雑鬼、宵闇の目撃者たち
生駒の山肌を縫う旧道は、先日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
あの日、朔夜が闇に消えてから、すでに二晩が過ぎている。
アスファルトに刻まれた鋭いタイヤ痕は、雨に打たれることもなく、乾いた傷跡のように路面にへばりついていた。
「蓮真さま、どうかこれ以上は……。事件から日は経っておりますが、ここには、あのお方の恐ろしい残り香がいまだに漂いすぎておりますわ」
腕にしがみつく小鞠の体は、小さく震えていた。
一族最強の異端児、土御門朔夜。彼の霊力は、妖怪たちにとっては毒に近い。触れれば身を焼かれ、睨まれれば魂が凍てつくような、苛烈な「拒絶」の力だ。その余韻は、主がいなくなった後も、呪いのようにこの峠に居座っている。
しかし、蓮真は首を振った。
「大丈夫。みんな、少しだけ出てきてくれないかな。……お願いだ」
蓮真が膝をつき、両手をアスファルトのすぐ上に翳した。
彼の掌から、春の陽光のような柔らかな霊力が、波紋となって闇の中へと広がっていく。その温かさに誘われるように、森の奥から、恐る恐る小さな影たちが姿を現し始めた。
一つ目の小入道、古びた傘を差した化け狸、そして木の葉に擬態した木霊たち。彼らはあの日、闇に紛れてその「惨劇」を特等席で見ていた者たちだ。
「……あの日、ここで何があったのか、教えてほしいんだ」
蓮真が穏やかに問いかけると、一匹の古狸が、震える声で口を開いた。
「見ました、見ましたとも……。あんな恐ろしい光景、百年生きて初めてでございます。鉄の獣に跨がった黒い獅子が、闇そのものを引き裂いて走ってゆきました」
狸の話によれば、朔夜を襲ったのは単なるはぐれ妖怪の群れではなかったという。
空間の裂け目から現れたのは、呪詛を帯びた「影」の軍勢。彼らは組織だった動きで朔夜を包囲し、退路を断った。
「あのお方は……あのお方は、逃げ出すこともできたはずなのに。わざと敵を挑発し、この峠の結界が最も強い場所まで引き寄せたのでございます」
「敵を、引き寄せた……?」
「はい。そして、あの鉄の獣を咆哮させ、自らの血を触媒にして、山一つを飲み込むほどの雷を落とされました。敵は一瞬で霧散しましたが、あのお方も無事ではありますまい。肩を大きく抉られ、そこから滴る血は……まるであのお方の魂が削れているようで、見てはいられませんでした」
狸は恐ろしそうに目を覆った。
蓮真は路面に目を落とした。そこに残されたオイルの滴りは、単なるマシントラブルの副産物ではない。朔夜は、自らの傷口から流れる血と、バイクから漏れ出すオイルを混ぜ合わせ、走りながら路面に「封印の糸」を紡いでいたのだ。
「兄さんは……一人で、この国の霊脈を汚そうとする影を、全部引き受けて消えたんだね」
蓮真は立ち上がり、遠く西の空を仰いだ。
生駒の山を越え、その先にあるのは大阪の街。そしてそのさらに先。兄が残したオイルの跡は、ある一定の周期を持って、特定の場所へと向かっている。
「行こう、みんな。兄さんが何を守ろうとして、どこへ消えたのか。僕はそれを知らなきゃいけないんだ」
蓮真の言葉に、妖怪たちは力強く頷いた。
彼を担ぎ上げる手つきは、先ほどよりも一層慎重で、そして深い敬愛に満ちていた。
中学生の少年は、兄が残した「死の香」を「愛の灯」で上書きするように、夜の山道を下り始めた。




