第12話「【Side フェリクス】退屈が終わる音」
僕、フェリクス・グランシェルテのこれまでの人生は、あくびの詰め合わせみたいなものだった。
第二王子。世間ではさぞ華やかに聞こえるらしい。だが実態は「兄上に万一があったときの替え」でしかない。玉座を継ぐ器は要らない。かといって粗相をされても困る。だから僕は当たり障りなく賢く、当たり障りなく微笑む王子として育てられた。危ないものは遠ざけられる。面白そうなものは、先に取り上げられる。王宮というのは上等な布で包まれた退屈の箱だ。
だからこの学院へ放り込まれたとき、僕は少しだけ期待していた。何か、心底どうでもよくないものに出会えるんじゃないか、と。
見つけた。しかもとびきりのやつを。
「ルカ・ミレット! 貴様、また逃げる気か!」
中庭に、聞き慣れた怒声が響く。木剣を振りかざす銀髪の令息。ひらりひらりと間合いを外し続ける平民の首席。オスカー・グランツベルクの、週に一度の決闘だ。今日ももちろん見物に来ている。こんなに飽きない演目は、王宮の観劇でもお目にかかれない。
僕はオスカーを、けっこう昔から知っている。公爵家の茶会やら式典やらで、何度も顔を合わせてきた仲だ。あいつは昔から、笑い方まで教科書どおりだった。完璧で退屈な嫡男。話しかけても模範解答しか返ってこない。感情のねじがどこかで固く締められた、そういう子どもだと思っていた。
それがどうだ。今のあいつときたら、平民の首席を追いかけ回している。顔を真っ赤にして怒鳴っている。あんなに感情まる出しのオスカーを、僕は生まれてこのかた見たことがなかった。
面白くなって、僕はある日わざと突いてみた。放課後の談話室でつかまえて、何気ないふうを装って尋ねたんだ。
「ねえオスカー。首席くんのこと、どう思ってるの?」
するとどうだろう。
「ミレットか。あれは奇妙な男だ。逃げの一手ばかりのくせに、いざとなれば妙な粘りを見せる。剣の筋は悪くない。だが本気を隠している。料理では下町の味を侮れんと知った。次は学力で正面から——」
止まらない。訊いたのは「どう思うか」の一言だけだ。なのにあいつは堰を切ったみたいに喋り出す。しかもいつもより明らかに早口で。感情の温度が言葉の端々からだだ漏れなのだ。自分では気づいていないんだろう。ミレットの話をするときだけ、この完璧な嫡男は、目に見えて饒舌になる。
僕は噴き出しそうになるのを必死でこらえた。ああ、わかりやすい。わかりやすすぎて、いっそ愛おしいくらいだ。
「ふうん。ずいぶん熱心に観察してるんだね、宿敵のこと」
「……観察は戦いの基本だ。それ以上の意味はない」
むっとした顔で、あいつはそっぽを向いた。その指先が所在なげに袖口をいじっている。ますます面白い。この分だと、当人が自分の気持ちに気づくのは、だいぶ先になりそうだ。せいぜいゆっくり眺めさせてもらおう。
思えば、僕は長いこと、他人が本気になる姿を見たことがなかった。王宮の連中は誰もが僕の顔色をうかがう。当たり障りのない笑みしか、寄越してこない。本気の怒りも本気の悔しさもそこにはなかった。だからだろうか。パン一斤に本気で勝負を挑むあの令息が、僕にはまぶしく見えて仕方ないのだ。
もっとも僕がこの二人から目を離せない理由は、面白半分だけじゃない。
このところ、学院にきな臭い風が吹いている。オスカーの叔父——コンラート・グランツベルク理事が、やけに足しげく校舎へ出入りしているのだ。視察と言えば聞こえはいい。だがあの頻度はどう見ても尋常じゃない。王家の耳に集まる噂をつなぎ合わせると、名門グランツベルク公爵家は今、内側からじわりと軋んでいるらしい。
嫡流に、不都合な出来事が続いている。何年か前には公爵の長男が醜聞ひとつで表舞台から消えたと聞く。そして今、次の嫡男であるオスカーの周りを、あの穏やかな叔父がしきりに嗅ぎ回っている。安全な予備として飼い殺されてきた僕は、こういう匂いに人一倍鼻が利く。家督というやつが、誰かの手でこっそり付け替えられようとする気配に。
だからだろうか。あの完璧な仮面が剥がれて、平民相手に感情をむき出しにするオスカー。それが僕には単なる喜劇には見えなかった。あいつが人間らしくなるほど、あの叔父の思惑と、どこかで噛み合わなくなっていく気がする。予感、とでも言おうか。
まあ、難しいことは今は措いておこう。今の僕にわかるのはたった一つ。この退屈な学院暮らしに、ようやく先の読めない何かが転がり込んできた。それだけだ。
中庭ではまた首席くんが場外際でわざとらしく転んでいた。引き分けをもぎ取ったところだ。オスカーが「姑息な!」と吠える。観客がどっと沸く。その様を眺めながら、僕は久方ぶりに、心の底から笑っていた。
長く僕を閉じ込めてきた退屈の箱。そこに、小さなひびが走る音がした。この二人がそのひびをどこまで広げてくれるのか。それを見届けるまでは、この学院を離れてやるつもりはない。




