第14話「悪くない、が聞こえない」
夏の盛りを過ぎたころ、学院は秋の創立祭の話題で持ちきりになった。
グランシェルテ王立学院の創立祭は、年に一度いちばん大きな催しだという。各学年が趣向を凝らした企画を出す。街からも見物客が押し寄せる。その学年企画をまとめる責任者を務めるのが、首席と次席の学年代表委員だ。つまり、俺とオスカー。逃げ道は例によって制度がきっちり塞いでいる。
「まったく。よりによって、こいつと二人で祭りの仕切りかよ」
放課後の委員会室で、俺は積み上がった書類を前にぼやいた。向かいの席には当然のような顔でオスカーが陣取っている。学年企画の案出し。予算の割り振り。各クラスの取りまとめ。やることは山ほどある。なのにこの宿敵と机を並べていると、なぜか何もかもが勝負に化けるのだ。
「出し物の候補、俺は模擬店が無難だと思うけど」
「ふん。芸がないな。ここは学術展示で知性を示すべきだ。……いいだろう、どちらの案が委員会を通るか、勝負だ」
「だから、なんでもかんでも勝負にするなって」
呆れながらも俺はいつのまにか本気で案を練っている。こいつと張り合うのは、癪だが性に合っているらしい。書類を睨む横顔が真剣そのものだ。だからこっちもつい手を抜けなくなる。
案外、仕事は速く片づいた。名簿を手分けして書き出せば、どちらが早いかで競争になる。結果として、倍の速さで終わる。意見がぶつかれば徹底的に言い合った。そのくせ落としどころは、なぜかぴたりと噛み合う。売り言葉に買い言葉のはずが、机の上の書類の山は、みるみるうちに片づいていった。
それにしてもこいつと組んで働くのは、思いのほか苦じゃなかった。俺が数字の勘定に手こずっていると、あいつは何も言わず、正しい答えをさらりと横から書き足す。逆に、あいつが下町の相場に首をひねっていれば、俺が口を出す。喧嘩ばかりしているようで、足りないところを黙って埋め合っている。宿敵と息が合うなんて、認めたくない話だけれど。
結局、出し物は模擬店に決まった。俺の案だ。とはいえオスカーの学術展示の要素も半分ねじ込まれて、「学術的な模擬喫茶店」という珍妙な折衷案になる。どっちも譲らず、どっちも通す。我ながら、締まりのない勝敗だ。それでも書類の上に二人分の名前が並ぶのを見て、俺は少しだけ、悪くない気分になっていた。
ふと俺は手を止めた。
創立祭。秋の。——その響きに、背中を冷たいものが撫でていく。前世の記憶の、いちばん奥のほうがかすかにざわめいた。あの物語で、平民の主人公が悪役令息を断罪する舞台。それはたしか。
「おい、ミレット。手が止まっているぞ。さぼる気か」
「……いや。なんでもない」
浮かびかけた不吉な考えを、俺は慌てて書類の下へ押し込んだ。まだ先の話だ。今は目の前の、この馬鹿げた祭りの準備に集中すればいい。そう己に言い聞かせて、俺はペンを握り直した。
それから、どれくらい経ったろう。ひととおりの割り振りを終えて、二人して大きく伸びをしたときだった。オスカーが書類を揃える手をふと止める。そして、ぽつりと言った。
「——お前と組むのは、悪くない」
え。
俺は一瞬、耳を疑った。今、なんて言った。「貴様」でも「ミレット」でもない。「お前」だ。しかも語尾から、刺がすっぽり抜け落ちている。その声はあの下町の店先でこぼれたのと同じだった。素の「俺」の温度をしていた。悪く、ない。組むのは。俺と。
その続きを、あいつは何か言った気がする。だがまるで頭に入ってこなかった。心臓が突然とんでもなく不作法な音を立て始めたせいだ。どくどくと、耳の奥でうるさいくらいに脈打つ。あいつの言葉を、根こそぎかき消してしまう。
「おい。聞いているのか」
「き、聞いてる。聞いてます。もちろん」
しどろもどろに取り繕いながら、俺は自分の胸を持て余していた。なんだ、これは。宿敵に「悪くない」と言われただけだ。それでどうして、こんなに落ち着かなくなる。褒められ慣れていないから? いや、そういう類の動揺じゃない。もっと名前のつけようがなくて、むず痒くて、逃げ出したくなるような何かだ。
思えば、こいつに褒められたことなんて、一度もなかった。会えば「貴様」で、口を開けば減らず口。それが当たり前だ。なのに不意打ちみたいに「悪くない」なんて言われたら、こっちの心構えが、まるで追いつかない。ずるいじゃないか。今まで宣戦布告しか、してこなかったくせに。
結局その日、俺は最後まで調子を取り戻せなかった。帰り際、オスカーは「では、次の委員会で会おう」といつもの澄まし顔で去っていった。その背中を見送ったあとも、俺の心臓はまだ、間の抜けた駆け足を続けている。
窓の外では夏の名残の夕焼けが、校舎をやけに赤く染めている。この落ち着かなさの正体を、俺はまだ認めるつもりはなかった。認めてしまったら最後、何かが後戻りできなくなる。そんな予感がはっきりとあったから。




