第9話「完食してから言え」
「次の決闘。種目は、料理だ」
果たし状にそう書いてあったとき、俺は思わず二度見した。料理。剣でも学力でもなく。しかも賭けはいつものくるみパン。つまり——どちらの焼いたくるみパンが旨いか、勝負しろということらしい。
正気か、と思った。相手は俺の実家の看板商品だ。物心つく前から父の隣で粉にまみれてきた俺の、いわば独壇場。よりによって、俺がいちばん負けない土俵に、自分から乗り込んでくるとは。
「言っときますけど、これ、俺の得意分野ですよ。後悔しても知りませんからね」
「望むところだ。貴様の家の味とやら、私が超えてみせる」
自信満々だった。その自信がいったいどこから湧いてくるのか、小一時間ほど問い詰めたい。
だいたい公爵家の跡取りがなぜパン作りに挑むんだ。厨房に立ったことすらないだろうに。聞けば、うちの店の味を超えたいらしい。剣でも学力でも張り合った挙句、今度は実家の看板にまで真っ向から勝負を挑んでくる。負けず嫌いにもほどがある。呆れながらも俺はなぜか、少しだけ笑っていた。宿敵の挑戦を、いつのまにか心のどこかで待っている自分がいる。
放課後の調理実習室。医務官と審判の上級生、それに、噂を聞きつけた見物人がずらり。名物の料理版とあって、観客席は満員だ。エプロンを締めたオスカーは、それだけで妙に様になっている。銀の髪に白いエプロン。悔しいが絵になる。
だがいざ始まってみると化けの皮は一分と持たなかった。
まず粉の計量からしておかしい。目分量でどばどばと小麦粉を放り込む。「公爵家では、こういうことは使用人が」と言い訳する暇に、生地はどんどん妙な色になっていく。くるみを刻む手つきは、剣を握るときの鮮やかさが、嘘みたいにおぼつかない。
そもそもあいつは水と油の割合すら知らなかった。卵を割れば殻が入る。バターの塊を、丸ごと生地に落とそうとする。見かねた俺が『多すぎだって』と口を出すたび、『黙れ、これは私の戦いだ』と睨み返してくる。戦いって。パン作りだぞ、これ。観客席からもくすくす笑いがもれ始めた。完璧な公爵令息の、あまりに完璧じゃない手つき。みんな珍品を見る目になっている。俺だって、これが決闘じゃなかったら、腹を抱えて笑っていたに違いない。
「グランツベルク、それ、練りすぎ……」
「黙れ。今、集中している」
聞きやしない。結果、窯から出てきたオスカーのくるみパンは、炭と石の中間みたいな黒くて硬い物体だった。こんこん、と叩けば、いい音が鳴りそうだ。一方の俺のパンは、いつもどおり香ばしくきつね色に焼き上がっている。勝負は見るまでもなかった。
審判が一口かじって、気の毒そうに首を振る。「……ミレットの、圧勝だ」
当然の結果に、観客がどっと沸いた。オスカーは自分の焼いた黒い物体を前に、屈辱で顔を歪めている。公爵家の誇りが下町のパンに完敗した瞬間だ。ざまあみろ、と言いたいところなんだが。
勝ち誇る気にはなぜかなれなかった。しょんぼり肩を落とした宿敵が、なんだか放っておけない。負けを知らずに育った奴がこうもあっさり打ちのめされて、それでも歯を食いしばっている。その姿が妙に、目に焼きついて離れなかった。
俺はなぜか、焼きたての自分のくるみパンを一つ、あいつの皿へそっと置いていた。
「……ほら。勉強のために、食っとけば」
オスカーはしばらくそれをにらんでいた。負けた相手からの施し。プライドが許さない——という顔。だが結局、ぐっと眉を寄せたまま、それを口へ運んだ。
黒焦げの自作は皿の端へ押しやったきり手もつけない。かわりにオスカーは、俺のくるみパンだけを確かなペースで平らげていく。ひと口ごとに、じっくり噛みしめている。しかめっ面はそのままなのに、その手に、ためらいは一切ない。気づけば皿の上は、きれいさっぱり空になっていた。
「……味は、認めてやらんこともない。だが、次は」
「完食してから言ってくれます? 説得力、皆無なんで」
指摘してやると、オスカーの動きがぴたりと止まった。空になった皿と自分の口元を、往復するように見比べる。反論の言葉を探すみたいに、口が何度か開いては閉じた。それきり、ぐうの音も出ないらしい。
完敗した相手のパンを、くずひとつ残さず平らげておいて。負けは認めない、なんて。そんな理屈が通るわけないだろ。
思えば、こいつはいつもそうだ。くるみパンを賭けろと言った日から、一度だって残したことがない。まずいと言いながら完食する。認めないと言いながら、次もまた賭けてくる。口ではさんざん貶しておいて、態度は正直そのものなのだ。あんまり不器用で、いっそ清々しいくらいだ。宿敵のはずなのに、俺はいつのまにか、こいつの食べっぷりを楽しみにしている。……我ながら、どうかしている。
「旨かった」の一言が、こいつはどうしても言えないらしい。代わりに全部、食べることで返してくる。減らず口と、つんとそらした顎と、空っぽの皿。それを見ていたら、なんだか俺まで調子が狂って、笑いがこみ上げて仕方なかった。まったく、とんだ世話の焼ける宿敵を持ったものだ。




