碧き人魚の来訪、あるいは庭園三つ巴
リッターネイキッドがドックに入ってから一ヶ月。修理完了と自身の体の回復を待つ朔夜の退屈は、庭から響く凄まじい「冷気」と「殺気」によって粉砕された。
「えっ……雫さん!? なんでここに!?」
「シャァァァッ!! 厚かましいお魚ですわね、蓮真様の庭を汚さないでいただけます!?」
朔夜が縁側へ飛び出すと、庭の水路では雫が潤んだ瞳で蓮真を見上げ、その縁では小鞠が爪を剥き出しにして威嚇していた。だが、その二人の背後に、圧倒的な重圧を纏った「本命」がいた。
「……随分と賑やかね。主の座を退き、わざわざ鴨川を遡ってくるとは。……だが、勘違いしては困るわ」
白銀の九尾が、逆光の中でゆらりと広がった。白妙である。彼女の瞳は、冬の月のような冷たさを湛え、雫と小鞠を等しく見下ろしていた。
「この子の魂の隣、その『特等席』は、私が手に入れたもの。……小癪な飼い猫も、鱗の剥げかかった人魚も、分をわきまえなさい」
白妙の足元から、庭の芝生がパリパリと白く凍りついていく。
「……白妙様。雫は、猪名川の守りという役目を捨てて参りました。……覚悟なら、貴女様にも負けません」
雫が水面を尾で叩き、冷気を打ち消すほどの清冽な霊力を放出する。
「おだまりなさいまし! 覚悟だの歴史だの、そんなものは関係ありませんわ! 蓮真様の隣に一番長くいるのは、このわたくしですのよ!」
小鞠も負けじと、影の中から無数の黒い爪を顕現させた。
人魚の水しぶき、猫娘の影、そして大妖狐の冷気。蓮真を巡る乙女たちの火花が、土御門の庭を文字通り「嵐の前の静けさ」から「嵐の真っ只中」へと変えていく。
「ちょ、ちょっとみんな! 落ち着いてよ! 百合お母さんも、何か言って!」
蓮真が助けを求めると、母の百合はお茶を啜りながら、頬を赤らめて感嘆の声を上げた。
「まあ……。蓮真ったら、いつの間にこんなに素敵な方々に囲まれて。風雅さん、やっぱり水路をもっと豪華にしましょう。あと、白妙さんたちが寛げるお座敷も新調しなきゃ!」
父の風雅も、もはや長老たちの目を気にすることなく、穏やかに笑っている。
「ははは、賑やかでいいじゃないか。土御門の庭が、これほど生命力(あるいは妖力)に満ち溢れるのは、開祖以来かもしれないな」
「……おめでたい連中だ」
朔夜は呆れたように頭を抱え、再び縁側に腰を下ろした。
庭の隅では一反木綿が、「誰が最初に坊っちゃんの隣を勝ち取るんかな」と不謹慎に笑っている。
「……勝手にやってろ。俺は、バイクが直ったらさっさとロンドンへ飛ぶ。……こんな茶番、いつまでも付き合ってられるか」
新緑の風が吹き抜ける中、人魚と猫娘と大妖狐の咆哮が、鴨川のせせらぎをかき消すように響き渡る。
土御門家の新しい朝は、平和とは程遠い、だが活気に満ちた「戦い」と共に幕を開けた。




