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繖山、魂の共鳴と絶望の夜明け

 標高四百メートル余り。近江の平野を見下ろす繖山きぬがさやまの山頂は、今や現世のことわりが通用しない特異点と化していた。

 かつて六角氏が広大な山域に数多の石垣を築きながらも、信長の軍勢を前にその真価を発揮することなく歴史の表舞台から消えた、観音寺城跡。その広大すぎる遺構を「器」として、芦屋は生者の祈りと死者の怨念をかき混ぜる、巨大な呪術の坩堝るつぼを作り上げていた。


 伝・本丸跡へと続く巨大な虎口こぐちを抜けた瞬間、そこには地獄を体現したかのような光景が広がっていた。

 咆哮を上げる風の中に、一人の男が立っている。

 ――朔夜さくや

 顔の右半分を黒い呪紋に侵食され、全身からは漆黒の混じった黄金の雷が狂ったように放電し、周囲の苔むした石垣を次々と粉砕している。芦屋によって「五芒星の心臓ハブ」という残酷な役割を強制された彼は、四方の拠点から逆流してくる、近畿全土の負の霊力をたった一人で受け止め、内側から焼き尽くされようとしていた。

「……う、あああああああッ!!」

 朔夜の叫びは、もはや悲鳴ではない。それは、押し寄せる呪いに対し、全霊を懸けて「正義の雷」をぶつけ、己の魂を繋ぎ止めようとする魂の慟哭だった。しかし、彼が抗えば抗うほど、その高潔なエネルギーは芦屋の仕掛けた「逆転の法」によって反転し、皮肉にも都を滅ぼす結界を強固なものにしていく。


「兄さん……! もういい、もうやめてくれ!」

 蓮真の声に、朔夜がゆっくりと顔を上げた。その瞳には、弟を巻き込みたくないという悲痛な意志が、血の涙と共に溢れていた。

「……蓮、真……。来る、な……! この『逆流』は……俺の意志では、もう止められない……ッ! 俺が斬ろうとすれば……その刃は、都を焼く火に変わる……ッ!」

 朔夜が苦悶の末に放った雷光は、結界によって屈折し、蓮真を目がけて降り注いだ。

「危ない!」

 一反木綿が蓮真の前で翼を広げ、白銀の霊気を纏った盾となる。轟音と共に火花が散り、強靭な布地が焦げ付く。その衝撃を背に受けながら、蓮真は一歩、また一歩と兄へ近づく。

「……兄さん。僕を、見てくれ。……僕が選んだ、この『血』を信じてくれ」

 左目の黄金の瞳が、白妙の血と共鳴して激しく燃え上がる。

 蓮真は太刀を鞘に収め、丸腰のまま、荒れ狂う雷の嵐の中へと踏み込んだ。

「白妙さん、お願い!」

 蓮真の背後に現れた白妙が、その細い指先を蓮真の項へと這わせる。

 瞬間、蓮真の体から、白銀のオーラが爆発的に膨れ上がった。安倍の家系が重んじてきた「調和」の術式と、大妖怪の「原初的な生命力」が融合した、不可侵の浄化光。

「……あああああああッ!」

 蓮真は、黄金の雷に全身を焼かれながらも、震える兄の体を正面から力一杯抱きしめた。

「静まれ……ッ!!」

 蓮真の全身から放たれた白銀の霊気が、朔夜の体を蝕む漆黒の呪紋へと流れ込んでいく。それは単なる浄化ではない。白妙の圧倒的な「生」を媒介に、反転してしまった朔夜の力を、再び正道へと「再反転」させるための強引な共鳴だった。

 眩い閃光が山頂を包み込む。

 漆黒の呪紋が霧散し、朔夜の黄金の雷は、本来の澄み渡った輝きを取り戻していく。

「……ぁ、ああ……っ! 蓮真……。お前が、俺を……」

 衝撃が収まったとき、そこには肩を寄せ合って膝をつく二人の兄弟の姿があった。

 朔夜の瞳には理性が戻り、その手からは呪いの色が消えていた。確かに蓮真は、兄を救い出したのだ。


 だが。

「……っ!? 何だ、この音は……」

 安堵の瞬間を、不気味な「鳴動」が切り裂いた。

 救われたはずの朔夜の足元から、そして繖山の山体そのものから、聞いたこともないような低い、地鳴りのような音が響き始める。

「クク……クハハハハ!! 素晴らしい! 実に見事だ、土御門蓮真!」

 京都の方角から、空気を震わせて芦屋の声が響く。

「生贄自身の手で呪いを『反転』させたか。だが……それこそが、私の待っていた最後の一筆だ。この芦屋の呪いという『負』に、君の浄化という『正』が激突したことで、この結界は完成を通り越し、爆発的なエネルギーを得た。……感謝するぞ、蓮真。君が兄を救ったその熱い想いが、都を滅ぼす最後の引き金となったのだよ!」

「……何だって!?」

 次の瞬間、繖山から天へ向けて、これまでの比ではない巨大な光柱が撃ち上げられた。

 救い出したはずの朔夜の力が、蓮真の浄化の光と混ざり合い、美しくも禍々しい「白銀と黄金の混色光」となって、都を取り囲む四方の点へと繋がっていく。

 夜空に、巨大な逆五芒星が浮かび上がった。

 それはもはや、単なる結界ではなかった。京都の街を丸ごと飲み込む、巨大な「異界の口」だ。

 遥か彼方に見える京都の空が、真っ赤な血の色に変色し、そこから巨大な黒い影が、雨のように洛中へと降り注ぎ始める。

「……止められなかった……。僕が兄さんを救ったせいで、結界が完成してしまったのか……!」

 絶望に崩れ落ちそうになる蓮真の肩を、朔夜が強く、折れそうなほど強く掴んだ。

「……顔を上げろ、蓮真。芦屋の言いなりにはさせない。……俺を生かしたことを後悔させてやる。……行くぞ、洛中へ!」

 山頂の石垣が、結界の完成に伴う余波で音を立てて崩落し始める。

 救出した喜びは、瞬時に「滅びへのカウントダウン」へと塗り替えられた。

 

 白銀の力を得た弟と、死の淵から蘇った兄。

 二人の背後に、白妙の九つの尾が不気味に、そして力強くたなびく。

 全ての因縁を終わらせるため、一行は燃えるような紅蓮の空の下、異界と化した京都へと向けて、繖山の急斜面を駆け下りた。

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