよくないものが寄ってくる」


 「……ずいぶんと、思わせぶりですね」


 「あはは、でしょ? 僕、思わせぶりだけは得意なんだ」


 よくないもの。その一言に、俺の背筋がぞくりとした。フェリクスはそれ以上は言わなかった。小さく肩をすくめる。「まあ、余計なお世話かもだけど」。そう言い残して、ひらひら手を振って去っていった。


 残された俺はフェリクスの言葉を頭のなかで何度も転がした。感情をしまい込んだオスカーのそばには、よくないものが寄ってくる。


 ——待て。それじゃあ、まるで。


 うなじの産毛が逆立つような予感に俺は立ちすくんだ。俺はあいつを、破滅から遠ざけるために距離を取った。なのに現実のオスカーは、俺が離れたことで感情を凍らせている。ゲームの「悪役令息」の顔へと近づいている。断罪される、あの令息の顔へ。……もしかして、俺の回避は。破滅を防ぐどころじゃない。あの物語の幕を、自分の手で引き上げているんじゃないのか。


 考えれば考えるほど、その疑いは濃くなっていく。俺は破滅を遠ざけたつもりでいた。だが本当は逆の扉を開けてしまったのかもしれない。フェリクスの言う「よくないもの」。それが何なのかはまだわからない。だが確かなことが一つある。今のオスカーはあまりに無防備だ。感情を殺したあいつは、悪意に対してがら空きなのだ。膝から、すっと力が抜けそうになる。俺はもう、これまでみたいに「平穏のため」と唱えて、逃げてばかりはいられない。


 そんな馬鹿な、と打ち消そうとした。だがうまくいかない。冷たい汗が背中を伝っていく。俺の完璧な計画。その足元で、何かがぐらりと傾いだ音を、確かに聞いた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。