彼岸の門、生還への咆哮
「……兄さん、死ぬなんて言わないで! みんなで帰るんだよ、家へ!」
蓮真の叫びが、闇に沈みゆく四条河原町に響き渡った。
道定の依り代となった空間から溢れ出す黒い泥は、一反木綿の縛鎖を食いちぎり、小鞠の影爪を無効化して、無慈悲に一行を飲み込もうとしている。
「……ハハ、そうだったな。……俺としたことが、弱気な姿を見せたか。……この都を救って、お前を無事に家に連れて帰るまでは、確かに死ねんな」
朔夜が血の混じった唾を吐き捨て、震える足で踏み止まる。左手の禁忌の霊符が黄金に燃え上がり、彼の周囲にだけ、闇を寄せ付けない絶対的な聖域を作り出した。
「白妙! 蓮真を支えろ! ……蓮真、お前の『白銀』は、闇を消し去るための力じゃない。命あるものを、この世に繋ぎ止めるための『楔』だ!」
朔夜が刀を闇の深淵へと向け、術式を展開する。
「謹請――土御門秘術・『神門奉還』!」
それは、開かれた門を閉じるための封印術ではない。門そのものを「現世」から切り離し、深淵へと押し戻す、肉体への負荷を度外視した超絶禁術。
「蓮真、撃て! お前の光で、俺とこの場にいる全員を、生者の世界へ繋ぎ直せ!」
「……分かった! 行こう、みんな!」
蓮真が両手を広げ、右目の白銀を限界まで開放する。
その光は、眩いばかりの糸となって朔夜へ、白妙へ、そして上空で苦戦する一反木綿と小鞠へと伸びた。
「……チッ、お熱いこった。だが、この糸は切らせねえぜ!」
「ええ、この光……心地よいですわ。土御門の長兄、貴方も落ちることは許しませんわよ!」
妖怪たちの霊力が、蓮真の「楔」を通じて朔夜の雷鳴へと集束していく。
黄金、白銀、そして妖怪たちの極彩色の霊光が混ざり合い、一つの巨大な「光の杭」と化した。
「消えろ、道定! 千年の執念ごと、奈落の底で眠っていろ!」
朔夜が吠え、光の杭を深淵の核へと叩き込む。
「……バ、バカな! 人間と妖怪が、これほどまでに一つに……!? 浄土が、私の浄土がぁぁぁっ!」
道定の叫びと共に、四条の空を覆っていた闇が内側から爆発した。
次元の裂け目が閉じ、凄まじい衝撃波が一行を襲う。
――そして。
静寂が訪れた。
逆五芒星は霧散し、空には白々と明ける東の空が、本来の夜明けを告げようとしていた。
四条大橋の真ん中。
朔夜は、激戦を物語るように沈黙した愛車に寄りかかり、荒い呼吸を整えていた。割れたヘッドライト、剥き出しの配線、そして熱を失い、完全に物言わぬ鉄塊と化したリッターネイキッド。
「……兄さん、もういいよ。……それはもう、動かない。僕の肩を貸すから、早く家へ……」
蓮真が心配そうに朔夜の腕を引こうとする。だが、朔夜は力なく笑いながらも、その手を優しく拒み、震える手で折れ曲がったハンドルをしっかりと握り直した。
「……バカを言うな。コイツは、俺をここまで運んでくれた。……一族の誰一人信じなかった俺の命を、最後まで預かってくれた相棒だ」
朔夜は残った霊力を振り絞るようにして、重い車体を垂直に立て直す。タイヤは歪み、押し歩くことさえ苦行に近い重さだ。だが、朔夜の瞳に迷いはなかった。
「……置いていけるか。地獄まで付き合ってくれた奴を、こんな場所に独りにはさせん」
「……兄さん……」
蓮真はその言葉に、朔夜がどれほどの孤独の中で戦ってきたのかを悟った。
白妙が静かに歩み寄り、大きな鼻先でバイクのシートを軽く小突く。
「……呆れた男。だが、そうでなくては土御門の嫡男は務まらないか。……蓮真、反対側を支えなさい。この鉄屑を連れて帰るわよ」
「……うん。分かった!」
一反木綿と小鞠も、不満げな顔をしながらも、車体が倒れないように影から支え、風を送り、朔夜の足取りを密かに助ける。
朝日が差し込む四条河原町。
夜明けの光の中、ボロボロのバイクを全員で押し、一歩、また一歩と進んでいく。
それは、「逆賊」として追われる立場でありながら、自分たちの誇りと、かけがえのない絆を一つも捨てずに成し遂げた、静かなる凱旋だった。
「……帰るぞ。京へ」
長く伸びる影が、四条大橋を渡り、ゆっくりと京の街並みに溶け込んでいった。




