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悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


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第10話「完璧な顔は嫌いだ」

夏の光が回廊の敷石を白く灼く昼下がりだった。俺はふと引っかかることに思い当たる。この学院へ来て以来、俺はまだ一度もオスカーから嫌がらせを受けていない。嫌がらせらしい嫌がらせをだ。


 考えてみれば奇妙な話だ。前世で妹の隣から眺めた筋書きはこうだった。平民の特待生は入学早々あの公爵令息に目をつけられる。教科書を隠される。上履きを汚される。そうやってじわじわ追い詰められていくのが、本来の道筋だったはずだ。断罪の下ごしらえに、念の入った意地悪の数々が用意されていたのを、俺はよく覚えている。


 なのに現実の俺へ降ってくるのは、週に一度の果たし状だけ。あとは意味不明なくるみパンの徴収くらいのものだ。上履きは今朝もきちんと下駄箱に揃っていた。教科書の一冊すら欠けていない。これを嫌がらせと呼ぶには、いささか平和がすぎやしないか。


 (あれ……もしかしてこいつ、俺のことそんなに嫌ってない……?)


 浮かんだ考えを、俺は慌てて頭の隅へ押しやった。油断は禁物だ。今は牙をむいていないだけかもしれない。断罪の幕が上がれば、どう転ぶかわからないのだ。そう己に言い聞かせる。それでも先週の腕相撲でこてんぱんにされた俺を見下ろす、あいつの妙に満足げな顔がちらついて離れない。勝負のあとのあの表情は、少なくとも憎しみの色ではなかった。


 その油断へ冷や水を浴びせる相手が現れたのは翌日のことだった。


 学院に理事の視察が入った。回廊のざわめきが、いやにかしこまっている。顔を上げると、教員の一団に囲まれた長身の紳士がこちらへ歩いてきた。仕立てのいい灰の上着。穏やかに細めた目。コンラート・グランツベルク。オスカーの叔父にして、この学院の理事だ。


 あの男を前にすると、俺はいつも背筋がうそ寒くなる。入学まもない頃、全校の面前で俺を「平民の星」と持ち上げてくれた張本人だ。褒められたはずだった。なのにあの日を境に、貴族の生徒たちの視線がひやりと変わった。善意の顔をした何かがこの人にはある。


 「やあ、ミレット君。相変わらず励んでいるようだね。学院の誇りだ」


 「……恐れ入ります、理事」


 当たり障りのない礼を返しながら、俺はコンラートの背後に目を留めた。人影がある。オスカーだ。叔父の随行として、半歩下がった位置に控えている。


 その姿を見て、俺は危うく声をあげかけた。いつものオスカーじゃない。背筋はまっすぐ伸びている。顎はきちんと引かれている。表情という表情が、きれいに拭い去られている。まるで精巧に磨き上げた白い彫像だ。叔父に何か問われれば、よどみない礼儀正しさで「はい、叔父上」と応じる。「貴様」も「望むところだ」もない。非の打ちどころのない公爵家の嫡男がそこに立っていた。


 「オスカー。お前も少しはミレット君を見習うといい。首席の座は、一度手放せば戻らんぞ」


 「……肝に銘じます、叔父上」


 穏やかな叔父の言葉に、オスカーは寸分の乱れもなく頭を垂れた。俺はその光景を柱の陰から盗み見ていた。叔父の一言ひとことに、あいつは正解を返し続ける。感情の温度がどこにも見当たらない。これがゲームの画面で断罪されていた「悪役令息」の顔なのか。俺は今さらのように思い知った。いつも相手にしている減らず口の宿敵は、こいつのほんの一面でしかなかったらしい。


 思えば、いつもの決闘のときのあいつは、感情がだだ漏れだった。負ければ本気で悔しがる。勝てば得意げに胸を張る。パンがまずいと言いながら完食する。人間くさくて、いっそ危なっかしいくらいに。それがどうだ。叔父の隣に立った途端、その熱がすっぽり抜け落ちて、精巧なからくり人形に成り代わってしまう。同じ人間の、こうも違う二つの顔。俺はそのどちらを、宿敵と呼べばいいのだろう。


 やがてコンラートが供を連れて歩き去る。その一瞬だった。列の後ろについて動き出したオスカーの視線が、柱の陰の俺をふいに捉えた。


 変化はほんのわずかだった。凍りついた無表情のただなかで、片方の眉がたしかに小さく跳ねる。まいったところを見られたな——とでも言いたげに。だが次の刹那にはもう元の彫像へ戻っていた。あいつは叔父の背を追い、回廊の奥へ消えていく。


 残された俺は据わりの悪い心地のまま、その場に立ち尽くした。


 あの完璧な顔ははっきり言って好きになれない。感情を殺した優等生。あんなものより、パンの練り方も知らずに「黙れ、これは私の戦いだ」と息巻く不器用な宿敵。そっちのほうがよっぽど血が通って見える。……いや、別に、どっちがいいとかそういう話じゃなくてだな。


 余計な考えを振り払って、俺は首を横に振った。とにかく一つ、はっきりしたことがある。あいつは叔父の前で、あんな顔をしていなきゃならない場所に立っている。俺が週に一度殴り合っているあの宿敵の背中には、俺の知らない重たいものが括りつけられているらしい。


 回廊に居残った夏の熱気が、やけに肌へまとわりつく。一瞬だけ跳ねたあの眉。それを思い返すたび、俺の胸は勝手にざわついた。どうにもうまく凪いでくれない。

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