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恐怖の残り香、丹波路の残照

 生駒から北へ。京都府との県境に差し掛かる頃、夜の空気は一層張り詰め、刺すような緊張感に支配されていた。

 妖怪たちに担がれた蓮真は、道中に取り残された「異変」の数々に、何度も息を呑んだ。

 アスファルトには、落雷で打たれたような焦げ跡が点在し、街路樹の葉は季節外れの霊気によって白く凍りついている。それは、朔夜が追撃してくる怪異を「慈悲もなく、一撃で焼き尽くした」凄絶な戦いの痕跡だった。

「蓮真さま、あちらを……。なんて恐ろしい。これほどまでの術、一体どれほどの怒りを持って放たれたのでしょうか」

 腕を支える小鞠が、道端に転がる「影の残骸」を見て身を震わせた。


 そこには、朔夜の放った青白い雷光に焼かれ、形を失った低級霊の群れが、消えゆく陽炎のように揺らめいていた。彼らは朔夜を襲おうとして、逆にその圧倒的な「神速」と「武」の前に、反撃の隙すら与えられず粉砕されたのだ。

「……アツイ……、サクヤ……、コワイ……」

 闇の底から漏れ出るのは、怨嗟というよりも、純然たる「恐怖」の声だった。

 朔夜が通った後に残るのは、悪意ではない。あまりにも純粋で、あまりにも破壊的な、徹底した「排除」の余波だ。

 かつて愛した者を失い、己の容姿を忌み嫌う朔夜は、自らの術に一切の迷いを混ぜない。その迷いのなさが、結果として周囲の霊的環境を焼き尽くし、行き場を失った「恐怖の残り香」を淀みとして停滞させてしまっているのだ。

「兄さんは……また、一人で全部背負い込もうとして」

 蓮真は悲しげに瞳を伏せた。

 朔夜が放つ力は、正義であっても救いではない。それはただ、目の前の敵を消し去るための冷徹な暴力だ。だからこそ、その跡には癒えない傷跡が残ってしまう。


 不意に、前方から押し寄せてくる霊圧が一段と強まった。

 朔夜に蹴散らされ、散り散りになった霊たちが、恐怖のあまり一つの巨大な「塊」となって、逃げ場を求めて暴走している。それはまるで、山火事から逃げ出す獣の群れが、濁流となって襲いかかってくるような光景だった。

「蓮真さま、危ない! あの方の雷に怯えた者たちが、理性を失ってこちらへ向かってまいります!」

 妖怪たちが身構える。恐怖に駆られた霊ほど、見境のないものはない。

 しかし、蓮真は静かに彼らの手を離れ、自らの足でアスファルトを踏みしめた。

「大丈夫だよ。みんな、怖がってるだけなんだ」

 蓮真は、ポケットの中で熱を帯びているバイクの鍵を、そっと掌で包み込んだ。

 そこから伝わってくるのは、兄の荒い鼓動と、孤独な疾走の記憶。

 蓮真は、兄が切り裂いた闇に、そっと手を差し伸べるようにして、自らの霊力を解放した。

「……もう、怖くないよ。光へ還ろう」

 蓮真の全身から溢れ出したのは、すべてを包み込み、中和する、黄金色の慈愛だった。

 朔夜の力が「鋭いメス」だとするなら、蓮真の力は「すべてを癒やす包帯」だ。

 恐怖に叫び、暴走していた霊たちは、蓮真の光に触れた瞬間、氷が溶けるようにその強張りを解いていった。朔夜が残した「焼き付くような熱」が、蓮真の光によって穏やかなぬくもりへと変わっていく。


 やがて、狂乱の渦は収まり、周囲には清浄な山の静寂が戻ってきた。

 空に昇っていく白い煙を見送りながら、蓮真は激しく肩で息をした。広範囲の浄化は、中学生の彼にとっては魂を削るような重労働だ。

「……はぁ、はぁ……っ。兄さんは、あんなに強いのに。……強すぎるから、誰もついていけなくなっちゃうんだ」

 蓮真は、震える手で鍵を握り直した。

 淀みが消えたことで、北へと続く道がはっきりと見えた。そこには、まだ温かさを失っていないオイルの匂いが、兄の孤独を証明するように、まっすぐに伸びている。

「行こう。……兄さんが、その速さの果てに絶望してしまう前に、僕が辿り着かなきゃ」

 少年は、再び妖怪たちの優しい手に抱え上げられた。

 破壊して進む兄と、その後ろ姿を追い、傷を埋めていく弟。

 二人の距離は、まだ、縮まらない。

 しかし、蓮真が流した光は、京北へと続く暗い山道に、微かな、けれど確かな希望の灯火を点していた。


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